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冷えた長い廊下を歩いていた。
前を歩く警察官はこちらに歩調を合わせることなくどんどん進む。
一つの部屋の前で止まると、ドアを開けて中へ入るよう促された。
真っ白な空間に足を踏み入れる。
ベッドが2つ。横たわる人が2人。
顔には布が掛けてある。
白衣の男がやってきて、静かに布を取った。

「……おと…さ…、おか………」

生まれた時から知っている顔なのに、知らない人みたいに見える。
警察官が何か言っているが、聞き取れない。
聞こえない。
視界がぐらぐらして気持ち悪い。

誰か、誰か。
───これは夢だと言ってよ。



13 悪夢の夜に



煤けた天井が見えた。
nameはぐるりと目を動かしてまわりを確認した。
自分の部屋だ。地下街にある小さな家の。
彼女は目を瞑ると安堵の息を吐いた。

汗ばんだ体に服が張り付いて気持ち悪かった。
心臓は早鐘を打ち続けて止まらない。

久しぶりにあの夢だ。

nameはチェストの硝子時計を見た。
部屋が暗いため時間が確認できない。
体を起こして時計を持ち上げた瞬間、それは滑り落ちた。
パリンと高い音を立てて角が割れてしまった。
手が僅かに震えていた。

(もう何年も見ることなかったのにな)

叔母夫婦の家に住み始めてしばらくは、両親が亡くなった時の夢を見ることが多かった。
いつも魘されて目が覚める。
涙腺が決壊したように泣き続け、泣き疲れて眠る。
当時はそんな夜を繰り返していた。

硝子を片付けなければ。
nameはベッドを出ようとしたけれど、足だけ床に付けて止まった。
そうして落ちた破片を見つめた。
もう元の形に戻ることのない歪な硝子を。
蓋をしていたものが溢れ出す。
懐かしい悲しみに、nameは深く沈んでいくようだった。


隣の部屋から人が出てくる気配があった。
リヴァイだ。
彼はこの部屋の前まで来ると扉をノックした。

「name、何か音がしたが」

低い声がドアの向こうから聞こえた。
nameはゆっくりと扉に近づき鍵を開けた。
開いた扉の隙間から、無表情のリヴァイの顔が見えた。

「どうした」
「…えっと」

nameは何故だかうまく言葉が出てこなかった。
そんな彼女の顔をリヴァイはじっと見つめ、床に落ちている硝子時計へと目線を移した。

「寝ぼけて落としたか」
「そう、ですね…寝ぼけてたみたいです。すみません、いい年して恥ずかしい」

nameは力なく笑った。
リヴァイはベッドまで近づくと、硝子時計を拾ってチェストに置いた。
そして、破片を拾い始めた。

「あ、いいですよ…自分でやりますから」
「悪い夢でも見たのか」

硝子を拾おうとしたnameの手が止まった。
リヴァイの顔を見やれば、深い色と目が合った。

「よくわかりますね、リヴァイさん」
「魘されたあとのガキみてぇな顔してるからな」

リヴァイは手際よく破片を片付けてくれた。
そして椅子をベッド脇に運ぶと、そこに腰かけた。
nameは首をかしげる。

「リヴァイさん?」
「なんだ」
「部屋に戻らないんですか?」
「ガキは悪夢を見たあと、誰かにそばにいてもらいたいもんだろ」

リヴァイはそう言って腕を組んだ。
nameは申し訳なさそうに笑った。

魘された夜に、こうして誰かがそばにいてくれるのは初めてのことだ。
もうすぐ二十歳になるというのに、本当にガキみたいだ。
けれど今は、彼の心遣いが嬉しかった。

nameはリヴァイと向き合うようにベッドに腰かけた。

「聞いてもいいですか」
「なんだ」
「リヴァイさんは…ご両親はいるんですか」
「……母親はとっくの昔に死んだ。父親の顔は知らねぇ」

nameは聞いたことを後悔した。
この人も家族を失っている人だ。

「ごめんなさい」
「あ?別に気にしてねぇよ」

リヴァイは面倒くさそうに舌打ちした。
両手を膝の上に置き、nameを真っ直ぐ見つめた。

「name、お前は遠慮しすぎだ」
「え…?」
「言いたいことがあるなら言え」
「…………」
「…まあ、言いたくなければ別だが」
「……っわたし」

nameは言いかけてやめた。
いま、何を言おうとしたんだろう。
話してどうするんだろう。
こんな気持ち、言ってどうにかなるものでもないのに。

「…………」
「…俺は口が悪いせいで意味が伝わりにくいだろうからな、言い方を変える」
「…?」
「お前が精神的に甘えてきたとしても俺は構わねぇ。だから、言いたいことがあるなら言えよ」

