目の前で泣きじゃくる普段の俺ならおばさんと呼んでいたであろう年齢の女を見て、幼稚園児のようだと思う。ぐずぐずと鼻を鳴らしながらも伝えるのをやめないのには好感が持てた。前提から間違えまくっている考えを一朝一夕でなんとかしようなんて思ってはいない。それでも目の前の女に否定と肯定をしてやらねえと、と過ごしてきた時間の中から会話の切り出し口を探す。吐き出しきってから声をかけてやりたいから、今は何を言っても相槌だけ。顔にティッシュを押し付けてやれば少し表情が緩んで、やっぱりガキみたいだと思う。

 クソ能力が作用しない相手は確かに楽だったが、少なからず恐怖もあった。普段は誰の感情も知りたくねえと思っているのに何も刺さらないと違和感をおぼえてしまう。習慣とは恐ろしいもので、俺の人生にはこのクソみたいな能力が大きく関わっているのを思い知った。どう思われているのかなんて気にするような質ではないがどうしてこいつの感情だけは刺さらないか気になった。そんなことが有り得るのかと思いすらした。

 隊室に呼ぼうと言い出したのはユズルだった。滅多に外に出やしないから偶には違う空気を吸ったほうが良いと呆れながらに言っていた。引き篭もっているのには訳があることくらいはわかっているのか、ゾエとヒカリには絶対に来るなと言いつけているユズルを見て、随分元気になったもんだと思う。鳩原がいなくなってすぐは、きのこでも生えてくるんじゃねえかってくらい落ち込んでいる事が多かったか、ここ最近は玉狛のチビの影響もあってか表情も感情も豊かだ。

 花を買いに行けと言ったのはゾエだった。前回押し付けられた大層ご立派な花束を見たからか絶対に用意した方が良いとうるせえからヒカリに買いに行かせようと思ったがこいつがすんなり買いに行くとも思えなかったので渋々自分で花屋に足を運んだ。正直花屋に入るのなんて初めてだったし、花の種類なんてわかりやしない。ぱっと見て一番目についた花を選んで店員に花束にしてくれと頼んだ。あいつが選んだ花と同じ花だということに気づいたのは花屋を出てからだった。

 指定の時間になっても来ねえもんだからバックレやがったかと思い迎えに行こうというユズルに押し負けて隊室を出ようとした先にあいつと東のおっさんがいた。あの部屋と違って、あいつは半袖ではなくボーダー支給のパーカーを羽織っていた。あの部屋が夏だという認識はあるんだな。

 トレーニングルームに半ば強制的に打ち込もうと提案してきたのはユズルだった。あいつには荒治療くらいが丁度よいと言い切ったのをみて、鳩原にこんなことは言わねえだろうなと思った。アタッカーだとは聞いていたがレイガスト持ちだとは聞かされていなかった。開発にも関わっていたということは寺嶋と面識があるとみて間違いはなさそうだ。俺はこの辺りから、目の前の女のことが気になって仕方なくなっていた。
 花を持ち帰る表情は笑顔だった。花が好きなのだろう。穏やかな目を向けていて、まるで懐かしいものを見るような目だと思った。こいつと初めて目を合わせたときに向けられた視線と酷似していた。


 意識を目の前に戻して涙でぐちゃぐちゃの顔を拭ってやる。痛いよ、と言いながら笑うもんだからつられて笑った。
「あんたはわかってねえ。いいか? あんたは鳩原じゃねえし、昔のままでもねえ。一歩も進んでないなんてことはありえねえし、それは俺じゃなくてユズルとか鋼が知ってんだろ。まずそれを認めろ。あんたが昔何があったかは知らねえし、無理に聞こうとも思わねえ。…時間はかかるかもしんねえけどよ、別に誰も急かしゃしねえだろ」
「……うん」
「俺達が思ってる想像を超えてボーダーっつうのは汚え機関だ。あんたのことを要らねえと思ってんなら、思った時点で切り捨ててる。でかい部屋一個与えられて、トリガーも奪われてねえし、戦わなくても給料もらってるし、他の隊員招いてもなんも言われてねえんだ。要らねえ訳がねえ。…まどろっこしいか? 必要とされてんだよ、理由はあんたが一番よくわかってんじゃねえの。…サイドエフェクトに関してなんて、他人にどうこうできることじゃねえんだよ、大体。クソボーダー様も重てえもん一人に背負わせて胡座かいてんのは気に食わねえな。まあ…でもよ、あんたがそれくらいならやれるって思ってるから任せてんじゃねえのかよ。少なくとも鋼は、あんたに感謝してっけど」
「か、げうらくん、」
「おう。そんでまあ、ユズルも別にあんたと鳩原を重ねてる訳じゃねえ。そんなのもわかんないなんて、見る目ねえよな。誰もあんたを殺さねえ。俺も、ユズルも鋼も、ボーダーも、鳩原も…昔あんたと一緒にいたやつらも、あんた自身もだ」
 ひゅ、と息を吸う音が聞こえた。
「…やりてえ事、あんだろ。付き合ってやるから」
「……でも」
「でもじゃねえ。だってでもねえ。この部屋に機能ついてんのか?」
「奥の部屋、に、ある」
「行くぞ」
 立ち上がって足を一歩進め、歩けねえんだったと思い出し抱きかかえて奥の部屋まで進む。パニックを起こしてあ、だとかえ、だとかうるせえ声と感情に大笑いしてやった。さっき抱きしめたときも思ったが、こいつからはいつも花の匂いがする。嫌いじゃない。

