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トロスト区の壁上で、肌寒い風を頬に受けながらハンジはマリアの土地を見下ろしていた。
暗く、静寂で、生き物の気配はない。
けれど、巨人達は眠っているだけで確かにこの地に息づいてしまっている。
逃げ遅れた人々は今も恐怖に怯えていることだろう。
しかし、彼らを捜索して救うには人員不足で、夕刻の戦いで疲弊している調査兵団にはあまりにリスクが高かった。

「ハンジ班長、ここは冷えますので」

そう言ってモブリットは遠征用の薄い毛布を彼女に手渡した。
こんな布でもないよりはマシだ。
ハンジはゴーグルの奥の目を細めて礼を言った。

「駐屯兵達はまだリフトを持ってこれないのかい?」
「はい、避難民が多すぎて人員を割けないのかもしれません」
「そう…今夜はこうして待つしかないか。馬をこちら側に運べないと、徒歩でウォールローゼまで戻るのは今の我々には無理だろうからね」

壁上にいるのは一部の幹部と兵士のみ。
見張りは本来駐屯兵の仕事だが、モブリットの言う通り彼らは避難民の対応に追われている。

他の調査兵はトロスト区の避難所に送った。
避難所には沢山の人で溢れているが、致し方ない。
負傷している兵士があまりにも多すぎる。
けれど、死傷者を出しつつも、巨人が往来するシガンシナとウォールマリアを抜けて、今日のうちにトロスト区まで戻ってこれたのは奇跡と言っていい。

「…兵士も沢山死んでしまいましたね」
「ああ。けど、これでも損害はかなり抑えられた方だと思う…彼のお陰で」

ハンジは横を見やると、数メートル先で彼女同様に見張りをしている男へ視線を向けた。
その小柄なシルエットは、暗がりでもしっかり捉えることができた。



05 流星群



崩壊した壁の岩が落ちてくる瞬間、リヴァイは寸でのところで咄嗟にアンカーを放った。
すぐに飛び立つ体勢でいたことが功を奏し、彼の体は岩に潰されるすれすれのところで壁へと逃れられた。
そんな最中(さなか)で班員に叫びかける余裕はなく、残ったリヴァイ班は瓦礫の下敷きになった。


「進めーーー!!!」


シャーディスの叫びで本隊はシガンシナの穴を通過する。
壁に着地していたリヴァイの姿は舞い上がる砂によって遮られ、彼らに気づかれることはなかった。
壁の破片が落ちてゆく光景を見ていた兵士達は、リヴァイ班を全滅したと断定し、この状況下では仲間の死に胸を痛めることも許されず、先に進むしかなかった。

「視界が悪い…!」

瓦礫の落ちた振動で舞い上がった砂埃はなかなか収まらない。
愛馬を失ったリヴァイはこのまま立体機動で壁を上るか迷った。

「……!」

偶然眼に入ったのは、乗馬主を失い、彷徨っている馬。
馬はこの状況でもパニックになっておらず、リヴァイの口笛にすぐ駆け寄ってきた。

崩落した岩のそばに降り立てば、鮮血が広がっているのがわかる。
岩の下敷きになった彼等の姿は見えないが、恐らく、原型は留めていないだろう。


「クソが…っ」


その詰(なじ)りは自分へ向けたもの。
激情に身を任せることは、戦場において命取りになる。
とっくに理解しきっているつもりなのに、nameのことになると心は動揺し、自分を掌握できなくなってしまう。
その結果が、"これ"だ。

彼は酷い悲しみと自責の念に駆られると同時に、とても冷静になった。
動乱の壁内を鋭く睨むと、馬の腹を蹴り、中へと進んだ。


彼が本隊と合流して応戦し始めた時には、報告書を持った班が、早馬で本部へと駆けた後だった───。



***



風に揺れる前髪の間から、リヴァイは宵闇を見上げる。
雲一つない晴れた夜空だというのに、月がない。
今夜は新月らしい。
深い漆黒に散りばめられた星々の瞬きを、nameの瞳に似ていると思った。


ふと、空で何かがきらっと光った。
目を凝らしてみれば、一筋の光が空に線を描いてまた光る。
それは一つ、二つと増えていき、無数の光が軌跡を残しながら空を流れていく。


「わあお、流星群だね」


毛布を羽織ったハンジが、彼に歩み寄りながら感嘆の声を上げた。


「流星群…これが、流れ星というやつか」


神秘的な夜空を見ながら呟く。
落ちる星々はまさに空を流れていくようで、人々が願がけをするに相応しい魅力を感じさせる。
悪夢のような一日の終わりにしては、あまりに皮肉めいた美しい景色だった。

「君が戻ってきた時は幽霊でも見てるのかと思ったよ。あの状況から生還するなんて、流石リヴァイ班長だね」
「班長などとは名ばかりだ。あいつらを……全員死なせてしまった」
「…それでも、君が生きていてくれてよかったよ。君の活躍で助かった命もあるんだから」

