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「それは……確か、ですか?」


上官の報告に、ロレは決して豊かとは言えない表情を更に険しくし、掠れる声で尋ねた。
聞き返された上官の男も余裕のない顔で報告書に視線を落とす。
乱雑な文字で綴られた紙面は、戦場の混乱を表しているようだ。

「こんな状況だから正確とは言えんだろうが…、報告書にはそう書いてある」

壁外調査から戻ってきた調査兵の一人が早馬で届けに来た報告書。
その内容は、彼らは遠征を中止して壁内へ戻ってきたということ、シガンシナ区の現状、そして…機能しなくなった班のナンバーが記されていた。

"機能しない"。
それはつまり、班員の全滅を意味する。

上官は重たそうに口を開くと、報告書に殴り書きされた班のナンバーをもう一度読み上げた。


「…班、11班、15班…以上の班は、全員死亡したと書かれている」
「そんな……まさか…」


読み上げられたナンバーの中には、ロレの所属する班も含まれていた。
信じ難い報告にロレは黒目を忙しなく揺らし、息を荒くした。


「リヴァイ班長が…死んだなんて」



04 音も、光も



845年9月某日。
この100年の歴史上、最も死傷者が出たであろう1日が終わろうとしていた。

宵闇の時刻になっても混乱は未だ収まらず、ウォールマリアやシガンシナから流れてきた人達で避難所は溢れている。
本部に残っていた兵士の殆どは壁外調査から戻ってきた本隊の元への増援に出払っているが、それ以外の医療班、技巧科、厨房勤務者などの兵団組織に属する者は食堂に召集されていた。

万が一、ローゼの壁に穴が空いた時は全員で内地へ逃げることになっている。
ローゼの壁側に位置する調査兵団本部から内地へ逃げるには馬が不可欠だが、厩舎に残っている馬の数は少なく、いくら荷馬車を使ったとしても、ここにいる人間を全員避難させられるとは到底思えない。
誰もがその現実を理解している。
しかし、彼らは恐怖に苛まれながらも、兵団に属するだけあり、一般市民よりは冷静に事態を掌握しているようだった。



(もう、日付が変わる)

ロレは厨房の入口の段差に腰掛け、項垂れていた。彼は怪我のために本部での待機を命じられている。

人類の活動領域はウォールローゼまで後退した。
明日になれば状況は更に悪くなるかもしれない。
いかなる事態に備えて自分も仮眠を取らなくてはいけないのに、とても眠れそうになんてない。
自分の班の全滅を、リヴァイの死を、受け止められなかった。


「ロレくん」

降ってきた小さな声にロレは顔を上げた。
目の前には、不安げな様子のnameが燭台を持って立っていた。
燭台を持つ手の反対側の肩には袋鞄が掛けられている。
必要最低限の荷物がそこには入っているのだろう。

「顔色が悪いみたい…こんな状況じゃあ無理もないよね……少し横になる?」
「……いえ、大丈夫です」

ロレは再び俯く。
今はとても彼女の顔を見ていられなかった。
nameは暫し迷ったようにそこに佇むと、遠慮がちに彼の横に腰を下ろした。

「疲れてるところごめんね…。もし知ってたら教えてほしいんだけど、壁外に行った人達の情報って何か入ってきてる?」

彼女の問いにロレは俯いたまま身を固くした。
遠回しな聞き方だが、nameが知りたいのはリヴァイの安否以外に他ならない。


(言えるわけが、ない)


リヴァイ班に配属になってから、2人の仲睦まじい姿を近くで見てきた。
彼らの絆がどれほど強く、唯一無二の互いの存在をどれほど大切に思っているかは、知っているつもりだ。

自分だってリヴァイ班長の死を未だ信じられず、受け止められていないというのに、どうやって彼女に伝えたらいい?
どんな言葉を使っても隣にいるこの女性(ひと)を傷つけるしかないというのに。


「すみません……その情報はまだ入ってきていません」


やっと絞り出せたのはその場しのぎの言葉。
いずれは伝えなくてはならない訃報を、先延ばしにすることを選んだ。

nameは言葉を発しないが、雰囲気から落胆しているのがわかる。
気の利いた台詞を言う余裕のないロレは相変わらず下を向いていたが、やがて彼の背に温かな手が添えられた。


「張りつめ過ぎると心も体も壊れてしまうから…休める時に休んでね」


今日の惨事で精神的に相当参っていると思ったのだろう。
nameはまるで弟を慰めるような労る手つきで、彼の背を緩やかに摩った。
ロレは首だけを動かして前髪の隙間からnameの顔を見やる。
視線に気づいた彼女は目を細めて笑いかけた。

優しい笑みだ。
彼女だって内心は不安と恐怖でいっぱいだろうに、こうして人に優しさを与える強さを持っている。
リヴァイ班長はきっと、彼女のこんなところを好きになったのだろう。


(班長の代わりに、守らなければ)


彼女は最も尊敬する人の、愛する人だ。
この状況下のリヴァイ班長なら、間違いなくnameを守ることを優先する。
自分は人類のために心臓を捧げた兵士だが、彼のその意志だけはなんとしても紡ぎたい。

(それに、断定されたわけじゃない)

上官もあの報告書は「正確ではない」と言っていた。
混乱のさなかで記されたものならば情報の差異は必ず出てくるはず。
今はその可能性に一抹の望みを抱くしかなかった。


(あの人がそう簡単に死ぬわけない───)


