カチ。ガスを消す音と同時に漂う匂いに満足げに微笑む。大人気スーパーの破格タイムセールで手に入れた大根は、私の手でとても美味しそうに炊かれている。そろそろ呼びにいかないと、鍋に蓋をしてエプロンを外す。玄関に落ちている帽子を見つけて、慌ててそれを拾い上げて一番近くの広場まで走った。あれほど暑いからねと言ったのに。

「あ!おねえちゃん!」
「ごはん?ごはんできた?」

私を見つけるや否や泥にまみれた手をぶんぶんと振ってから駆け寄ってくる姿は本当にかわいらしい。でも帽子のことは言わなければ。そう思いつつも二人を見ていると自然と頬が緩んでしまう。夕飯ができたことと、今日のは自信作だということを伝えれば二人は年相応の屈託のない笑顔で私を見上げた。
両親がいなくなってから早数年。私は、一人で双子の弟妹を育てている。

「今日はね、テストがあってね、」
「ナツ、またひゃくてんだったの!すごいね!」
「アキも惜しかったんだよ、ね!」

うん、うん、と相槌を打ちながら幼い二人の話に耳を傾ける。今日一日あった出来事を帰り道に報告するのはもうすっかりお馴染みになっていた。両親がいなくなっても、私が中々現実を受け入れられなくても、ただふたりだけずっと傍にいてくれた大切な子達。わがままひとつ言わず、三人暮らしを受け入れてくれた、本当に本当に大切な、私の宝物。こんな平和な日々がずっとずっと続けば良いと心からそう思う。例え世間の風当たりが冷たかろうと、大人たちに受け入れられることが難しかろうと、学校で友達がいなかろうと、関係ない。私の世界はここが終点で、進むことも戻ることもない。そう思っていた。

「どろだんごのおにいちゃん、またくるかなあ?」
「やっぱりばんごはん、次はさそってあげたいね! ねえおねえちゃん、いーい?」
「えっ?」

どうやら二人がおままごとをしていた最中に一緒に遊んでくれた男性がいたらしい。ここがもし普通の公園などであればその男性はただの子供好きに思えたかもしれないが、ここは山奥で街からはしばらく離れている。私達以外に人が出入りするのを見たのは、迷惑そうな顔をして汗だくで郵便物を届けに来るおじさんだけだ。つまるところ、つまるところ。

「夏、秋。しばらく外で遊ぶのはやめましょう」

えっ、という二人の声が重なる。こんな山奥まできて二人と遊んで帰るだなんて何が狙いかはわからないが、普通ではないことくらいはわかる。二人にその『どろだんごのおにいさん』のことを根掘り葉掘り聞きながらぐるぐると思考を巡らせる。少しずつ仲良くなって誘拐、もしくは家の、または私か両親に恨みが…考え出せば止まらない。冷や汗がそっと滲む中、二人と繋いだ泥まみれの両手だけが温かかった。

「わるいひとじゃなかったよ!」
「どろだんご食べそうになるくらいおなかすいてたんだよ!」

その発言は些か問題だが、二人が完全に信用していることのほうが問題だ。泥団子を食べようと素で思っているのならば、相当な貧困生活を強いられている人か気の狂った人だ。おそらく後者だろう。有りえない。常識の範囲外だ。

「とにかく、もうその人に会うのは駄目。外に遊ぶときはおねえちゃんも一緒に行く。それでいい?」
「おねえちゃんもお外であそんでくれるの!?」
「なにしよう!?」

素直で良い子達で本当に良かった、と安堵しながら足を進める。広場から家まではそこそこ距離があり、なにかあっても駆けつけられない。だからと言って家の周りには畑しかなく、二人が遊べる砂場も水場もない。夕飯を作る時間と、食材を買う時間が大幅に減るのが問題だ。学校が終わって全力で走って買い物をしても、家までは二時間はかかるだろう。…どろだんごのおにいさんさえ現れなければこんなことにはならなかったのに。一体何者なんだ。最悪だ。

「だっいこん!だっいこん!」
「おてて洗ったらおてつだい!」

家に帰るや否や二人は歌とも言えないメロディに言葉を乗せながら手を洗いうがいをする。私もそれに続いたあとに、夕飯を温めた。皿を用意したりご飯をよそったりと、本当に良くできた子達だ。これでもまだ年長さんだと思うと感動すらする。しっかりものの夏と明朗快活の秋。こんな言い方をするのもおかしいが、とてもバランスが取れた二人だと思う。手がかからないのは有難いことだが、少しだけ寂しい気もする。

大きなお皿に大根と昆布巻を入れてテーブルまで運ぶ。テーブルと言うよりはちゃぶ台という言葉が似合う一人用のものに三人分の食事を並べる。ぎゅうぎゅうで狭いが、この距離感が心地良いのだ。

「いただきます」

三人の声が重なる。おいしいおいしいとどんどん大根を食べ進める二人を見て頬が緩む。炊飯器ではなく釜で炊いたご飯と、大根と昆布巻。それだけの夕飯に二人は何一つと文句を言わない。今は良くてももっと大きくなればこれだけでは足りなくなることくらい目に見えている。あと二年経てば私は高校を卒業する。そして高卒と言うここでは風当たりの冷たい存在でありながらも、この子達を育てていけるだけの稼ぎを手に入れなければならない。不安だらけだがやるしかない。私にはこの子達しかいないが、この子達には私しかいないからだ。

「おねーちゃん?おなかすいてないの?」
「なくなっちゃうよ!」

箸が止まった私の顔を覗きこんで二人は不安そうに問うてくる。それに私は笑顔で大丈夫と答えた。私は大丈夫。夏と秋がいれば大丈夫。きっと立派にではないだろうけど、二人のことを育てていける。だからこそ、二人を脅かす存在には会っておかなければいけないのかもしれない。『どろだんごのおにいさん』に二人が懐いていることは問題だが、人見知りの秋があそこまで言うのも珍しい。もしかしたら本当に空腹で、食料や人の声を求めてこんな山奥までやってきたのかもしれない。…その可能性は遥かに低いけれど、それでもゼロではない。

「おねーちゃん、だいじょうぶだよ」
「へ」
「だからはやくごはんたべて、おふろいこ!」

にこにこ。二人は私の思考を知ってか知らずか、恐らく知りはしないだろうけれど、励ますような言葉を投げかけてくる。たったふたりしかいない家族なのだから、まだ幼いとはいえ何かを察しているのかもしれない。心配かけてしまったのかなぁ、と少し反省し笑顔を作ってご飯を食べ進める。日を改めてどろだんごのおにいさんのことは考えよう。と、この時はあんなことになるとは思いもしなかった。

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