けれど、リヴァイはそれを否定するように目を伏せる。
両の拳を強く握った。

「俺には覚悟が足りなかったらしい。あいつらの死を無駄にしないためにも…俺は、必ず巨人を絶滅させる」
「…その志が生まれただけでも、彼らの死は無駄じゃないさ」

リヴァイは後ろを振り返ると、遥か先にあるウォールローゼの壁を見つめた。
正確には、彼が見ようとしているのは壁ではない。

「この流れ星、nameも見てるかな。本当は彼女と見たかったでしょ?」
「……ああ、そうだな」

素直な返答をしたリヴァイに、ハンジは目と口を丸くして彼を凝視する。
危うく壁から落ちてしまうかと思うほどに驚いた。

「どうしちゃったのさリヴァイ!nameの前ではいつもそんな素直な」
「うるせぇ」


茶化すように笑うハンジを視界から外し、リヴァイは眼を細める。
ローゼの壁はまだ守られているとはいえ、今頃nameは恐怖に怯えて、眠ることもできずにいるだろう。
すぐにでも駆けつけて、あいつの震える肩を抱きしめてやりたい。

だが、今はまだ、帰れそうもない。

(これが、俺の運命らしい)

彼女だけで完結していたリヴァイの世界は、少しずつ動き出していた。
けれど、どれほど兵士としての覚悟を強くしても、彼の世界の中心は変わらない。
いつも想うのは、ただ一人。


(name……お前は今、何をしている?)


願わくば、この空のような漆黒の瞳が涙で濡れていないといい。
そして、この流星群をnameも見ていればいいと思った。



***



男子兵舎、屋上の開かれた扉から夜風が入る。
風に煽られた扉はキイ、と立て付けの悪い音を響かせて更に内側へと開いた。
隙間から見える屋上の中央にいるのは、足の力を失ったように座り込んでいるnameだった。

どうやってここまできたのかは分からない。
けれど、ここがどこだかは分かる。


『王都での生活が待ってる』

いつかの、希望に満ちたファーランの台詞が頭の隅で聞こえた。
この屋上は、兵団に来たばかりの頃の4人が意思を固めた場所だ。
結果的に王都へ行くことは叶わず、大切な二人の家族を失うことになってしまったが。


私は……本当は、王都なんてどうでもよくて。
ただ、彼らと身を寄せあって暮らせればそれで良かった。
あの暗く危険な地下街でも、例え病で歩けなくなったとしても、大好きな彼らと一緒にいれれば幸せだった。

そんなことを言ったら、きっとリヴァイに叱られてしまうけれど。


「もう……いないじゃない」


nameは力なく呟く。
そう、叱ってくれる彼はもういない。

両親も、ファーランも、イザベルも。
そして、リヴァイまで。
私の大切なものは、なくなってしまう。


「……っ、は」


熱いものが体の奥からせり上がってくるのを感じて胸を押さえる。
俯いた瞬間、ぱたぱたと大粒の滴が落ちて、彼女のスカートに染みを作った。
nameは微かに目を見張り、片手で目尻に触れる。
自分が泣いていることにも気づかなかった。



リヴァイが死んだ。



世界は色をなくし、心は感覚を失っていく。
ただ、左胸にある心臓だけが鼓動を刻む。
それを生きている証だというなら、生きるということは一定の音を刻むにすぎない、なんと価値のないものか。

上空で何かが光った気がして、nameは顔を上げた。
無数の星々が淡い弧を描く。
光を失い、涙に濡れた瞳に流星の軌跡が映っては消えた。

こんなに美しい世界なのに、残されたのはどうして私だけなのだろう。
ひとりでは、どんな景色を見ても意味がないのに。
リヴァイのいない世界など、空気がないのと同じだ。


「消えて……なくなりたい……っ」


嗚咽混じりの消え入りそうな声で叫んだ。
星々が空を翔る新月の夜。
彼女は願ってしまった。

誰の耳にも届かないはずの悲痛な叫びは、姿を隠した月には聞こえていた。




「!」

男子兵舎の階段下、ロレは階上から吹いてくる風に気づいた。
この上にあるのは屋上。
まさか───!

最悪の事態が浮かんだ彼は無我夢中で階段を駆け上がった。
見えてきた扉は風に煽らているが、あれは自然に開いたものではない。
人の手によって開け放たれたものだ。

「nameさん!!!」

彼が叫びながら屋上へ出ようとしたのとほぼ同時。
扉の向こうから強い光が放たれてロレは思わず目を瞑った。

「っ!?眩し…!」

しかし、その光は一瞬で消え、遮りたくなるような眩しさもなくなった。
なんだったのかと放心する頭を振って、ロレは今度こそ屋上へと飛び出した。


「name…さん?」

確かにここにいると思った彼女の姿はなく、それどころか人の気配もない。
焦って屋上の四方から地面を見下ろすが、落下した人の姿を捉えることもなかった。
屋上には静寂だけがあり、吹き抜ける風が彼の頬を冷たく撫でた。

(どういうことだ…)

狼狽える彼の目にも今宵の星空が映る。
月の見えない夜空に時折光っては消えていく星。
流星はまばらになったというのに、やけにその瞬きが強く感じられるのは、新月を隠す空そのものの闇が濃くなったからかもしれない。



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