もう30分は走っているだろうか。未だ泣きやまないままの夏を抱きしめて頭を撫でる。運転席の女も、助手席の女も、口を開くことはなかった。幸い帝統さんに鞄を託してきたことは気付かれていないらしい。少しずるかったな、とも思ったが、帝統さんに会わない期間ずっと考えていたことだ。

『いつかなまえが幸せになりたい人と一緒に開いてね』

母の言葉がゆっくり脳内を巡る。一緒に開くことはできなかったが、幸せになりたい人であることに間違いはない。中に何が入っているか、私もわからない。帝統さんもアキも、あのナンバーロックを解くことができるのだろうか。…きっとできないんだろうな。だから夏と無事に帰って、やっぱりみんなで一緒に開けよう。

「着いた。降りれ」

低い音で発される命令口調に夏の肩が跳ねる。大丈夫、お姉ちゃんが絶対守るからね。そういう意味を込めて抱きかかえた。目を真っ赤にさせて静かに泣き続ける夏に、ごめんね、と小さく口にして。それから車を降りて促されるまま歩いていく。中王区に来るのはいつぶりだろう。

「…やっと会えたな」

仰々しい扉の向こうで微笑んだのは勘解由小路無花果だった。ああやっぱり貴女の仕業なんですね、と厭味ったらしい視線を送り返す。夏をそっと降ろし、手をがっちりと握りしめた。座れ、と言われるがままふかふかのソファに二人で座り込む。どこもかしこも、整いすぎていて居心地が悪い。

「久しいな。元気にしていたか」
「はい。おかげさまで」
「まさかお前が政府の目を欺くほど隠居生活に力を注ぐとは思っていなかったよ。少々見くびっていた」
「……そう、ですか」
「だがこうして見つかってしまっては意味がない。言っていることがわかるな?」
「お言葉、ですが、そちらが望むような力も能力も、私にはございません」

母は優秀な人だったと聞いている。詳細は、あまり覚えていたくもないけれど、それでも育ててもらっただけでもわかることが沢山ある。優しくて、気遣いができて、人の心をわかることができる人。いつも笑顔で、家族のことを愛していた人。確かに私にも夏にも秋にも、母の遺伝子は流れているが、だからといって政府の求める母のような能力を持ち合わせている訳ではない。それに、

「母はヒプノシスマイクを人を助けることができる素敵なものだと言っていました。私は今のあなた達のやり方には納得がいってません」
「ハッ!拒否権があるとでも思っているのか?」
「あります。何度も言っていますが、お金も地位も名誉もいりません。私がほしいのは、」
「全部くれてやると言っているだろうが」
「……私がほしいのは、貴女からは絶対にいただけません」

ピリリリリ、とけたたましい音を上げてポケットが震えた。驚いて画面を見れば山田二郎と表示されている。二郎くん、何か用事でもあるのかな、と思いつつもその着信をとることはできない。彼の名前を見た無花果さんの表情が変わる。

「山田二郎と接触があるのか?」
「高校のお友達です。二郎くんはなんの関係もありません」
「ほう…。では、有栖川帝統は?」
「っ、なに、も」

その先は無花果さんの笑い声で掻き消されてしまった。嘘の吐けない自分に腹が立つ。ぎゅ、と拳を膝の上で握りしめれば小さな手がそれを包む。夏が首を横に振って、それから柔らかな声で言う。

「おねぇちゃん、絶対アキとだいすにぃちゃんのところに帰ろうね」
「……うん、ごめんね、」
「どうして? おねぇちゃんはなにもわるいことしてないのに。…おねーさん、こんにちは。みょうじナツです。ごさいです」

突然始まった自己紹介に私も無花果さんも拍子抜けした。夏、と声をかける前に柔らかな声は続いていく。

「おねぇちゃんがほしいのは、ぎゅーってして、あったかくて、しあわせ、ってなることです」
「…ほう、そうか。それはどうしたら満足するんだ?」
「ナツも、おんなじきもちです。おねぇちゃんがいて、アキがいて、だいすにぃちゃんと、おいしいごはんをたべるの」
「おい、お前。飴村乱数に連絡をしろ。…みょうじ姉妹。時間はたっぷりある。後々聞かせてもらおう。今日はもう下がれ」

無花果さんが傍で立っていた女性に指示をする。どうしてあめむらさんに…? すれ違いざまに携帯電話を取り上げられて、広い部屋から追い出される。案内された先は豪華なホテルの一室のような部屋で、息が詰まった。

「………夏、ありがとう」
「んーん!おねえちゃんも、いつもありがとー!がんばってかえろーね!」
「うん。頑張ろうね」



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