鞄を漁っても漁ってもイヤホンが見当たらない。家に置いてきちゃったのかな。最後に使ったのはいつだっけ。そんなことをぐるぐると考えながら真っ黒な地面を歩く。街灯がまばらにしかない夜の道は少しだけさびしい。着信も、メッセージも見ないふりをした私のことを、ろしょくんは怒るだろうか。きっと、心配したって言って抱きしめてくれた後に、やっぱりちょっとだけ怒るんだろうなあ。

コンビニに寄るか寄らないか、立ち止まって少しだけ迷う。でもなあ、昨日プリン買っちゃったしなあ、と夜の道の中やけに眩しい建物を通り過ぎた。信号を渡って、歩道がなくなって。カンカンカン、といつもよりゆったりとした音が階段から鳴っている。家の鍵を開ける前に、少しだけ息を飲んでおいた。

「ただいま」

返事が直ぐに返ってこないことは知っていた。スニーカーを脱いで、スリッパを履いてリビングまで向かう。お揃いの猫のスリッパは買った時よりも随分とくたびれていた。

「ただいま〜」

再度、声をかければイヤホンをしたままの彼が驚いたように目を丸くする。それから大きな音を立てながらこちらへ向かって走っていた。たった数歩を急いでくれる彼は優しい。

「っ、な…!終わったら電話してくれって連絡しとったやろ、なん、タクシーちゃんと使ったんか」
「ううん。歩いて帰ってきたよ。ささらさんのツイート見て、オンライン飲み会する〜って書いてたから」
「そんなんお前が気ぃ遣うことやないやろ!もし、なんかあったらどないする気やったん、なんもなかったか、そない薄着で寒かったんとちゃうんか、鞄だって重かったやろ!まだ病み上がりなんやから大人しゅうしときって、俺が迎えに行くってあんだけ言うたんに、」

ろしょくんの言葉は止まらない。心配してくれているのはわかっているのに、中々ごめんねが言えない自分に、くるしくなる。

「ろしょくん、お風呂はいって寝るね。飲み会、ちゃんとミュートにしたの?」
「あっしてへんな。いや、そんなん今はどうでもええわ」
「どうでもよくないでしょ。だめ、ちゃんとして」
「ちゃんとしてへんのはどっちやっちゅうねん。…ああもう、そこで待っとき」

パソコンの前まで戻り、何やら画面の向こうと会話をしているろしょくんをぼーっと見つめる。あー、だめだ、だめな日だ。ろしょくんに八つ当たりをしてしまった。どうしよう、どうしたらよかったのかな、

「っは、なんで泣いとんねん…」
「え、」
「…泣くほどしんどいことあったんか」
「え…なんも、ない」
「そうか」

それだけ言って私の腕を引いて、すっぽりと抱きしめられる。ぐずぐずと泣き止まない私に、ろしょくんは何も言わない。ただ優しく背中をさすって、時折首元に顔を埋めるだけだ。

「ろ、しょく…」
「ん」
「ごめんなさい……」
「うん。ええよ。俺も怒鳴ったりしてすまんかった」
「ううん…」
「心配やったのはわかってくれな。風呂は一緒に入ろか。飯は?」
「いらない」
「ん。なら明日はぎょうさん食べるようにしよな」

幼子にするように手を引かれ、そのまま脱衣所へ。私の涙を雑に拭った指先はブラウン色のアイシャドウが煌めいている。

「今日は早めに布団入ろか。布団でゆっくりしたいねん」
私のためのやさしい嘘が、私をみるみるうちに溶かしていく。
「ほーんま泣き虫やもんなぁ。こんなん、俺にしか受け止めきれへんな」
前髪を掻き分けられて、額にそっとくっつくくちびる。いつだってほしい言葉をくれるろしょくんは、私には想像できないくらい甘くて柔らかな味がする。
「…ま、俺も似たようなもんやな」
「………わたしだけ、だよ」
「言うやんけ」
けらけらと笑ったろしょくんと目が合えば、優しく微笑まれる。彼の貴重な時間を奪ってしまったことは、あとできちんと謝ろう。

「急がなくてええよ、て聞き飽きたかもしれんけど言うとくな。焦って飛び越えようとする方が俺は嫌や」
「うん」
「心配せんでもどこにも行かんし、お前のことどっかにやる気もないねんで、こっちは」
「…うん」
「これから先ずっと一緒におるんやからちょっとずつ頑張ろうね言うたのはお前やんけ」
「うん」
「ま、おたがいさまってやつやな」

返事の代わりにこぼれた涙はろしょくんに吸い込まれてしまった。彼は、彼だけが、私達は対等であると教えてくれる。

「冷める前にはよ入ろ」
「ありがとう」
「…ん、どういたしまして」


(ゴールテープは動かない)

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