×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -




食堂から別棟へと移動すると、エルヴィンは目的の扉の前で止まった。
扉には「医務室」と書かれていた(勿論nameには読めない)。
エルヴィンが拳でノックをすると、中から「どうぞ」と返事がした。
扉を開け、エルヴィンはnameを先に入れさせる。
中に入ると、白衣を着た男が振り返った。



09 白の空間



白いカーテン、白いベッド、白衣の男性。
特有の消毒液の匂いが鼻につく。

「病院…?」
「そんなに大層なものではないが、兵団には専属の医師が何人かいてね。傷ついた兵士達はここの世話になる」

戸惑うように立ち止まったnameの背をエルヴィンがそっと押す。
この白い空間は苦手だ。
病院も好きじゃない。
両親が死んだ時のことを思い出してしまうから。

医師と思われる男は椅子から立ち上がると不思議そうに首をかしげた。

「エルヴィン、怪我でもしたのか?壁外調査はまだ先だろう」
「ああ、アルツ。診てほしいのは彼女だ」
「誰だ?」
「明日から食堂で働いてもらうnameだ」
「ほう」

医師と目が合ったので、nameはぺこりと頭を下げた。

「name・fam_nameです。よろしくお願いします」
「俺はアルツ・バウマン。見ての通り医者だ。よろしく」

アルツは人の良さそうな笑みを見せた。
見た目からしてエルヴィンと同い年くらいのようだ。

「で、どこが悪いんだ?見たところ顔色はそんなに悪くないが」
「いえ、どこも悪いところは…」
「足を診てやってほしい」
「足?」

ノーを示すように両手を振ったnameの言葉をエルヴィンが遮った。
"足"という単語に、医師のアルツだけでなくname自身も疑問符を浮かべる。

「…わかった。ちゃんと診るから、エルヴィン、お前は出ててくれ」
「ああ、私は職務があるので戻る。name、元来た道はわかるか?」
「…恐らく」
「まあ、迷ったら近くにいる者にでも聞いてくれればいい。では、失礼するよ」
「あっ…」

エルヴィンが出ていくと、この苦手な空間にアルツと2人だけになってしまった。
アルツに座るよう促されたが、体調不良を自覚していない身としては診察は避けたい。
「念のため診るだけだから」とアルツが安心させるように笑いかけると、nameは渋々椅子に腰を下ろした。

アルツは問診しながら紙にペンを滑らせる。
大きな病歴のないnameのカルテには特記することはないが、出身を"地下"と聞いてペンが止まった。
"地下"と"足"。
エルヴィンの言わんとしたことがわかった気がした。
彼女の下瞼の色や扁桃腺の具合を簡単に確認して、再びペンを走らせる。

「ちょっと、この部屋を歩いてみてくれる?」
「……?」

アルツの指示を不審に思いながらも、nameは部屋を歩き回った。
僅かな変化も見逃すまいと、アルツは彼女の足の動きを目で追った。
暫し歩き回ったあと、アルツは「もういいよ」と言って、再びnameを椅子へ座るよう促した。
カルテにすらすらと文字を書いていく。
読めない文字で埋まっていく紙面に、nameは不安を感じ始めた。

「…あの、私の足、どこか悪いんでしょうか?」

アルツは記入を終えると、nameに真っ直ぐ向き合った。

「自覚症状がないみたいだけど、君は歩く時たまに右足を引き摺る瞬間がある。ただの癖とも判断できるが、地下の出身なら病気の可能性もある。エルヴィンもそう考えて君を連れてきたんだろう」
「それは…歩けなくなるという、あの病気のことですか?」
「ああ、地下だと珍しくない病気らしいね。結論から言うと、君が過ごしてきた環境を考えればその病気を患っている可能性は充分にある。本当に思い当たる節はないかい?例えば、転びやすくなったとか」
「………あっ」

"転ぶ"というワードを聞いて、nameははっとした。
ここしばらくの間で、思い当たる場面はいくつかあった。

地下街では、日光が足りないせいで足を患ってしまった人たちを何人も見てきた。
太陽を求めて地上へ行こうにも階段の通行料が高く、地上へ行けたとしても、居住権が無ければ長居することはできない。
あの病を患うことは絶望を意味する。
松葉杖を力なく掴み、道端に座り込んだままの女性と目が合ったことがある。あの色を失くした目を思い出して、nameは血の気が引いた。

