失くしてしまわないように、すぐに渡せるようにとポーチの中に大切にしまってある五千円札がいつまでもなくならない。じっとりと喉が徐々に締まっていく感覚に気づかないふりをして夕飯の洗い物を終えた。食器を拭くのを手伝ってくれた二人は今日も決まって同じことを言う。

「だいすにいちゃん、こないね」
「またくるからなって言ったのに〜」

あの日からもうすでに1ヶ月が経過しようとしている。30日間1日たりとも話題に上がらないことのない、たった2日間の色濃い記憶。拗ねる弟妹達と同じように、私も会いたいのは本当だった。お金を返したいというのも勿論あるが、きっと誤解を招いた発言をしてしまったから。ギャンブルに身を溶かして死んだ父のことを恨んでいないのかと問われれば、イエスともノーとも言い難いのだ。私の記憶の中の父はいつだって私に優しい。夏も秋も、そう思っているだろう。全ては母を殺した政府が悪いのであって、愛する人を失って狂ってしまった父のことは、なんだか責め難い。きっと私も、この子たちを失ってしまったら―――。
考える度にゾッとして、すぐに思考を取り払う。誰にも渡さない、誰にも譲らない。この子達だけは私が守るのだと、そう決めている。

「…明日、会いに行ってみようかなって思ってるんだけど」
「え!だいすにいちゃんに?」
「ううん。あめむらさんに…」

帝統さんが姿を現さない間、自分なりに彼のことを調べてみた。ネットで検索すれば次々に出てくる彼の情報に、初めて彼の有名さを知った。ラップバトルごっこが幼稚園で流行るくらいなのだから、知らない人の方が逆に少ないくらいだろう。二郎くんが女の子に囲まれているのも納得がいく。それがなくても、彼は優しく格好良いけれど。
帝統さんの所属するグループのリーダーは有名なデザイナーで、予約をすればお会いできる仕組みになっている。本来ならば洋服関連の相談や仕事の依頼を持っていかなくてはいけないが、話せばわかってくれると思いたい。大人気すぎて予約は3年待ちだが、偶然キャンセルがでた隙間に入り込むことができた。僥倖だ。

「らむだくん!?」
「う、うん…。夏、好きなの?」
「だいすき!ナツも行く!!」
「ナツずるい!アキも!アキも行くから!」

元より3人で行くつもりだったので、はしゃぐ2人を窘めて寝る準備を進めた。興奮気味に布団の中で明日の話をする2人をどうにかこうにか寝かしつけて、自分も目を瞑る。多額のお金を請求されたらどうしよう。





「こ、ここかな…」

ファンシーな外見の建物の前でお利口さんにしている2人と手を繋いで立ち止まる。公式ホームページに記されている住所はここで合っているはずだ。そっと息を呑んで、キラキラと目を輝かせる2人に少し不安になりながら、インターホンに手を伸ばした。

「…おや、随分可愛らしい来客ですねぇ」
「ひあ!?」
「これはこれは…驚かせてしまってすいません。小生は有栖川帝統と言うものでして…職業はギャンブラーなのだ」

後ろから聞こえてきた声に驚いていれば、夢野さんが嘘の自己紹介をしてくれた。どうやら事務所の場所はここで合っているらしい。0.2秒で彼の嘘を見破った夏と秋が、大きな声で「ゆめのせんせいこんにちは!」と挨拶をする。出遅れた私も慌てて頭を下げた。

「こんにちは。どうもこの嘘はもう通用しませんねえ…。それで、乱数のお客さんで?」
「あ、はい。そうです」
「突っ立っていないで中に入ったらどうです」

思ったよりも冷たいというか、さっぱりした人だな、と思いながらがちゃりとドアを開けた夢野さんの後ろに恐る恐る続く。勝手に入っていいものかわからなかったが、ドアを抑えたままにしてくれている夢野さんの視線に促されて玄関に立ち入ってしまった。

