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nameが"あの家"に承諾印をもらいに行った一週間後、彼女が務めるはずだったアルバイト先から電話があったらしい。
書類を持って初出勤にくるはずの彼女は姿を表さず、携帯も繋がらない。
そこで、困った末に緊急連絡先の叔父の家にかけたのだろう。

不審に思った叔母がnameのアパートまで様子を見に行ったことで、彼女の行方不明が発覚した。



叔母の話を聞きながらも、nameはまるで他人事のような気分で虚ろに手元を見つめていた。

「……どうして、そんなに心配してくれたんですか。私のことなんて、嫌いだったでしょう?」

以前はこんなこと聞けなかった。
角を立てるのが怖くて沈黙をしてきた。
でも、今はそんなことも、どうでもいい。


「叔母さんね、あの人と離婚することにしたの」

突然の告白に、nameは微かに顔を上げる。
目が合った叔母は苦しげに眉を寄せると、頭を下げた。

「name…本当に、ごめんなさい。許してほしいとは言わないわ」
「……叔母さん…?」
「…女はいくつになっても女を捨てられないから嫌ね。あなたが苦しんでいる時、私のすることは嫉妬心に駆られることではなかったはずなのに」

涙ぐんでいるのか、声が震えている。
nameがもう一度「叔母さん」と声をかけると、彼女は顔を上げた。
目と鼻が真っ赤になっていた。

「罪滅ぼしにもならないかもしれないけど…これからは、家族として私があなたを支えていくから」


ああ。
嬉しいはずの言葉なのに、反応できない。
心が感覚を失ってしまっている。
その言葉を2年前の"あの日"に聞いていたら、私はきっと、泣いて喜んだだろうに。



07 今ならわかる



叔母に風呂を勧められたnameは、2年ぶりに湯船に浸かり、シャンプーで髪を洗い、ドライヤーを使った。
鏡に映る裸の自分は、やはり2年前の19歳の自分だった。

洗濯機の回る音が聞こえる。
体は2年前に戻っているというのに、さっきまで身に纏っていた衣服は向こうの世界のものだった。


洗濯を終えてきた叔母は、手の中にあるものをテーブルに置いた。
ことり、と音を立てて置かれたそれに、漆黒の瞳がにわかに揺れる。
それは、小さな鍵。

「スカートのポケットに入っていたわ」
「…………」
「お腹すいたでしょう。食材を買ってくるから」
「…ありがとうございます」
「……name、携帯は失くしちゃったの?」
「……携帯…?」
「あるなら電源を入れておいてね。連絡が取れないと心配だから」

叔母は気遣うような口調で言い残すと、財布を持って部屋を出た。


目の前の鍵と、携帯という言葉で、持ち歩いていた鞄の存在を思い出した。
くすんだ白色をした袋鞄がフローリングに置き去りにされている。
荒廃したようなその白は、この部屋では随分と浮いて見えた。

ゆっくりとした動作で鞄を引き寄せて、中身を出していく。
一番底にしまったものを見つけると、そっとテーブルに置いた。

それは、リヴァイにもらった小物入れ。
鍵を差して回すと、小さな解錠の音がした。


(何も入ってないかも)


そんな風に思って、蓋を開ける手を止めた。
きっと、2年間の終わりがあまりにも突然だったせいだ。
こちらの世界はたったの一ヶ月しか経過しておらず、変化のなさに心がついていかない。
もしかして、あの2年間は夢だったのではないか。

光のない黒目に瞼を被せて息を吐く。
目を開けて箱を視界に捉えると、思い切って蓋を開けた。

「あ……」

思わず声が漏れた。
中身は最後にしまったときのままだった。

パスケースや手帳を先に取り出す。
現代に戻って同じ時を刻み始めたはずのそれらは、ずっと劣化しているように見える。

(物は元通りになってない)

綺麗に保管していたつもりでも、月日の経過がしっかりと刻まれている。
生身の体は2年前の今の姿に戻ったというのに。
無機物と有機物とでは、世界移動の影響の受け方に違いがあるのだろうか。

スマートフォンを充電コードに繋ぐ。
2年間電気を通わせることがなかったため、きちんと充電できるのかはあまり自信がなかった。
もしかしたら湿気で壊れているかもしれない。

電源がつくようになるまで暫し待つ。
その間、小物入れの中身にはもう触れなかった。



(もういいかな)

10分ほど経って、スマートフォンの電源ボタンを押す。
画面全体が光り、たくさんのアプリケーションがあるホーム画面になった。
どうやら壊れてはいなかったらしい。

不在着信の数が、1ヶ月という時間経過を感じさせる。
けれど、そんな数には何の価値もない気がした。

画面をスワイプしながら、ふと、あることを思い出した。
スマートフォンの電源が完全に切れてしまう前、確か写真を撮った気がする。
写真が保存されているアイコンを指でタップした。


「……!」

思わず息を呑む。
ドクンと心臓が大きな音を立てた。
感覚を失ったと思った胸は熱を帯び、鼻の奥が痛くなるのを感じて、震える唇を噛んだ。

カメラロールの一番下にある、数枚の写真には3人の男女が映っている。
震える指で、そのうちの1枚に触れた。

「っ…、これ」


画面に映し出されたのは、いつかのスリーショット。


真ん中で小さく笑むname。その左には歯を見せて笑うファーラン。
そして、右隣には無表情のリヴァイが映っていた。

地下のあの家に住み始めた日。
リヴァイとファーランと3人で撮った写真だ。
初めての写真にファーランはとてもはしゃいで、充電がすり減るほどシャッターを押した。
なんて、懐かしいんだろう。

涙が画面に落ちて、慌てて拭く。
最後の1枚に辿り着くと、大粒の涙をこぼし続けるアイラの瞳が大きく見開かれた。


構図はそれまでと変わらない3人の写真。
けれど、今だからこそわかる変化があった。


『せっかくだから2人とも笑ってください!』


そう言ってシャッターを押そうとしたnameの言葉を、彼は彼なりに実行したのかもしれない。
あの頃は、気づかなかったけれど。


「…リヴァ、イ……っ」


───nameの隣にいるリヴァイの口元は、ほんの少しだけ笑っていた。


涙も嗚咽も堪えられない。
切なくて悲しくて、胸が苦しい。
止まったと思った心を動かしてくれたのは、やっぱり彼だった。

もう二度と会えないリヴァイがここにいた。

歯を見せるファーランを見ていると、2人でふざけて笑い合った記憶が蘇る。
小物入れから出した髪紐の橙色に触れると、弾けるようなイザベルの笑顔が浮かんだ。

(無かったことになるわけじゃないのに)

どうして夢だなんて思ったのだろう。
彼らと生きた時間は確かに存在して、今も私の中で息づいている。
軌跡の残るあの愛しい世界から消えることを願うなんて。
なんて、私は馬鹿なんだ。


「…name」

いつの間にか帰宅したらしい叔母が、静かに部屋に入ってきた。
祖母はnameの隣に座ると、泣きじゃくる彼女の肩を優しく抱いた。

「叔母さん、わたしっ……好きな人ができたの」

嗚咽混じりの言葉が涙と共に落ちる。

「ずっとずっと…一緒に、いたかった」

こんな私を見たら、まるでガキのようだとあなたは笑うだろう。
ひどい泣き顔だっていい。
馬鹿にして、呆れて、抱きしめてほしい。

リヴァイ、もう一度会いたい。


「もう…っ、会えない……!」


あなたを失った悲しみはこの世界には不釣り合いで、それを後悔するにはあまりにも遅すぎた。

広くなった小物入れの中に残っているムーンストーンだけが、変わらぬ純白で光る。



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