絶望する子供は少ないほうが良い。ゼロにすることは私の力量では到底叶わないが、一人、二人減らすことならばできるはずだ。この悲しみは、私だけのものに。願わくばもう二度と、誰も、誰かを失う悲しみを知らないように。強く願った私が一番最初にしたことは、開発すら手掛けていた剣を置くことだった。未来で築く平和のために武力は必要不可欠であることを知っていて、身を持って確かに体験しておいて。それでも私はもう二度と、剣を持ちたくないと思ってしまったのだ。

 上層部に言わせれば甘い。覚悟が足りない。後輩に言わせれば勿体ない。同期に言わせれば、なんと言っただろうか。お前らしいなと笑ってくれたのだろうか。きっとそうだ。 ― 尤も、それは私の希望的観測に過ぎなく、私を残して私の同期はあの日全員死んでしまったが。

「鋼が私に会いに来たのはカウンセリングじゃなくてレイガストの使い方を指導してほしいって理由だったの。サイドエフェクトを持った子だって聞いてたから、まさか戦闘方法を聞かれるとは思ってなくてびっくりしちゃった」

 目の前の少年は何も言わない。黒を基調に揃えられたシンプルな服装に口元の白いマスクがよく映える。鋼とは違って謙虚さの欠片も感じられないどっかりとした座り方には、鋼と違った好感が抱けた。きっと彼は、嘘をつかない子だ。騙し、騙され、奪い合うことを心の何処かで拒絶する優しい子。ユズルの面倒を見てくれているのだから、優しいに決まっている。強化感覚のサイドエフェクトの中でも特に辛い思いをしているであろう彼が、不特定多数に好かれる道を選ばなかった、選べなかったことを、私はどうしようもなく可愛いと思ってしまう。愚直とも呼べる素直さは、危なっかしさを持ち合わせていて、それでいて彼自身の確固たる意思を感じた。
 惹かれるには十二分な理由だと思う。それでも私は、彼を、彼らを。

「私が得意だったのは考えることだったから、鋼にはそういう、戦術とか立ち回りとかを教えてたよ。柔軟な考え方は大切だからね」
「…ン」
「あんまり興味なかった?」
「そうじゃねえよ」

 ぶっきらぼうに否定をした少年は立ち上がり、壁一面を取り囲んでいる本棚の中から迷うことなく一冊を引き抜いた。カバー色は黒。文字色は灰色。付箋が貼ってあるページを開いて、付箋に書いてある彼の名前をざらついた人差し指がなぞった。

「これ、頼まれてやってんのか?」
「んー…まあ、そうだね。半分そうで、半分違うかな」
「あ、そ」

 ボーダーに入隊するときに必ず提出しなければならない書類に記入する個人情報から、昨日の夜に行われたランク戦や訓練のデータまで。事細かに記してある本のことを彼はどう思うだろうか。気持ち悪いと思うのが正解であり妥当だ。誰だってよく知らない他人に自分の情報を知られているのは不快だろう。彼は表情一つ変えずにぱらぱらとページを捲る。意外だ。叫んだり、斬られてもおかしくない状況なのに。

 サイドエフェクトが発覚している人物及びそれに該当していると判断した人物の経過観察と診療。
 それが私のボーダーにいる理由であり、ボーダーが私を手放せない理由だ。

「俺はこの能力を便利だって思ったことは産まれてから一度も無い。戦闘に役立つのを此処に入ってから知ったが、それを差し引いてもクソ能力だ」
「……うん」
「出会ってから一回もアンタの感情が刺さってこねえ。でもな、今のアンタが考えてることは目ぇ瞑っててもわかるわ。こええんだろ。俺が、アンタの大事な何かに、誰かに、似てるんだろ。俺をいつもソイツに重ねってから、俺自身に何も刺さってこねえ」

 付箋を剥がして人差し指に貼り付けたまま、本を机に置いた彼が一歩ずつこちらに近づいてくる。トリオン体の癖に身動き一つ取れない私に、少年が表情を変えることはない。マスクを顎に引っ掛けて、大きな口を開いて、ギザギザの歯が覗く。

