大きな鋏を持って洗面台の前に立つ。特に理由もなく伸ばしていた前髪を切ってしまおうとしていた時だった。鏡越しにろしょくんの驚いた顔が見える。あ、おかえり と言おうとした刹那。鋏を持っていた右手を強い力で掴まれ、引っ張られる。衝撃で床に落ちる鋏と、何が起きたかわからずにバクバクと鳴り響く心臓。ろしょくんの表情が驚きから焦りに変化して、それから眉を釣り上げて、こわい顔。
「なっ…にしとんねんお前!そないなことになる前になんで言わへんのや!」
「えっ…え…?」
「とりあえず無事でよかった…よかないけど」
腕を離されたかと思えばそのまま後ろから抱きしめられる。鏡の向こうのろしょくんが安心したように息を吐いている。痛いくらいに強く抱きしめられた体の温度がみるみるうちに上昇していく。もしかして、心配してくれた…?
「ろ、ろしょくん。ちがうの、」
「違わんくてもええ。でも俺にも教えてくれ。…ほんまに、なんで、」
「ちが、ほんとにちがくて。前髪、切ろうとしてて…」
「…は?」
ばっ。くるり。抱きしめられていた体が離れて、方向転換をさせられ、ろしょくんと向かい合わせ。それからもう一回、安心したような息を吐くろしょくん。
「普通の鋏で切ろうとすんなや…髪痛むやろが…」
普段より何倍も弱々しい彼の言葉にぱちぱち弾けるしあわせが込み上げてきて、思わず笑う。
「ふふ…ありがと」
「何笑っとんねん。髪切る用の鋏買うてからにしぃ」
「はぁい。ろしょくん切ってくれるの?」
「…変になって泣いても知らんぞ」
それでも断らないろしょくんの優しさにまた笑う。不器用な彼のことだから、本当に変なことになってしまうだろうが、それでも良いと思えてしまえるほどには彼に侵されている。
「…まぁ、そやねぇ。前髪長いのも似合うとるけど」
「うん?」
「短いとキスしやすくてええんやない? よけるの楽やし、邪魔にもならんで」
まだ長い私の前髪を掻き分けて、ちゅ、と額にキスをされる。それから至近距離でろしょくんが笑って「ゆでダコみたいになっとるやん」と笑う。
「長いうちにぎょうさんキスしとかんとな」
「なっ…なっ、」
邪魔なんじゃなかったのか!
「よけてするのも、結構気に入ってるんよ」
再度降ってくる柔らかな感触に溶かされて、ああ、適わないなあと今日も思う。

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