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調査兵団が本部へと帰還したのは、外がすっかり暗くなった頃のこと。
待機していた医療班や医師たちが負傷者の手当に走り回る。
誰もが慌ただしく動き回る空間で、リヴァイだけが立ち尽くしていた。

「リヴァイ」

不意にかけられた声に、彼はぴくりと肩を揺らした。

name。
一人でいる俺を不思議に思ってるに違いない。
後ろを振り返ったら、まず、なんと言ってやればいい?

帰りの道中で、nameに2人の死を伝えるのは最も苦しい場面になるだろうと想像していた。
2人の死を聞いた彼女は狼狽え、動揺し、呼吸を乱して泣くことだろう。
どんな風に伝えても結果は同じだろうが、できるだけ彼女を傷つけたくないという思いがリヴァイの中にはあった。

nameはゆっくりとした足取りでリヴァイの前に回り込む。
俯いたままの彼の体や顔に怪我がないのを一通り見ると、泥で汚れた頬にそっと触れた。

「おかえりなさい」

予想と違う彼女の反応に、リヴァイは顔を上げる。
nameは彼と目が合うと、泣きそうな顔で微笑みかけた。
その瞳は、何かを問うでもなく、責めるでもなく、ただ労わるような優しい漆黒。

「ああ…ただいま」

やっと出せた言葉はそれだけ。
彼女を動揺させまいと思っていたのに、逆に狼狽えてしまったのは自分の方で。
頬に触れている彼女のあたたかな手に、リヴァイはそっと自分の手を重ねた。



22 おかえり



一度兵舎に戻り、大浴場でシャワーを浴びたあと、リヴァイはそのままの足でnameの部屋へと向かった。
部屋に入ると、品の良い香りが室内に充満していることに気づく。

nameは一つしかない椅子へとリヴァイを促すと、淹れてきたばかりだという紅茶を差し出し、自分はベッドへと腰を下ろした。
リヴァイは椅子に腰掛けると、湯気の立つ紅茶へと口付けた。
地下で飲んでいた頃と同じ、丁度よい濃さだった。

いくらか気分が落ち着いてきたリヴァイは深く息を吐くと、知った真相の全てを話し始めた。
ロヴォフの書類は手に入らなかったこと、そもそも自分達は初めからエルヴィンに踊らされていたこと。
2人の死についても話したが、どんな最後だったかは言わなかった。

「…すまない」
「……リヴァイだけでも、無事に帰ってこれてよかった」

リヴァイの謝罪に、nameは首を振って力なく笑う。
その反応にふと違和感を覚えた。
無理して笑っているのはわかる。が、彼女の様子は妙に落ち着いていて冷静だ。
自分の知るnameは仲間達の死に胸を痛め、動揺し、涙するはずなのに。

「私たちだけになっちゃったね…これからどうするの?」

じっと見つめてくるリヴァイに、nameは今後について問いかけた。
その話題転換にやはり違和感を覚えつつ、彼は壁内へ戻る道中でずっと考えていたことを口にする。

「調査兵団に身を置く」

それがリヴァイの決めた答えだった。

「どのみち兵団から出ればまた地下に逆戻りだ。俺はエルヴィンに降ってこれからも壁外へ行く」

リヴァイの言葉が意外なものだったのか、nameは目を見開く。

「あんなにエルヴィンさんのことを嫌っていたのに…2人のことだってあったのに…どういう心境の変化なの?」
「あいつらを殺したのはエルヴィンじゃねえ。巨人共だ」
「それはそうだけど…」

nameは腑に落ちない様子だった。
彼女が納得できないのはエルヴィンに降るという点。

兵団に来てすぐ足の異変に気づき、医師へと診せてくれたエルヴィンにnameはとても感謝していた。
だというのに、彼は出会う前からこちらの計画に気づき、自分達を踊らせていた。

ロヴォフのしていた不正は当然悪で、その片棒を担いで甘い蜜を吸おうとしていた自分達にも充分な非がある。
けれど、それでも、2人の死へと繋がるきっかけとなったエルヴィンのことをnameは少なからず許すことができなかった。
無理もない、とリヴァイは思う。
エルヴィンを殺そうとしたときの彼も、憎しみに突き動かされていたのだから。

「エルヴィン、あいつは俺には見えない何かを見ている。壁の外のことなんざ興味はなかったが、今回の壁外調査で戦う理由ができた」
「戦う理由…?」
「このままではあいつらが報われないというのもある。が、一番の理由は…」
「……?」


壁の中に守りたいものがあるなら戦え───!


エルヴィンの叫びが頭の中で未だに反響している。

先の言葉を待つnameをリヴァイは黙って見つめた。
出会った時から彼女は所謂普通の女で、兵士になるなんてことは到底無理だろう。
この手に抱いたからこそわかる。彼女の体はどこもかしこも柔くて、脆くさえ感じる。

そんなnameがもし巨人に遭遇したら、なす術もなくあの気持ち悪い顔に眺められながら口の中へと落ちていくに違いない。
恐怖に泣き叫ぶ彼女を想像すると、どうしようもなく胸クソが悪い。

それだけは。その未来だけは決して許すわけにはいかねえ。

「この壁の中に絶対の平和なんざ保証されてねえんだよ」

あいつの暑苦しい演説を聞かせれば、胸に芽生えたこのわけのわからない感情がnameにも伝わるだろうか。
壁の中にいるだけでは大切なものを失いかねないという途方もない焦燥感。
戦い、巨人の謎を解明していかなければ彼女を守ることはできないという思いが、兵士となる覚悟を決めさせた。

