おかえりと言いたい一心だった。配信が終わってからも延々とループさせて動画を流しているため眠気はやって来ない。私が寝ていると判断し、気を遣って連絡をしてこないろしょくんは、今一体、何を考えているのだろうか。
視聴者数300万人。一般人の私には、到底想像もつかないような莫大な数字だ。
「…ろしょくん、」
当たり前に返事はない。ひとつ呟けば、たちまちものすごい数字がつくような世界で生きているろしょくんは、ここに帰ってくる。
「ただいま」
聞こえてきた小声に机に伏せていた顔を勢いよく上げて立ち上がれば、ちょうどドアを開けたろしょくんがこちらを目をまあるくさせて見つめていた。
「…なんで起きとんねん、明日も仕事やろ」
「うん」
「汗むっちゃかいたからシャワー浴びてくるで」
「うん」
「先寝とき」
「おかえりなさい」
「…先、寝とき」
ソファに置かれる鞄、かけられるコート。眼鏡とグラスコードを外し、ろしょくんはお風呂場へと消えていく。
拒絶、だった。たぶん、いや、間違いなく。
泣き出してしまいそうになる感情を必死に押さえつけ、作っておいたお粥を温める。ろしょくんに何をしてあげられるかなんて、そんなの分かりきっている。恐れるな、前を向け、と、言い聞かせながらお茶を淹れた。
「…なんで寝とらんのや」
「ろしょくんの彼女だから」
「あー、ほんま、見んといて」
ろしょくんの目は真っ赤だ。お風呂上がりで髪の毛から水滴が落ちる。手のひらで顔を覆ったろしょくんがその場に蹲る。お鍋の火を止めてろしょくんの隣にしゃがみこんだ。ステージで、彼の元相方がそうしたように。
「…もっと、頑張らなあかんのや。このままじゃ、絶対に終われん」
「うん」
「………抱きしめても、ええか」
「うん」
二人、しゃがみこんだまま身を寄せ合う。ぎゅうぎゅうと痛いくらいに抱きしめられ、肩には暖かい感触。白いパーカーだと濡れるのが目立たなくて良かった、なんて思いながら いつもろしょくんがしてくれるように、彼の頭をそっと撫でた。落ち着いたら髪の毛を乾かしてあげなくては。風邪をひいたら、大変だから。
「ろしょくん、おかえりなさい。とってもかっこよかったよ」
「…ありがとう。………ただいま」
「うん」
元より彼は努力の人だ。それは私も、簓くんも天谷奴さんも、もちろんファンの皆様も知っていることなのだろう。
「どこに行っても、どこまで行っても、ずっとここで待ってるよ。ろしょくんが帰ってくるの、わたしはずっと、ここでまってるよ」
「知っとんねん、そんなん…」
「いいからその夢追え、ボケ、って、ろしょくん言ってたよ」
「うっさいわ、アホ…」
力なく吐き出される声と、のしかかってくる体重を尻もちをつけながらも受け止める。抱きしめられる力が一層強まった。
「ありがとうな」
「うん、どういたしまして。…髪の毛、乾かそ」
「ん」
「お粥、食べるでしょ? マカロン焼いたから、寝て起きたら食べてね。プリンも買ってきてあるよ」
「ん」
「おつかれさま」
「…おん」
君と、君の見る世界に向けて。また走り出す、大きな背中に、せめてこの瞬間くらいは休息を。
「だいすきなんだよ」
私の小さくてちっぽけなセリフは、ドライヤーの音に掻き消されてしまったけれど。
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