「おじゃましま〜す!」「おじゃまします!」「お、お邪魔します…!」

どうぞ、となぜか夢野さんが呟いた。バタバタと聞こえる足音と、男性にしてはやけに高い声色。私とそう変わらない背丈、ピンク色の髪。

「げんたろ〜!いらっしゃい!あ、おきゃくさん?」
「乱数のですよ」
「予約してくれた子かな〜?」

どうぞどうぞ〜!と可愛らしいスリッパを3足出され、礼を言ってから奥へと進む。やけに静かな2人を不思議に思えば、夏は緊張で顔を真っ赤にしていた。秋はなんだか、不機嫌そうで。

「秋?」
「おねえちゃん、」
「カワイイ〜!お利口さんだね!兄妹なのかな? あ、これ書いて欲しいなっ!ボクはお茶汲んでくるね〜!」

名前や生年月日、好きな色や今日来た理由等を記入するシートの通りにペンを進めていく。私を挟んで両隣に座っている夏と秋はやっぱり静かで、秋に先程の言葉の続きを聞こうとすれば、お茶を持ってあめむらさんが戻ってきてしまう。昨日はあんなにはしゃいでいたのに。

「あ、あの」
「なになに〜? あ、書けた〜? ………みょうじ?」
「え?」
「あっ、なんでもな〜い!なまえちゃんって言うんだね!うーんと、有栖川帝統さんの居場所を教えてほしい…えっ!なに!なまえちゃんってばダイスのファンなの〜?」

私の苗字を口に出して一瞬だけ表情を歪めたのが気になったが、それにものを言わせないスピードで彼の言葉が進んでいく。熱烈だね〜!と茶化すような声色に首を振り、ポーチから五千円札をテーブルに置いた。

「これ…帝統さんに、お借りしていて…」
「帝統に?」

黙ってお茶を啜っていた夢野さんが突然口を開く。くしゃくしゃになったお札と私の顔を交互に見て、それから怪訝そうな表情を向けられた。怪しいのはわかっているつもりなので、返す言葉はない。

「乱数、この女。嘘をついているんじゃないでしょうか。わらわは帝統が人にお金を貸すなんて思えませぬ〜」
「あはっ。確かに!ん〜でも、オネーサン、そうなの?」
「おねえちゃんは嘘ついてない!帝統にいちゃん、うちにきて、ごはんたべて、」
「秋!」

私より先に大きな声で弁明をし始めた秋に思わず私も大きな声が出る。しゅんとした表情でごめんなさい、と言った秋にやってしまった、と思った。夏が私の膝の上に座り、秋と手を繋ぐ。ごめんね、と2人にだけ聞こえる声で呟いた。私が取り乱して、どうする。

「秋…アキ………はて。もしかしてそちらのお嬢さんの名前はナツでごじゃるか?」
「えっ。そ、そうです」
「……なるほどねぇ。乱数、あれですよ。帝統が珍しくリピートしていた女の…」
「あ〜っ!結構前に言ってたやつだ!なつが、あきが、って言うからてっきりオネーサン二人組なんだと思ってら、子供だったんだね〜!」

疑ってごめんね、オネーサン。と言われて私こそ、と謝罪を返す。とりあえず帝統さんにこれを返したいことを…と息を吸ったところで、乱雑にドアの閉まる音。続いて、ずっと待ち望んでいた、たった2日で耳に良く馴染んだ声。

「おーい!乱数〜!邪魔すっぜ〜」
「あ!噂をすれば、だね」

「だいすにいちゃん!」
「うおっ!?」

私が動くよりも先に帝統さんに飛びつく夏と秋を見て、あめむらさんはケラケラと笑っていた。

「お前ら、なんでここに!?」
「だいすにいちゃん、またくるって言ったのに…!」
「おねえちゃんと待ってたのに!こないから迎えにきたの!」
「迎えに来たって…今日はよーちえんじゃねえのかよ」
「休んだ!」
「休んだぁ!? それ、なまえは許したのか?」

お姉ちゃんが一緒に行こうって言ってくれたの!と、帝統さんの手を引いて玄関からこちらへやってきた3人。ばちり、と噛み合った視線は鋭く、冷たかった。

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