「ただいま」

おかえり。と返ってくるのを期待することもなくなってしまった。時刻は既に真夜中を超えていて、溜息と一緒にソファに沈み込む。化粧だけは落として寝なきゃ、と無意識のうちにテレビをつけてメイク落としシートを一枚引っ張る。日付が変わってしまった昨日とも今日とも言い難い日の出来事を簡単にまとめたニュースをぼうっと眺める。夜ご飯はいつのまにか食べなくなってしまっていた。あの頃に比べると随分体重が減ったが、あの頃に比べてその変化が嬉しくない。見せる相手もいないしな、と自嘲気味な思考に歩み寄りつつ化粧を落とし終える。夜ご飯を食べなくなったのと同時期くらいにベッドで眠ることもなくなった。ひとりで眠るには広すぎるからだ。無理に増やしたバイトのおかげでお金は貯まっていくものの、特に大きく使う宛てもなかった。定期購読をついに始めてしまった雑誌に手を伸ばしてその雑誌の中で一番力が入っているであろう特集ページを開く。ページ一面にでかでかと印刷された見慣れた顔に自分の涙が落ちて小さくシミをつくる。傷つくことは自明であるのに、どうしてもやめられない私のナイトルーティン。彼の綺麗な顔が皺くちゃになってしまわないようにティッシュで目元を抑える。見もしないテレビからも彼の声が聞こえる。新しいCMの公開記念会見だそうで。炭酸飲料がやけに似合う爽やかさに笑えてきてしまう。画面や紙などのフィルターを通して見る准くんは、いつも、笑顔だ。

堂々と、悪意的に広められた私達の恋愛は陳腐な熱愛報道として広まって、一週間を超えて、収束した。きっかけは准くん本人の言葉だった。あれからどんなメディアに取り上げられても必ず同じ質問を聞かれることに堪えかねた大人達は未だ19歳であった准くんにその場を委ねたのだ。そうすることを決めたのは誰か知らないが、酷くもあり、賢明であるとも思った。准くんは嘘を吐かないからだ。もう二年も前にもなるテレビの中での出来事は、どこか他人事のような気持ちを抱く癖に、一字一句、一挙一動、忘れられない。

『熱愛報道がありましたは件の女性は恋人ですか?』
「はい。そうです」
『ファンの皆様が悲しまれると思いますが…どんなお気持ちですか?』
「僕にとって彼女は家族と同じです。家族のことを愛しく思う気持ちが悲しいと思われることには納得がいきません」
『ご自身がボーダーの顔であり看板であるというご自覚はないのでしょうか…』
「僕自身そう思っている訳ではありません。ですが市民の皆様はそう思ってくださっているようで、本当に光栄です。だから彼女とはもう二度と会えません」
『ど、どういうことですか!?』
「言ったまま、その通りのことです」
『破局、されたということでしょうか』
「端的に、わかりやすく、関係性だけ述べればそうなのかもしれません。そう思うなら、それで結構です」

角度を変えて何度も同じような質問をされている准くんは、嫌な顔ひとつしない。それどころかしっかり記者の目を見て、いつものように爽やかに言葉を吐き出していた。後ろに立っている根付さんの顔が青白すぎて可哀想になる。一度言い始めたら頑固だって言ったのにな。
結局この会見は時間切れで終了してしまい、また一つ世間を騒がせる話題になった。准くんが曖昧な発言をひとつもしなかったことで『付き合っていたけれど別れた。まだ未練が残っているがこれから同じようなことは起こらないだろう』という中途半端な答えを出して消えていくことになる。ボーダーは准くんを一生独身でいさせるつもりなのだろうか。アイドルのようになってしまった彼には賞味期限があるだろうに。期限が切れた後も内部ではやっていけるから、売れるときに売っておけということなのだろうか。じゃあ、アイドルとしての期限が切れたら、教えてくれれば良いのに。准くんも、私も、かわいそうだ。まだ食べられるし、美味しくなくなることはないのに。一生、彼と、添い遂げたいのに。彼もいっしょなのに。

これだけ大っぴらにやって准くんもボーダーも炎上しなかったのは素直にすごいなと思う。SNSで検索をかけてみても、准くんのことを好きな女性たちはお利口さんの模範解答を正しく行動している。

私もこれくらいお利口さんだったら良かったのにな。そうしたら彼は私だけのヒーローになってくれたのかな。二年も経って一歩も動けていない私のことを、准くんは笑ってくれるのかな。叱るのかな。俺もだよって、言ってくれないかなあ。

「…寝よ」

ひとりごと、ぼたり。
俺もだよって言ってくれないことなんて、私が一番わかっている。彼は振り返らないだろう。私と言う存在を心に抱きかかえはしても、ずっと好きでいてくれていても。私のように立ち止まり、振り返る。それをしないだろう。あまつさえ一歩も進めない私のことを黙認してしまうだろうし、それが世界にとっての正しい選択だ。それでも良いのだ。私も彼も覚えている。私はここから動かない。世界がなんと言おうと関係ない。彼ができない代わりに、私がやろう。
あの日は彼におねがいしてしまったから。


さようなら、私のヒーロー。ふたりの中で、永遠に。

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