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「#幼馴染」のBL小説を読む
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どれだけこの世界が息苦しいと嘆いても、時間は等速で過ぎていく。



画面に打ち込まれる文字を目で追いながら、nameの指は滑らかにキーボードを叩く。
思い出したように瞬きをすると、目にじんわりとした痛みを覚えて瞼を押さえた。

「fam_nameさん、これお願い」
「あ、はい、かしこまりました」

渡された書類に目を通し、再びパソコンと見つめ合う。
あと30分もあればこの仕事は片付くだろう。

今日も日は暮れ、1日が終わる。
また同じような明日が来る。
昨日と今日が入れ替わっても気付かないような毎日の繰り返しだ。


こちらの世界に戻って5年。
24歳になったnameは、社会人2年目を迎えていた。



10 渚で聞こえた



帰りの電車に揺られながら微睡む。
社会人になってから毎日こうだ。
全身を包むスーツの窮屈さにもすっかり慣れてしまった。

あれから早かった。
"二度目"の20歳を迎え、21歳が過ぎ、あっという間に5年が経った。

nameは今もあのアパートで一人暮らし。
叔母は何度か一緒に住もうと言ってくれたが、その度に首を横に振っていた。
家と会社を往復するだけの毎日が続き、悪戯に時間だけが過ぎていく。

恋人は、ずっと作っていない。




『───……駅です。お降りの際は……』

耳に入ったアナウンスにnameは目を見開いた。
電光掲示板に表示された駅名を見て、乗り過ごしたことに気付く。
慌てて立ち上がると、閉まる直前のドアへと身を滑り込ませた。


「はあ……やっちゃった」

走り去る電車を見送って溜息を吐く。
降りるはずの駅から随分遠くまで来てしまった。
自分の失態にがっくりと肩を落とす。

すぐに戻ろうと反対側のホームへ向かったnameは、何気なく駅の窓の外を見た。

(あ……そういえばこの駅は)

nameの頭に浮かんだのは、駅付近のとあるスポット。
そこは夜に行く場所ではなく、1人で見るのも寂しいものかもしれない。
でも、不意に行ってみたくなった。

どうしようかと迷って時計を確認する。
大丈夫、時間にはまだ余裕がある。
nameはつま先をくるりと反転させると、改札の方へと歩き出した。



***



アスファルトにヒールの音を響かせながら、駅前の都立公園を進む。
この公園には噴水広場やドッグランなどもあり、家族連れやカップルに人気のスポットだ。
しかし、流石に平日の夜なだけあって人は疎らだった。

街灯がずっと立ち並ぶ。
その道を進み続けると、広大な景色が目に飛び込んできた。

寄せては返す、波の音。
パンプスが汚れるのも気にせずに、nameは砂浜を踏みしめる。
夜の海浜公園はとても静寂で、人の気配はない。
隣接するビルやタワーの灯りで、東京湾の海面は完全な漆黒にはなっていなかった。

満潮になっている海水に指先で触れてみる。

「冷たい…」

6月下旬の今、その冷たさは心地いい。
指の間を波がすり抜けて、引いていく。
海はこんなにも広大なのに、消して掴むことはできない。
沢山の人の中で出会った、たった1人と離れずにいることさえ、自分には難しいことだった。

小さく息を吐いて、顔を上げる。
すると、遥か頭上にいる月と目が合った。

(満月かな)

白く美しい球体は、今宵も優しく人々を照らしている。
潮汐を起こす月の引力は、海面だけでなく、人々の心も引きつける魅力があると思った。

その月光が彼に重なって見えて、薄く開いた唇から思わずその名が零れた。


「リヴァイ」


愛しい響きは波の音に呑まれる。
もう何度、こうして彼を呼んだだろう。
二度と返事が来ないことは、5年も前からわかっているのに。

「……怖いよ」

声が震える。けれど、涙は出てこない。
それはやはり、5年の歳月によるもので。
戻ってきてからずっと見続けた彼の夢を、最近は見なくなった。

時間の流れと共に、自分が薄情になっていくようだ。

今でもリヴァイを想わない日はない。
それでも、あんなにも鮮明に覚えていた彼は朧気になりつつあった。
深い灰の眼が、体温が、匂いが、声だって、段々とぼやけていく。
写真では思い出しようがない。

どれだけ今を拒んでも、頭の中は新しい記憶に塗り替えられていくのだ。
彼を思い出になんてしたくないのに。

「消えないで…っ」

どんな残り香もいつかは消えてしまうように、リヴァイの残像が見えなくなることが怖くて堪らなかった。
止めた時計の針を進めないでほしい。
記憶の淵にいる彼から、これ以上離れたくない。



『───俺から離れることは許さねえ』



「……え?」

どこからか声が聞こえた気がした。
それは…懐かしい低音。
でも、そんなはずはない。
聞こえるはずがない。

そう思うのに、懸命に耳を澄ませる自分がいる。


『俺は神なんざ信じちゃいないが』


「!」

間違いなく聞こえた。
記憶が薄れても、聞き違うはずはない。
愛しい、リヴァイの声だ。

nameは体の向きを変えながら、懸命に辺りを見回した。
けれど、彼の姿はない。
やっぱり幻聴だろうか?
恋しく想うあまり、願望が一時の夢を聞かせているのだろうか?


『お前を失わないためなら何にだって願う。それが例え、悪魔でも』


「っ……一体、どうして」

心をかき乱されながらも、思考するのは止めない。
声はとても近くから聞こえている。
一体何がこの声を届けているのか?

鞄の取っ手をぎゅっと握りしめる。
すると、nameは何かを思い出したように、矢庭に鞄を探り始めた。
目的の小さな袋を取り出すと、袋の口を掌の上で振る。
中から出てきたのは、ムーンストーンのネックレスだった。
彼と縁(ゆかり)のあるものは、いつも持ち歩いているこれしかないと思ったのだ。


nameは純白の石を両手で包むと、耳を澄ませるように、じっと目を瞑った。



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