彼の広い背中が好きだった。手を伸ばせばいつだって届くと、勘違いしていた。

「ろしょくん、」
「ん。おはよう。寝られるんならまだ寝とき。俺はもう行かなあかんから」

スーツに黒いコートを羽織ってこちらを振り返ったろしょくんの準備は既に万端で、随分寝てしまったことに漸く気づく。ここしばらくは体調を崩していて 朝ごはんも、お弁当も、掃除も洗濯も何もかもできていないというのに 行ってらっしゃいまでもをできなくしようとしていた自分が憎かった。

「や、まって」
「そない急に体起こしたらあかん!」

彼の大きな声と同時にぐらりと揺れる視界。咄嗟に頭を抱えてしまい、おおきな足音が近づいてくる。次いで飛び込んでくる心配の声に、違うの、と言いたくても言えない。

「どうしたん。買ってきてほしいもんであったか?」
「ううん…」
「できるだけはよ帰ってくるから、安静にしとき。な?」
「うん、」

でもお見送りくらいは、とベッドから這い出る私をろしょくんは困った顔をすれども止めはしなかった。恐らく、私の不安定な気持ちに気づいている。それでいて、ここで甘やかすのが得策ではないことも知っているのだ。無論、私もそれを理解しているつもりだ。

「ろしょくん、ろしょくん」
「なん」
「…ろしょくん」
「なーん。もう行くで」
「いってらっ、しゃい」

おう。行ってきます。と彼の声。それからくしゃりと頭を撫でられた。顔を上げれば微笑んでいるろしょくんと目が合う。数秒、時が止まって、それから形容しがたいやわらかさをした唇がそっと触れ合った。

「っ、な、えっ」
「俺もちゃーんと寂しいんやぞ」

ごちそーさま。と言い残してパタリと閉じられた扉。力なくずるずると床にへたり込み、彼が先程までいた場所をじっと見つめてしまう。

ああ、なんて狡い人。

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