寝返りを打ったタイミングでnameは目が覚めた。
煤けた天井がまず視界に入った。
知らない場所だ。
頭がぼうっとしている。
長い間眠っていたような感覚だった。
何度か瞬きを繰り返す。
ゆっくりと思考が動き出した。
(いつ、眠ったの?)
眠る前の記憶が曖昧だった。
分かるのは、見えている天井が自分の部屋のものではないということ。
ここはどこなのだろうと、部屋を見渡すために顔を動かすと、すぐ横で男が自分を見下ろしていた。
03 噛み合わぬ会話
「!!」
nameは思わず飛び起きて身を引いた。
前屈みになって座っている男の黒い前髪は垂れ下がり、目元に掛かっている。
そこから覗く双眼は鋭く、彼女を捕らえて離さない。
nameはそのまま金縛りにあったように動けず、声も出せなかった。
すると、男の後ろにあるドアが開かれ、もう1人別の男が顔を覗かせた。
「お、起きたのか。眠り姫」
入ってきた男は銀色の髪をしていて、座っている男よりかは柔らかな雰囲気をしていた。
どちらにしても、2人とも日本人には見えなかった。
「率直に聞く。てめぇは地上から来たのか?」
話しかけてきたのは黒髪の男だった。
剣呑な雰囲気を感じ取れる。
それに恐怖すると同時に、nameの頭には疑問符が浮かんだ。
この男の質問の意味が理解できない。
「…………」
「おい質問に答えろ。まさか喋れねぇのか?」
「…………」
「てめぇ」
男は苛立ったのか、nameに掴みかかろうと手を伸ばした。
nameは思わず身を固めて目を閉じた。
「怖がらせてたら何も喋んないぞ、リヴァイ」
恐る恐るnameが目を開けると、銀髪男が止めに入ってくれたようだった。
黒髪の男は舌打ちすると、どかっと音を立てて再び椅子に腰を下ろした。
「怖がらせて悪かったな、俺はファーラン。お前の名前は?」
「……あ、と…fam_namename、です」
「ちっ…喋れるんじゃねぇか」
ぎこちなく喋ったnameに、黒髪の男は再度舌打ちをした。
ファーランは不思議そうな顔をしている。
「fam_name・name?変わった名前だな」
本来のイントネーションとは違う読み方をされ、相手が外国人だったということに気づいたnameは急いで訂正した。
「すみません、順番が逆でした。name・fam_nameです」
「ふうん。どちらにしても馴染みがない名前だな」
ファーランは首をかしげて名前を復唱した。
彼らに馴染みがないのは日本人の名前だからだろうとnameは思った。
「じゃあname、さっきと同じ質問だ。お前は地上から来たのか?」
「地上、ですか?」
nameは少しずつ冷静さを取り戻しつつあるが、質問内容を理解できないのは変わらずだった。
先程からこの人たちは何を言っているのだろう。
「すみません、質問の意味がわかりません。ここはどこなんでしょうか?」
nameの返答に2人は顔を見合わせた。
自分の答えが彼らの求めているものではないということは、その表情から伺える。
「ここはウォールシーナの下。地下街だ」
「ウォール…?」
「…リヴァイ、何か様子がおかしいぞ」
ファーランは困惑した様子だった。
それはnameも同様で、目線が2人の顔を行き来している。
黒髪のリヴァイと呼ばれた男は、足元から何かを引っ張りあげて自身の膝の上に置いた。
nameの鞄だった。
「あっ…それは」
「これはてめぇの物で間違いないな?」
「は、はい」
リヴァイは許可なく鞄の中に手を入れると、横長の財布を出した。
中から紙幣を取り出しnameに見せた。
「これは金だよな。だが、こんな紙幣は見たことがない。銀貨や銅貨もだ」
「リヴァイ、いつの間に…」
「他にも見慣れないものがてめぇの鞄には入っていた」
リヴァイは次々と鞄から物を取り出してベッドの上に投げた。
置かれたのはスマートフォンやパスケース、スケジュール手帳など。
