壁外のある森の中。木々の狭間で鮮血に染まった刃が鈍く光る。
今まさに仲間を捕食しようとしている巨人の項へアンカーを放つと、リヴァイはブレードを逆手に持ち替え、勢いよく切り込んだ。
血液の飛沫を肌に感じながら地面に着地すると、汚れた手元を見ながら舌打ちをする。
風圧によって黒のマフラーがはためいた。
彼は絶命した巨人の手に近寄ると、そこから抜け出た兵士に声をかけた。
「無事か」
「は、はいっ、助太刀頂きありがとうございました…!」
「なら、さっさと立て」
そこかしこから蒸気が立ち上り視界が悪い。彼らは一度幹の上まで立体機動で移ると、辺りを見渡した。
眼下にある巨人の亡骸を見下ろして兵士は驚愕する。
討伐された巨人の数は優に10体は超えているようだった。
14 溺愛家
1月下旬。
約10日間の壁外調査を終え、調査兵団は本部へと帰還した。
多くの犠牲者を出しつつも、2日で帰還となった前回の壁外調査に比べれば順当な任務になったと言える。
黒髪の長身、ロレ青年は数枚の書類を持って直属の上官の執務室を訪れていた。
ノックをしたが返事はなく、扉には鍵がかかっている。
(まだ戻られていないのか…)
厩舎でエルヴィン分隊長と話しているようだったが、すぐに戻ってくるだろう。
ロレは目を伏せると、この数日間の壁外調査や上官の彼について思考を巡らせた。
"ゴロツキ上がりの兵士"。あの上官がそんな風に呼ばれていたのはまだ数ヶ月前のことだ。
リヴァイ班に入って気づいたのは、彼には並外れた身体能力の他に、勘の鋭さと戦闘に長けた広い視野があるということ。
巨人との戦闘経験値なら負けないと思ったが、今回の壁外調査でそんな考えも覆されてしまった。
鮮血の雨と気化の霧の中で自分を窮地から助け出し、華麗に巨人を削いでゆく姿を見て、はっきりと「敵わない」と思い知らされたのだ。
同時に、この上官は班長という役職に留まる男ではないと思った。そして、出来ることならその背中について行きたいとも。
「リヴァイに御用ですか?」
不意に声をかけられてロレは振り返る。
そこには小柄な女性が立っていた。
綺麗な黒髪は結い上げられ、澄んだ漆黒の瞳が彼を映す。
「リヴァイなら壁外調査でまだ戻っていませんけど…あなたは?」
「自分はリヴァイ班長の部下のロレ・フランツといいます。今帰還したところで、班長に渡す書類があって来たのですが…」
「えっ、帰還…?リヴァイも戻ってきてるんですか?」
「はい、うちの班は全員揃っての帰還となりました」
女性は目を丸くしてロレを見上げた。
その手には土で汚れた手袋が握られ、よく見れば頬にも土がついている。
「運搬したあとずっと倉庫で作業していたから気づかなかった。そっか…無事帰ってきてよかった」
彼女は安堵の溜息をつきながら目を細めた。
「私はname・fam_nameといいます。よろしかったら書類をお渡ししておきましょうか?」
「いえ、これは壁外調査に関する内容書類ですので自分で」
「あ、そうですよね。でしたら、中で待たれてください」
そう言うと彼女は扉の鍵を開けて、ロレに中に入るよう促した。
彼は軽く会釈をすると、お言葉に甘えて中で待たせてもらうことにした。
「どうぞソファに」
「nameさんは今日は厨房の勤務ではなかったのですか?」
ソファに腰掛けながら尋ねる。リヴァイの恋人である彼女が厨房勤務というのは周知だ。
「今日は午後から野菜の運搬作業を手伝ってて、数が多かったからあっという間に夕方になっちゃいました。外で仕事をするとやっぱり寒いですね」
揺れる黒髪とは対照的な真っ白なマフラーがnameの首には巻かれている。端の部分に黒のラインが編まれているシンプルなそのマフラーには見覚えがあった。
「壁外はもっと寒いんでしょうね。風邪をひかないように気をつけてくださいね」
言いながらnameは暖炉に火を灯した。
柔らかな雰囲気の彼女に、ロレは色々と聞いてみたくなった。
「質問をしてもいいでしょうか」
「?はい」
「普段の班長はどんな人ですか?」
素朴な疑問だった。
普段のリヴァイがどんな風に過ごしているかあまり想像がつかない。
「どんなと聞かれると難しいですけど、思ってるより普通だと思いますよ」