「…わかった。リヴァイがそこまで言うなら私も納得して兵団に残る。本当はもう壁外へは行ってほしくないけど…それが調査兵団の使命だものね」

調査兵になった以上壁外調査を避けることはできないと、ハンジの説明でnameはよく理解していた。

「それにここでの生活も悪いことばっかりじゃないよね。いい人たちも多いし…厨房の仲間達のことを思うと、いつか皆を裏切ってここを出ていくのが心苦しいなって思ってたんだ」

nameは声のトーンを少し上げた。
その明るい振る舞いにリヴァイは遂に我慢できなくなり、苛ついたように声を荒げた。

「name、てめえ、何笑ってやがる」
「え?」
「あいつらが死んだこのクソみてえな日に、無理して笑ってんじゃねえよ。泣きたいなら泣けばいいだろ」

何度も涙を滲ませては堪えて笑うnameが無性に腹立たしい。
───どうしてこんな日に笑える?
自分や、ファーラン、イザベルの中に居場所を見つけ、お前はそれを大切にしてきたんじゃなかったのか。
今日くらいは、こんな残酷な世界を許せないと罵ってもいいはずだろう?


少しの間のあと、nameは伏せ目がちに口を開いた。

「2人と約束したの…だから、泣いたりなんてできないよ」

自身の手をぎゅっと握りしめる彼女の声は震えていた。

(約束…?)

リヴァイは苛立つ頭の隅で呟く。
nameは自身を落ち着かせるように息を吐くと、握っていた手をゆっくりと摩った。
その動きがイザベルの頭を撫でた時のものと重なって見え、リヴァイはスラックスのポケットに入れ替えてきた"あるもの"の存在を思い出した。

「name、お前に渡すものがある」

リヴァイはポケットに手を入れると、それを握りしめた。
彼女の前に拳を差し出し、そっと手を開く。
その中にあるものが何だかわかると、nameの目ははっと見開かれ、大きく揺れた。

「あ…あ…それ……!」

思わず口に手を当ててリヴァイの掌を凝視する。

そこにあるのは、イザベルにあげたはずの髪紐。彼女の赤毛によく似合う橙色。

「片方だけ持って帰ってきた。ファーランの方は持って帰れるようなもんがなくてな、すまねえが、……!」

リヴァイは目線を上げると、言いかけていた言葉を飲み込んだ。

大きく見開かれたnameの瞳からは涙が溢れていた。
口元を押さえる手が震えてしまっている。

───これだってカッコイイだろ?

夢で会ったイザベルの朧気な笑顔をnameは思い出す。
そっか、そういうことだったんだ。
2人は、リヴァイと別れた後すぐに会いに来てくれてたんだ。
あれがただの夢だとは思っていなかったけれど、あまりの信じられない出来事に胸が打ち震える。

nameはおそるおそるリヴァイの掌に手を伸ばすと、橙色の髪紐を受け取った。
所々に血痕で汚れてしまっているそれに頬を寄せる。


「…おかえり」


そう声をかけると、もう、嗚咽を堪えることができなかった。


リヴァイはnameの横に移動すると、彼女の手を握って引き寄せた。
そろりと見上げてくる瞳から堰を切ったように涙が溢れ続けている。

「nameよ、俺の前で無理をするのはやめろ」
「…でも」
「お前にとって俺はそんなに不甲斐ない男か?俺にはもう…お前しかいねえってのに」

リヴァイはnameの涙を親指で拭うと、包むように彼女を抱きしめた。
抱きしめられる瞬間に交錯した彼の眼がとても物悲しそうに見えた気がして、nameは胸が締めつけられるようだった。
彼の背に手を回して抱きしめ返す。

「ごめん、なさい…支えるって約束したから、リヴァイの前で泣いたりしたくなくて」
「…馬鹿が」

2人との"約束"とは、どうやら自分を"支える"ということらしい。
いつの間にそんな約束をしてやがったんだ。
言い出しっぺはファーランに違いなく、それに便乗するイザベルの悪戯な笑顔も想像できて思わず苦笑する。
最後の最後に、あいつらはお節介をしていきやがった。


「支えるってのは、どちらか一方が大木である必要はねえんだよ」


リヴァイはそう言ったっきり、nameの肩口に額を押し付けて黙ってしまった。
らしくなく目頭が熱くなって、震える息を吐き出す。

これで折れてしまうほど細い枝ではない。
しかし、傾かずにいられるほど自分は太い大木ではない。

俺という幹が寄りかかれるのはnameだけだというのに、お前は何を無理してやがる。
そんなことしなくたって、お前は充分に支えてくれている。


微かに震えるリヴァイの背を擦りながら、nameは濡れた目を窓へと向けた。
白く優しい月光が外から差し込んでいる。
深い闇の中にあるのは細い三日月。
2人の喪失はぽっかりと穴をあけて、心はあの三日月のように欠けてしまった。

もしもリヴァイまでが居なくなってしまったら。
私の中からは三日月すら消えて、この空のような深い闇だけが残るだろう。

でも、彼がいてさえくれれば。
私は大丈夫。

欠けた月だって、きっとまた丸くなっていけるはず。



chapter03 END



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