幼稚園ではラップバトルごっこが流行っているらしい。テレビもニュースもろくに観ない私は1ミリも知らなかったが、有栖川さんも山田くん達もとても有名なグループに所属しているらしい。だから夏と秋はこんなに有栖川さんに懐いていて、彼等は顔なじみだったのか、と山田くん達にも懐いている2人を見て納得した。ヒプノシスマイクを持ってバトルするということは、母のことを遠からず近からず知っているということだろう。もしかして山田くんは私にイケブクロ代表であることを、気遣いで隠してくれていたのかもしれない。常々感じる彼の優しさには本当に頭が下がる。私なんかと友達になってくれただけでも一生分の感謝では足りないというのに。

「おねえちゃん、おなかすいたぁ」
「アキ!おきゃくさんのまえでしょ!」
「ナツだっておなかすいたでしょ?」
「…おねぇちゃん、」

2人の会話に慌てて立ち上がる。夕飯の準備は途中だった。有栖川さんが泊まることに納得がいっていない山田くんを窘めるのを中断して冷蔵庫の中身から食材を取り出す。

「おい、テメェも食ってくなんて言わねえよな?」
「あ?当たり前に食うだろ。なまえ、いいか?」

うるうるとした捨てられた子犬のような目を有栖川さんに向けられてしまって、条件反射で頷いてしまう。それを見た山田くんは呆れた顔をして立ち上がり私の隣に並んだ。腕まくりをして手を洗い「手伝う」とだけ言った彼に驚く。いやいや、事情は呑み込めただろうし、有栖川さんが何かしてこない限りは大丈夫なんだけど。

「どう考えても心配だろ。今日は俺達も泊まる。今から帰ったら2時間はかかるし」
「えっでも明日の学校は…」
「明日土曜だろ。兄ちゃん、いいよね?」
「何かあったら困るしな。みょうじさん、萬屋山田の名にかけて俺達が必ず守るんで安心してください!」
「僕もお料理手伝いますよ。ご馳走になる訳ですし…。おい低脳、さっさと手を動かせ」
「あァ!?」

すぐにお兄さんの怖い声が飛んできて2人はシュンとしていた。悪戯がバレた秋のようでちょっと可愛い、なんてことは置いておいて。4人とも泊まっていくらしい。しかもご飯まで。食費や光熱費はこの際置いておくとして、どうしてこんなことになってしまったのかと頭を抱えそうになる。今日買ってきたものだけじゃ育ち盛りの山田くんは足りないだろうし、と畑に野菜を採りに行く事を伝えれば山田くんも一緒に行くという。夜に1人で出るなんて、と怖い顔をされたが周りには誰もいないし畑は家を出てすぐだ。それでも心配してくれる気持ちが嬉しくて「ありがとう」と私は笑った。

「お、おう」
「…玄関の鍵、壊れちゃってる」
「あっ!わりぃ!俺が……」
「ううん。壊れちゃったのは困るけど、それだけ急いでくれてたってことだよね。ほんとにありがとう、山田くん」
「いやそれはいんだけどよ…。山田くんって、やめねぇ? 兄ちゃんも三郎も山田だしよ」
「それもそうだね。じゃあ、二郎くん?」
「……なまえ」

照れくさそうに私の名前を読んだ山田くん…じゃなくて二郎くんになんだか甘酸っぱい気持ちになってしまう。二郎くんが友達で本当によかった、と思いながらトマトやキュウリを収穫していく。いつぶりか分からないご馳走を作る事になってしまったが、夏も秋も喜んでいたので良しとしよう。今日の分の赤字は明日以降また考えるとして、私もこの非日常を楽しんじゃおうかなあ。

「なまえ!チビ達が呼んでるぞ!」
「わ、有栖川さん。ありがとうございます」

野菜がいっぱい入った籠をひょい、と軽く取り上げてくれた有栖川さんは涎を垂らしそうな勢いで籠の中を見つめていた。…どろだんごを食べようとしたくらいお腹がすいていたというのも、あながち間違いではないのかもしれないな。どうして空腹なのかとか、お風呂に数日入っていないのかは分からないがあんまり悪い人ではなさそうだ。

「オイ、ちょっと…」
「あ?」

二郎くんが有栖川さんを連れて私から少し離れる。聞いてはいけない話でもあるのだろうか、と引き留めることもせず家の中へ入った。中ではお兄さんと弟さんが2人と遊びながら料理を進めている所だった。こういうことには慣れているのか、手際が良すぎる。手伝えることはないかと私も肩を並べた。

「こんなお姉ちゃんがいてお前らは幸せだな!」
「わ、いちにいぐしゃぐしゃ〜」
「ぐしゃぐしゃ〜〜〜」

大らかに笑って夏と秋の頭を撫でるお兄さんに、緊張していた体が少し緩む。もうこんなに仲良くなって、と感心ばかりだ。弟さんが「僕も一兄の弟で幸せです…!」と間髪入れずに物申したのを見て、笑ってしまう。二郎くんと一緒でお兄さんのことが大好きなんだな。そう思えばなんだか可愛く見えてきて、夏と秋のお礼、と理由をつけて弟さんの頭を撫でた。

「なっ、みょうじさ…!?」
「テメェ三郎何してやがる!」
「うるさいな低脳!いつから見てたんだよ!!」

いつの間にか戻ってきていた二郎くんが叫ぶ。あっという間に始まってしまった兄弟喧嘩にお兄さんは呆れ顔だ。小声ですいません、悪気はないんです。と困った笑顔で言われて、それに大丈夫ですの意味を込めて首を横に振った。こんなに愛されたお兄さんは幸せ者だろうなあ。

「…ナツ、アキ。髪乾かしてやる」

忘れてた。と有栖川さんの声で勢いよく振り返る。室内ではしゃいでいた2人はともかく、有栖川さんはさっきまで外に出ていた。冷えてしまったのではないだろうか、と身を案じながらドライヤーを取りに洗面所まで走る。通り過ぎた有栖川さんの、複雑そうな表情には気づかずに。

「ごめんなさい。私、気づかずに…」
「謝る必要ねえだろ。こんなんで風邪ひいてたら野宿なんてできねっつの。チビ達は平気か?」
「2人とも湯冷めしてない?大丈夫?」
「うん!まだぽかぽか!」
「だいすにいちゃん髪なが〜い!」

きゃっきゃとはしゃぐ2人を見て胸をなでおろす。有栖川さんが来てからというものの、失態ばかりだ。イレギュラーな事態に対応できていない証拠である。はぁ、と溜息を飲み込んで髪を乾かしてくれるという有栖川さんに2人を預け、夕食づくりを手伝いに戻る。…有栖川さん、普段は野宿をしているのだろうか。もしかしてホームレス…? それにしては若すぎるような…。

「なあ、なまえ。あんまアイツに深入りすんなよ」

私にしか聞こえない音量で二郎くんがそう言う。余りに真剣な眼差しに、私は頷くことしかできなかった。

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