「非番の日は何をされてるんですか?」
「うーん…部屋の掃除かな」
「え?」
思わず間抜けな声が出てしまった。そして、リヴァイには潔癖症という噂があることを思い出す。
「確かに班長は神経質な人ですし…色々と大変そうですね」
「慣れてしまえばそうでもないです。それに、彼は優しい顔も持っているので」
「優しい…ですか?」
"リヴァイ"と"優しい"という単語の組み合わせが何ともミスマッチだった。
そんな考えが顔に出ていたのか、nameは逆に質問をしてきた。
「ロレさんは、リヴァイのこと苦手ですか?」
「いえ……尊敬、しています。何を考えてるのかわからないところもありますが」
「うーん、まあ、怖い顔してることの方が多いですからね」
「怖い顔って…恋人のあなたが言っちゃいますか」
「ふふ。でも、リヴァイはああ見えて仲間思いなんですよ」
彼女の言う通り、リヴァイは戦闘中でも班員をよく気にかけているようだった。
ロレ自身、壁外では何度も彼に窮地を救われた。
「ロレさんもいずれ、きっと心から信頼するようになると思います」
自信ありげな彼女の言葉。長く隣にいる彼女が言うからこそ説得力のある台詞だった。
ロレは素直に頷く。
「そうなりたいものですね。そして、自分も信頼してもらえるよう精進します」
ここへ来て、ロレは初めて笑った。
その笑みに応えるようにnameも頬を綻ばせる。
笑ったロレの瞳にファーランと同じ想いを見た気がして、少しだけ胸が切なくなった。長身なシルエットや思慮深そうな性格も少し彼に似ている。
「そういえば、失礼ですけど、nameさんはおいくつですか?」
「20歳ですよ」
「なんだ、じゃあ1つしか違わないんですね」
「ということは21?」
「いえ、18です。今年19」
「え!年下だったの!?」
リヴァイ程ではないが、ロレもあまり表情筋が柔らかい方ではない。
落ち着き、大人っぽい雰囲気から彼を年上と思っていたnameは目と口を丸くして驚いた。
「ずっと敬語使っちゃってたよ。ロレくんも丁寧な口調だし」
「まあ、自分のは癖みたいなものなので」
緊張して損した、と言ってnameは歯を見せて笑った。
少し砕けた口調や表情が年齢より彼女を幼く見せる。ころころと表情を変えるnameを彼は素直に可愛いと思った。
ふと、彼女の頬の土汚れが目に入った。
先ほど伝え忘れていたため、今教えようとロレは席を立つ。
「あ、nameさん、頬に…」
ロレが彼女の頬を指さした瞬間、部屋の扉が開かれる音がした。
「随分と賑やかだな」
「リヴァイ!」
静寂と冷気に包まれていると思っていた彼の自室は、暖かな空気と楽しげな話し声が響いていた。
nameはぱっと笑顔の花を咲かせると、リヴァイに駆け寄った。
「おかえりなさい」
「name、今日は仕事じゃなかったのか」
「仕事だよ。外で野菜の運搬をして、今さっき部屋に戻ってきたところ」
「なるほど」
nameの厚着をしている理由に納得したらしいリヴァイは、彼女の頬の汚れを親指で拭った。
そのまま軽く頬を撫でる。
そして、ちらりと客人へ目線を移した。
「お前は何の用でここにいる」
「はっ。班員の提出書類をお持ち致しました」
「討伐数やらを報告するあれか…ロレ、お前は仕事が早くて助かる。もう下がっていい」
「…………」
(下がっていい、というよりは)
久しぶりの恋人との時間を味わいたいから早く出ていけ、と言っているように聞こえる。
ここは空気を読んで退散するとしよう。
「では、失礼致します」
敬礼をして出口へと足を進める。
扉を閉める直前、見てはいけないと思いつつもロレは視線を2人に向けた。
抱き寄せた彼女に口付けようとするリヴァイの横顔が目に入った。
慈しむように触れる手は、数時間前まで巨人を削いでいたものとはまるで別物のようで、ロレは少々、いや、かなり面食らった。
しかも、彼の首に巻かれているマフラー。
白と黒で色こそ違えど、どう見てもデザインがnameのマフラーと同じだった。
つまり、お揃いである。
『どんなと聞かれると難しいですけど、思ってるより普通だと思いますよ』
彼女はそう言ったけれど。
いやいや、あれはどう見ても普通以上だ。
愛妻家、だと語弊があるので、"溺愛家"とでも言ったところだろうか。