ロレは強く拳を握ると、ようやく顔を上げて真っ直ぐにnameを見据えた。


「明日以降、何があるかわかりません。リヴァイ班長が不在の今、自分が必ずあなたを守ります。……遠征に行ってる班長達の情報が入ったらお伝えするので、待っていてください」


真剣なロレの眼差しにnameは目を丸くした。
先程まで項垂れていた彼の目は、息を吹き返したような強い意志を感じさせる。
けれど、その意志の中に暗い陰りが残っていることにもnameは気づいた。

「ありがとう…でも、ロレくんも絶対に死なないで」
「……はい」

ロレは深く頷いた。
と、次の瞬間、nameの持っていた燭台の火が消えた。
短い蝋は歪な形になりながらも火を灯し続けていたが、遂にその灯りも飲み込んで溶けてしまったらしい。

「もう蝋燭が…」
「自分が新しいものに変えておきます。nameさんはそろそろお休みになってください」
「わかった。色々と、ありがとう」

ロレは燭台を受け取ると、必要物資が置かれている隣の部屋へと向かった。



ロレの背を見送りながらnameはふう、と息を吐く。
彼の力強い言葉に幾らか勇気づけられたけれど、内心はリヴァイのことが気がかりで仕方がない。
壁外に行っているならばこの混乱には巻き込まれずにいて無事だろうという願いと、壁外でも予想だにしない事態に見舞われているのではないかという懸念が交錯していた。

(明日になれば、状況が変わってくるかもしれない)

今はどれだけ不安でもリヴァイの帰りを待つしかない。
そして、情報が入ったら知らせてくれると言ったロレを頼りにするしかないのだ。


立ち上がったnameが本来いた場所へ戻ろうとした時、食堂の入口付近にいる兵士達の声が聞こえてきた。


「まさか……てな。あのリヴァイまでも…」


耳に入った恋人の名に立ち止まる。
nameは引き寄せられるように、兵士達へ近寄った。
その行動を制する者は誰もいない。
聞き取れなかった話し声がはっきりと鮮明になってくる。


「あの報告書を読んだ時は信じられなかった。あいつが巨人に殺られるはずはないだろうからな」
「ああ。だが、壁の崩落に巻き込まれちゃ、流石のリヴァイも助からねえよな…」


(えっ……?)


"リヴァイ"、"壁の崩落"、"助からない"
聞こえてきた単語に耳を疑った。
心臓が嫌な音を立て始め、血の気が引いていくのを感じる。

けれど、確かめずにはいられなかった。


「あ、の……今の話、本当ですか…?」
「は?」
「リヴァイが、崩落に巻き込まれたって……」
「…ああ、あいつの班は全滅だ。ここに待機しているロレ・フランツを除いてな」
「ぜんめつ……」


壊れた玩具のように"全滅"という言葉を鸚鵡返しする。
わざわざ説明を受けなくともそれがどんな結果を意味するのか分かるはずなのに、心が受け入れようとしない。


「リヴァイは…リヴァイは、ぶ…無事なんですか?」
「話を聞いてなかったのか。リヴァイは班員と共に死んだ…崩落してきた壁の下敷きに…」
「おいっ!」


突然の怒声で話を中断させたのはもう一人の兵士。
彼はnameの顔を見ながら険しく眉を寄せていた。

「そいつ……リヴァイの女だぞ」
「!?な、見たことある顔だと思ったら…あんた…!」

それから彼らは酷く焦った顔でしきりに何か言っていた。
けれど、もう、何を言っているのかわからない。

項垂れていたロレの姿と、眼差しの奥に見え隠れした陰りを思い出す。
そうか。
彼は、すべて知っていたのだろう。


だめだ。

何も聞こえない。

なにも、みえない。



***



新しい蝋燭に火をつけたロレは食堂へと戻ってきた。
入口付近で何やら狼狽えている様子の先輩兵士達に声をかける。

「何かあったんですか?」
「いや…それが、さっきリヴァイの女が来てな」
「nameさんが…?」

彼らの言いにくそうな表情に嫌な予感がした。
先の言葉を急かすようにロレは言葉尻を強くする。

「彼女がどうしたんですか?」
「……リヴァイの話を聞かれてしまってな。あいつが死んだことを」
「!!彼女はどこに!?」
「兵舎のある方へ行っちまった…何を言っても反応がなくてな」

ロレは全身の血が逆流するような感覚に襲われた。
軽率な彼らへの憤りで頭に血が上る。


「一人にさせたのか…なんてことだ…っ」


まさか、こんな形で彼女の耳に入ってしまうとは。
リヴァイの死を知ったnameが、平静でいられるはずがない。

ロレは先輩兵士の持っていたランタンを奪うと、兵舎のある方へ駆け出した。
兵舎へと続く廊下は避難経路になっていないため、壁掛けの松明は殆ど消えている。

部屋を見て回りながら進み、長い廊下を抜け、三本に分岐する道の前で立ち止まった。
左から女子棟、男子棟、役職棟へと続く道となっている。
自室のある役職棟へ向かったのではと思ったが、彼女が茫然自失に陥っているのだとしたら、何も考えずに真っ直ぐ進む気がした。

己の勘を信じると、ロレは男兵舎へと走り出した。



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