食卓を囲み談笑していたnameは、自分の失態に気づいてスプーンの人参を皿に落とした。
「石鹸買うの忘れてた」
リヴァイとファーランは揃って彼女を見た。
やってしまった、という顔をしてnameは固まっている。
「石鹸て、風呂の?」
「うん…もう替えもないから今日買わなきゃいけなかったのに」
「そういえば、あと一人分あるかないかって感じだったな」
昨晩、最後にシャワーを浴びたファーランも思い出したようだ。
「すぐ、買いに行かないと!」
「ああ…石鹸がないのは大問題だ」
「あのお店何時までやってるんだろ…ああもう失敗した」
「nameよ、落ち着け。店が閉まってるなら開けさせるだけだ」
残りのスープをかき込み始めたnameを落ち着かせようとリヴァイはフォローした(つもり)が、あまり効果はなかったようで、彼女はすぐに皿を空にした。
既に食べ終えていたリヴァイとファーランの皿を重ね、一緒に自分の皿もわたわたと片付け始めた。
「ファーラン、まだ一人分残ってるなら先に風呂を済ませてろ」
「はいよ。行ってらっしゃい」
ファーランは手をひらひらと振った。
03 揺れる黒髪
目的の店が見えるとnameは駆け出し、その弾みでマントのフードが脱げた。
石鹸のことで頭がいっぱいになっていた彼女は、フードの重みが無くなったことに気が付かなかった。
長くなった黒髪が、揺れる。
店には電気がついており、店仕舞いはまだのようだ。
「ぎりぎり買えてよかった」
買ったばかりの石鹸を買い物袋に入れながらnameは店を出た。
後ろを振り返ると、リヴァイはまだ店内を見ている。
買い出しに付き添うのが久々の彼は、所々新しくなった品揃えが気になるようだった。
自分の失態で付き合わせることになってしまったが、リヴァイが意外にもこの時間を有効に楽しんでいるようなので安心した。
「お嬢ちゃん、綺麗な黒髪だな」
不意に声をかけられ、nameはぴくりと肩を上げる。
たった今褒められたばかりの黒髪を揺らして、声のした方へ振り返った。
そこには見知らぬ男が2人。
彼らはニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべていた。
「おおっ、上物だぜ。娼館に連れていったら高値で売れるんじゃないか」
「ああ。だが、売るとしたら…俺達が楽しんだあとだ」
男達は会話の内容を隠す素振りもなく、ゲラゲラと笑う。
nameは気味の悪さに眉をひそめた。
この世界に来てから随分経つが、こうして男に絡まれたことは一度もなかった。
一人で外にいるせいかと思ったが、ファーランとの買出しの最中で一人になっても、誰かに絡まれることはなかった。
とにかく逃げなければと、店の中へ向かおうとした時だった。
「おっと、どこ行くんだあ?」
首に衝撃を受けてnameは目ん玉をひん剥いた。
ぎょっと視線を向けると、手前の男がnameの首を掴んでいる。
強く掴まれたため気管が絞まり、息が苦しい。
男達はそのまま、素早くそばの路地裏へと身を忍ばせた。
「っく、離し…っ!」
声を出そうとすると、男の指はよりnameの首に食い込み、絞まった気管を更に狭くした。
「───っ!!」
「騒ぐなよお。まあ、騒いでも助けるやつなんていねえけどなあ」
「おいおい、傷もんにすんなよ」
「わかってる。にしても…」
男は苦しげに歪んだnameの顔に自身の顔を寄せると、まじまじと舐め回すように見つめた。
そして、不気味に口角を上げ、舌なめずりをした。
「俺にはわかるぜえ…黒髪に黒い瞳、そして幼い顔立ち…お嬢ちゃん、東洋人だろ?」
男の言葉に、nameは酸欠で細めていた目を僅かに見開いた。
(東洋、人…?)