nameにとっては見慣れたものばかりだった。
「てめぇは何者だ?どこから来た?」
リヴァイは空になった鞄を他のものと同様に投げると、腕を組んでnameを睨みつけた。
nameの困惑は益々広がるばかりだった。
自分の持ち物を勝手に広げられて少なからず不快であったし、何故こんな物言いをされなければならないのかわからなかった。
(この人が何を言ってるのかわからないけど…とにかく帰らないと)
nameは手元に落ちているスマートフォンを拾ってボタンを押した。
電源は着いたが、画面の左上には「圏外」の文字が表記されている。
(地下って言ってたっけ…)
「あの、どうやったら地上に出られますか?」
「あ?」
「ここ圏外なんです。地上に出れば電波が入ると思うんですけど」
「…この女は何を言ってやがる?」
リヴァイは眉間に皺を寄せてnameを見た。
ファーランも今の彼女の発言には険しい顔をしていた。
「簡単に地上に出られるわけないだろう?お前、本当に何なんだ?」
その言葉に、nameは閉口した。
2人の顔を見ながら考え始める。
誰もが持っている持ち物を「見慣れない」と言ったり、地上へは「簡単に出られない」と言ったり、彼らは明らかに変だ。
しかし、ふざけているようには見えない。
2人は慎重に意思の疎通を図っては、警戒しているようだった。
「あの、もう一度教えてください。ここはどこですか?」
「ここは地下街だ。真上には王都ミットラスがある。ウォールシーナの中心だ、わかるだろ?」
ファーランは先程よりやや詳しく説明してくれたが、nameはその地名にピンとくるものはなかった。
「……すみません、外の様子を確認させてください」
「…妙な真似はするなよ」
nameの様子があまりにも普通ではないと判断したのか、リヴァイは彼女の要望を了承した。
彼女の不可解な言動には苛立っていたが、その原因を突き止めたいという気持ちの方が彼の中で大きくなっていた。
ベッドから出たnameは靴も履かずにふらりと歩き出した。
リヴァイは真後ろに立って着いていく。
玄関を見つけると、彼女はゆっくりと近づき、扉を開けた。
外の景色を見たnameは言葉を失った。
そこには見たこともない世界が広がっていた。
見渡す限り沢山の建物が並んでいる。
ビルのように背の高い建築物も見える。
そして、その建物よりもずっと上には天井があった。
広く暗いこの空間は、まさに地下街という名前がふさわしい。
仰いでみても月も太陽も見えない。
道には点々とあかりが灯されており、常にこの街を同じ明るさで保っているようだった。
今が昼なのか夜なのか、何時くらいなのかもnameには分からなかった。
「ここは…どこなの」
「…………」
絶望したように立ち尽くしたnameの背中をリヴァイは黙って見つめていた。
扉を開けた瞬間逃げ出そうものなら腰のナイフを使ってやろうかと思っていたが、彼女の様子はただ事ではなさそうだった。
もしかしたらこの女は、自分の想像だにしないところから来たのではないか?
そんな疑問が彼の頭には浮かんでいた。
nameは夢遊病にでもかかったように、よたよたと歩き出した。
右も左も同じ景色が続いている。
どうして自分がこんな所にいるのか全くわからない。
どうか悪い夢であってほしいと頭を振るが、現実は何も変わらなかった。
すると、突然強い力で後ろに引っ張られた。
「危ねぇだろうが」
リヴァイに腕を掴まれていた。
自分の足元を見下ろしたnameは目を見開いた。
眼下には階段が続いており、あと一歩でも進めば転げ落ちていただろう。
そんなことにも気づけないほどに動揺してしまっていたのだ。
そのまま腕を引っ張られ、nameの目の前で扉が閉められた。
酷く不安な表情で一点を見つめる彼女をリヴァイは静観していた。
掴んだ腕が震えている。
まずは彼女の動揺を落ち着かせることが先決だろう。
話はそれからだ。