 トリガーを起動させてトレーニングルームに移った。きっちりアタッカー用の設定のままにしてあんじゃねえかと言おうとしてから、表情を見てやめた。この期に及んでまだ怯えてやがる。
「見ててやるよ」
「えっ」
「お手手繋いでてやっか?」
「い、いいです!」
 言葉とは裏腹に感情は素直でむず痒い。ガキ臭さの抜けない言動と違って、レイガストを握る横顔は自分よりうんと大人に見えた。
「かげうら、くん」
「おう」
「も、もてた、」
「ん。言っただろ、屁理屈だって。…別に斬らなくていいんじゃね。あんたの場合、握れたことに意味があんだろ。エンジニアはいつだって人が足りてねえってうるせえし、暇なときに顔だしてやれば」
「…うん。ねえ、影浦くん」
「んだよ」
「ありがとう」
「カッ、別にタダでやってるわけじゃねえしな」
「え?」
 力の入ってない手からレイガストを取り上げてその辺にぶん投げた。人の言葉を自己解釈して怯えるのはあんたの悪い癖。言葉が足りなくて勘違いさせちまうのは俺の悪い癖。
「責任とれよって言っただろ」
「せきにん」
「そうだって言ってんだろ。………ああ、クソ! 言わねえとわかんねえのかよ!」
「えっ、ええっと」
「いいか。俺には今あんたの感情が痛えくらい刺さってる。イライラしてぶん殴りたくなるやつじゃねえ」
「ひ、ぇ」
「誰がなんの下心もなく一ヶ月もこんな所に通うと思ってんだ! 俺みてえなのが頼まれたってやることじゃねえだろうが。俺の意思であんたに会いに来てたんだよ。あんたを助けたのは通過点に過ぎねえ。…っつうか俺も助けられてんだっつの! 感情が刺さんねえやつなんて他にいねえしよ、クソ、おい、その感情やめろ!」
「わわわ、わかんなよ」
「クッソが…。好きだって言ってんだよ!」
「す、すき」
「二度は言わねえ!!」
 一際でかい声が出た。勢いに任せて人一人分の距離を開ける。なんで俺がこんな小っ恥ずかしいことを。
「ぜってー責任取れよ。あと季節戻せ。もうあんたの中は夏のままじゃねえだろ」
「う、うん…」
「泣いてんじゃねえ」
「ごめんなさい」
「おー…あー…疲れた。上戻ろうぜ」
 トレーニングルームから出ようとした瞬間、強い力で腕を引っ張られて体が傾く。驚いて顔ごと視線を向ければ、随分幸せそうに笑っていた。
「影浦くん、いいにおいがする」
「ああ?」
「お花のにおい。…ふふふ、似合わないね」
「うるっせえよ。言っとくけどよぉ、あんたからも同じ匂いしてんだからな」
「えっ」
「こんだけ一緒にいりゃそうなってもおかしかねえだろ」
 最後まで察しの悪いこと悪いこと。換装を解くように言って再度抱き上げてやれば耳まで真っ赤にして泣きながら笑っていた。器用なことしてんじゃねえよ、不器用な癖に。

「雅人くん、ありがとう」
「………うっせ」

 部屋の中の季節が夏じゃなくなっても、俺達からは、似合わない夏のにおいがした。


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