「これ、誰が書いた」
「え。私が書いたけど…」
「付箋の文字もか?」
「うん」
「読めよ」

 動けない私に触れてしまう程近くまで距離を詰めた彼が吐き出した言葉を、上手く飲み込めない。

「呼べんだろ、もう」
「読めな、いよ…」
「言え! 楽にしてやっから」

 そうか。彼はとっくに気づいていたらしい。出会ってから一度たりとも彼の名前を呼ばなかった私に、気づいた上で接してくれていたのか。楽にするとは、どういう意味なんだろう。もう何もわからなかった。楽になんてなりたくない。私一人だけ、楽になるなんて許されないのではないだろうか。よく燃える火の消化作業を望まない。このまま此処で、燃え尽きて灰になってしまいたい。そうすればきっと、私も、彼らと同じ場所に。

「死んだら何も残んねえ。アンタが一番わかってんだろ」
「遺すものなんて、何も」
「ねえわけねえだろうが! 俺がいんだろ、わかんねえなんて言わせっかよ。責任取ってもらうからな」
「せきにん」
「ああ、そうだ。だから早く認めちまえ。誰もお前を殺してなんてやらねえ」

 少年の大きな手のひらが私の首を覆う。力を込める訳ではなく、添えるだけ。頸動脈を握られている感覚に背筋がスッと冷える。誰もお前を殺してなんてやらねえ。誰も、誰もって、だれのこと。

「かげうら、くん」
「おー」
「かげうら、まさ、と、くん…」
「おう。なんだ」
「っう、あ…ぐっ、あ、ううぁ…っ」

 みっともなく声を上げて泣き出した私に、影浦くんは何も言わない。不器用な手の平が背中に触れる。抱きしめられていると理解するのに数秒かかった。彼は生身で、黒いティーシャツを着ている。彼には、彼だけには、同じ温度で触れたいと思ってしまった。

「とりがー、おふ」

 換装が解けると同時に足に一切の力が入らなくなりガクンと勢いよく重力に引っ張られる。すんでのところで影浦くんが抱きかかえてくれた。目を見開いて、驚きましたと言わんばかりの顔でこちらを見ている影浦くんに、ぐちゃぐちゃの顔で笑って見せた。彼の袖が私の瞼を容赦なく擦る。いたい、いたい、いたくない。
 そっとソファに座らせてくれて、そのままするすると腕の先まで辿られ人差し指と人差し指が引っかかるように絡んだ。隣に腰をおろした影浦くんが、ハーフパンツから覗く足に巻き付いている包帯を見ている。もうずっとトリオン体で生活しているから、私もまじまじ見るのは久しぶりだった。痛くないよ、と聞かれてもいないのに声に出す。涙のせいで声すらぐずぐずだ。
「もう歩けないの。トリオン体って、べんりだよね。………もう、たたかえないっ、のに」
 涙と嗚咽がぶり返す。ティッシュを顔に乱雑に押し当てられて、彼らしいと笑みが溢れる。
「ボーダーやめるって言ったら、記憶処理が必要だって言われたの。…わたし、わすれたくないの。わすれたくないから、こんなとこにこもって、記憶に縋ってる。ボーダーはとっくに私なんていらないのかもしれないし、私ももうボーダーにいたくない…なにも、なにもできないから。でも、でもっ…忘れたくない、忘れたくないよ…」
「…ン、」
「サイドエフェクトの診療だってっ、うまくできてるか、わかんないし…、ゆず、ゆずるなんてもう、わたしはいらないのに、とっくにユズルは、大人なのにっう、」
「おー、鼻かめ、ほれ」
「っ、うう…。わたしは、わたしがいなくなるのが…こわい、よ、かげうらくん、ごめんなさっ、ごめんなさいっ」
「いなくなんねえよ、別に。あんたの記憶がなくなったって、あんたの記憶が誰からも消えたって、あんたはいなくなんねえよ」
 乱雑に頭を撫でる手は、東ともあの日死んだ恋人とも違う、影浦くんの手で。それが酷く、嬉しくて。
「…逃げねえで聞けよ。逃げらんねえと思うけどよ」
 ぎゅう、と抱きしめられる感触が強くなる。影浦くんからはいつのまにか、この部屋に染み付いている花の匂いと同じ香りがした。
 


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