「まさか…っ、ただの運動不足だと思ってて…そんな、病気だなんて」
「落ち着いて。例え病気だとしても、幸いなことに、君の状態は非常に軽度なものだ。薬を飲んで、よく日光を浴びて、健康的な生活をしていけば回復していくよ」
「え…本当ですか…?」
「ああ、この程度の症状の段階で診ることができてよかった。すぐに薬を処方するよ」

アルツの言葉を理解しつつも、恐怖を感じた心臓はまだ嫌な音を立てている。
それでなくとも、今日は色んなことがあって頭が混乱していた。
深呼吸を繰り返すnameに、アルツは「大丈夫だ」と声をかけた。

「今、服用しているしている薬はある?」
「いえ…あ、」

薬と言われて、荷物の中に入っている白い包みを思い出した。
一週間ほど前。顔色が悪く、貧血気味かもしれないから飲むようにと、リヴァイに渡された薬だ。
病院が苦手なら薬も苦手なnameはそれを強く拒否したが、リヴァイは譲らなかった。
困ってファーランとイザベルに助け舟を求めたが、確かに顔色が悪いから飲んでおけと、彼らも味方にはなってくれなかった。
それから一週間、リヴァイに小うるさく言われながらその薬を服用していた。

「貧血の薬らしいんですけど」

nameは荷物から薬の包みを出してアルツに渡した。
彼は包みを受け取り、走り書きされた薬名を確認すると、驚きの声を上げた。

「これは…!name、これを貧血の薬だと思って飲んでたのか?」
「はい…違うんですか?」
「これは、ちょうど今、処方しようと思っていた足の薬だよ」
「……え?」



─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─ ─



長い廊下に自分の靴音だけが響く。
兵服を着ていないためか、時々すれ違う兵団の人達からは視線を向けられる。
だが、今はそんなことは気にならない。

ぐるぐると、頭の中で色々なことが浮かんでは消える。
リヴァイは、いや、リヴァイだけじゃない。
あの薬を渡してきた3人は足のことに気づいていたのだ。
気づいていて、黙っていた。
何のために?
不安にさせたくなかったから?
けれど、黙っていたって病気が進行すればいずれは自覚する。
貧血の薬だと偽って飲ませ続けるのにも限界がある。

『このタイミングで地上へ来れてよかったな』

診察室の去り際に言ったアルツの言葉が木霊する。
あの薬を渡されたのは一週間前。
それより前に彼らがnameの足に気づいていたとしても、このタイミングで調査兵団が接触してきたのは、あまりにもできすぎている話に思えた。
これらの出来事が、見えない線で繋がっているような気がしてならなかった。

ぼんやりと考えながら足を進める。
前から兵士が歩いてきたので、ぶつからないように横へ逸れる。
そのまますれ違おうとすると、腕を掴まれた。

「おい、無視するんじゃねえよ」
「へ…り、リヴァイ!?」

腕を掴んできたのは、兵服に身を包んだリヴァイだった。
ぼーっと歩いていたので、兵服を着た兵士は皆同じ顔に見えて、気づかなかった。
少し離れて、彼の頭のてっぺんからつま先までを見る。
真新しい兵服に身を包んだリヴァイは、彼からしたら全く不本意かもしれないが、とてもよく似合っていた。

「リヴァイ、兵服似合うね」
「ちっ…嬉しくねえな。それより、エルヴィンの野郎と消えたきり戻ってこないと聞いたから探し回っただろうが。どこに行ってた?」
「…兵団の中を案内してもらってた」
「じゃあ何故1人でいる」
「えっと…何か、職務があるとかで先に戻ったみたい」
「ああ?案内しておいて1人にする奴があるかよ。あの野郎、ふざけやがって」

この説明では完全にエルヴィンが悪者になってしまうが、nameの頭の中はさっきからリヴァイに聞きたいことでいっぱいだった。
なんと切り出したら良いかと迷っているうちに、リヴァイは「行くぞ」とだけ言って、くるりと背を向けてしまった。
歩き出した彼の腕を咄嗟に掴む。

リヴァイが振り返るより早く、nameは口を開いた。

「兵団に入ることと、私の足のこと…関係ある?」

リヴァイはピクリと顔を上げると、とても、ゆっくりとした動作で振り返った。
見開かれた眼は微かに揺れている。
彼はnameの質問には答えず、ただ、信じられないものを見るように彼女を凝視していた。



back