初めて聞く名称に疑問符が浮かんだが、この状況では頭が冷静に働かない。
黄ばんだ歯をぎらつかせて笑う男から顔を背けるように身をよじると、更に首が絞まった。
「ぐ───っ!?」
痺れる頭でもうだめだ、と思った刹那。
頬に生暖かいものが触れた気がした。
途端、絞められていた首が解放される。
立っていられなくなったnameはその場に崩れ落ちた。
急激に入ってきた酸素に驚いた肺がまるで暴れているようで、何度も咳き込む。
耳を劈くような悲鳴が聞こえ、首元を抑えながら顔を上げると、鈍く乱暴に光る刃が目に入った。
「──リ」
「うあああぁぁぁ!!やめてくれ!!!」
悲鳴を上げた男の手からはドクドクと血が溢れ、滴り落ちた血痕が水溜りのようになっている。
その量を見れば、傷の深さが相当なものだと判断できる。
更にリヴァイは男の顔を何度か殴りつけると、胸ぐらを掴んで凄むように睨みつけた。
「てめぇ…汚ねえ手で人の女に触ってんじゃねぇよ」
「あ、ああぁ……」
「おい、返事くらいしろよ。失礼な奴だな」
リヴァイがナイフを持った手を振り上げると、男はまた戦慄の悲鳴を上げた。
現実離れした光景に唖然としていたnameは、男の声で弾かれたように目に光を取り戻すと、リヴァイの背にしがみついた。
「リヴァイさんやめてっ!!」
「…あ?」
僅かに振り返ったリヴァイの眼は非情な光を宿して見開かれ、冷ややかにnameを見下ろした。
初めて見る彼の冷酷な表情に、思わず手が震える。
「わ、私は大丈夫だから…こ…殺さないで」
「…………」
震える声を絞り出して懇願する。
リヴァイは暫し無言でnameを見つめると、瞼を閉じ、男の胸ぐらから手を離した。
崩れ落ちた男の後ろで、もう1人の男が腰を抜かしたように座り込んでいる。
「す、すまねえ…っ、リヴァイの女だって知らなかったんだ…!許してくれ!!」
男は恐怖に怯えた目をリヴァイに向け、必死に許しを請う。
その姿はnameから見ても酷く哀れな様だった。
リヴァイは男に近寄ると、目線に合わせるようにしゃがんだ。
「てめえら、二度とあいつに関わるな。近づいたら、次は殺す」
「あ、ああ…わかった」
男が頷いたのを確認すると、リヴァイはだらりと下げていた腕を素早く振り上げ、男の太股にナイフを突き立てた。
「ぐっ……があああぁぁぁっ!!!」
「ちっ…うるせぇな」
リヴァイはナイフを引き抜くと、刃に付いた血をハンカチで拭く。
男達から溢れ出る血を凝視したまま、nameは声も出せずに震えていた。
ナイフをしまいながらリヴァイが歩み寄ってくる。
すると、彼は眼を見開き、彼女の右頬を睨みつけて気分が悪そうに舌打ちした。
「ちっ、汚れちまったな」
リヴァイの目線に気づいたnameは自身の頬に触れて確認する。
指先が赤く染まった。
首を解放される直前、頬に生暖かいものが触れたことを思い出す。
そうか、あれは男の血だったのだ。
「これはもう使いもんにならねえ」
リヴァイの手元を見ると、今しがたナイフを拭いたハンカチが握られており、元々白かったであろうそれは殆ど赤色に染まってしまっていた。
「……大丈夫です…帰ってからで…」
ハンカチへ視線を注いだまま、nameはぼんやりと答えた。
「そうか……なら、帰るぞ」
リヴァイはnameの手を掴むと、足早に歩き始めた。
足がもつれそうになりながらついて行く。
「フードは必ず被ってろ」
前を向いたまま言ったリヴァイの言葉に、はっとして頭に触れた。
被っていた筈のフードが脱げていた。
一体いつから?
『綺麗な黒髪だな』
男達はそう声をかけてきた。
外を歩いていて、そんな台詞を吐かれたことはこれまで一度もなかったというのに。
リヴァイとファーランがいることで守られていると思っていたし、勿論、それに違いはない。
しかし、マントとフードで自身を見えないようにしていることも、実は大きな効果があったのだ。
今日だって、しっかりとフードを被っていれば黒髪など目立つこともなかった筈だ。
「……ごめんなさい」
自分の大きな失態に気づいたnameは目元深くまでフードを被ると、震える声で謝った。
リヴァイの耳にそれは届いていたが、彼は応えることなく歩き続けた。