nameは微かに瞳を揺らした。
痛む傷跡を、そっと撫でられたような感覚だった。

リヴァイさんはやっぱり、優しい人。
私が吐露しやすいように、わざとそんなことを言ってくれるのだから。

見透かすような深い灰色と見つめあう。
締めつけられた胸の奥から閉じ込めた感情が溢れ出そうとしていた。
蓋を押し上げて、どろりとこぼれる。

「…元の世界に戻っても、帰る場所はないかもしれません」
「…………」
「必要としてくれる人は…いない、かも」

いざ口に出してみると、とてもむなしかった。

この世界に来てからずっと考えていた。
本当に元の世界に帰りたいのか?
それがイエスならば、いったい誰のためなのか。

nameの瞳から涙がこぼれた。
何度拭っても視界は悪くなるばかりだった。
彼女の濡れた漆黒をリヴァイは静かに見つめていた。

「何故そう思う」
「私も両親を亡くしました…育ててくれた人はいるけど…でも…」
「…そうか」
「本当に元の世界に戻りたいのか、何のために帰ったらいいのか…自分でも、わからなくなってしまいました」

それから2人の間には沈黙が流れた。
nameの涙の音だけが聞こえる。
彼女は俯いて、やっぱり後悔していた。
悪い夢を見たって、感情的になったって、こんな話はするべきではなかった。
恩人である彼をきっと困らせてしまっている。

涙を拭うnameの拳がそっと包まれた。
滲んだ視界の中で、リヴァイの手が重ねられていた。
あたたかい手だ。

nameがそろりと顔を上げると、彼は真っすぐな眼で彼女を見つめていた。
視線が絡み合ったまま数秒。
静寂はリヴァイが立ち上がったことで破られた。
彼はnameの手を引いて立たせると、力強く彼女を抱き寄せた。
突然のことだった。
nameは彼の腕の中で一瞬固まり、そしてすぐに身を引こうとした。
だがリヴァイはそれを許さず、腕に力を込めてさらに強く、彼女を抱きしめた。

「…っリ」
「nameよ、少なくとも、この世界にはお前を必要とする人間はいる」
「え…?」

リヴァイはnameの肩を掴んでそっと身を離すと、赤くなった瞳を覗き込んだ。

「俺たちは」

言いかけて、リヴァイは考えるように間を置いた。
彼女の肩に触れる手に力を込めると、再び口を開いた。

「俺は、お前を必要としている。使用人だからじゃない。name、お前自身が必要だ」
「リヴァイさん…」
「元の世界に場所がないのなら、ずっとここにいろ」
「えっ…」

nameは言葉を詰まらせた。
驚きを隠せない。
彼の言葉は思ってもみないものだった。

「どうして、そんなこと…」

蚊のなくような声でnameが尋ねる。
リヴァイは眉根を寄せると、苦しげな笑みを見せた。

「お前がきてから俺の世界は少し変わった」

彼の低い声が、少しだけ震えている気がした。

「こんなごみ溜めの地下でも、お前がいると、毎日が悪くねぇと思える」

nameは顔をくしゃりとさせると、また子どものように泣いた。
冷たい泉に、リヴァイの言葉のひとつひとつが落ちて、優しい波紋を広げていくようだ。

こんなに嬉しい気持ちは、生まれて初めてかもしれない。

「おい…もう泣くな。俺が泣かせてるみたいだろうが」
「ごめんなさい…でも、嬉しくて」

開けられた蓋の中を覗き込めば、溢れた分だけ軽くなっていた。
この世界にきたときからずっと、リヴァイには助けてもらっているというのに。
今夜もまた、救われた。

リヴァイはnameの頭にそっと手を置くと、不慣れな手つきで撫でた。
彼女が泣き止むまで、そうしてくれた。



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