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花月が事故に遭って一週間が経った。山下は常に花月に声を掛けた。返事をしない花月に根気強くずっと話しかけ続けた。実際には、意識を持つ花月が返事をしていたし、逆に花月の方からも話しかけてもいた。一方通行で交わることのない会話だけれど、それでも花月は満たされていたし、山下だって虚しいわけでもない。聞こえていると信じているからだ。
少しでも時間ができれば結城が顔を出した。変わりないという山下の報告を受けて、そうかと返す。そして山下は席を外す。当たり前になったやり取りを花月は眺める。
しかし今日はいつもと違った。山下の口から『帰る』という言葉が出てきたのだ。
「今晩は帰らせていただきますけど、もし予定の変更とか何でもほんまに何かあったら連絡ください。すぐ来ますんで」
「たまには休んどけ。お前が倒れでもしたら、こいつが一人になってまう」
「はい! でも俺は、ここにおることをしんどいなんか思てません。ほんでも、お気遣いありがとうございます!」
「おう」
「失礼します!」
ビシッと90度腰を折って頭を下げて、山下が病室から出て行く。ドアが閉まったのを確認して、結城が丸イスに腰掛けた。花月の眠るベッドのすぐそばの丸イスだ。少し手を伸ばして、花月の頬に触れる。そっと、壊れ物を扱うような動作がもどかしいと花月は思った。触れられている感触が今の花月には感じられないが、それでももっと触れて欲しいと、そう思う。
「ガーゼ、取れたな」
花月の頭を覆っていたガーゼは、昼間に外された。それが無くなって、肩から下に布団が掛けられている今の状態は、本当にただ眠っているだけのように見える。
「お前いつになったら起きんねん。何かおもろい夢でも見とんのか」
夢なんて見ちゃいない。花月の意識は常に覚醒しているのだ。それに気付いてもらえないだけで。
「夢でも何でもええから、お前の声が聞きたい。……とか言うたら笑うか?」
『笑うわけないやろ!』
なぜ届かないのだろう。こんなにも叫んでいるのに。どうして声にならないのだろう。
「今日の昼間。お前の声はどんなんやったかって考えとった。毎日聞いとったはずやのに、何でか知らんけど、何となくピンと来おへんでな。子供の頃のお前の声やったら思い出せるのにな。まあ、それも確かな記憶なんかは分からん。……そんなこと思とったら、お前が俺の店で働くようになってしばらくの間、店の前まで行って、お前の顔だけ見て帰っとったんを思い出してな」
ポツポツと言葉を紡ぐ結城。こんな風に話す結城を初めて見たかもしれない。
「お前に会うのが、こわかったんやろうな。俺を俺やと気付くなんて期待しとったわけやない。それはほんまに無かった。ほんでもただの客として扱われんのも癪でな。『その他大勢』って奴になるんが堪らんかった。せやからって店のオーナーとして認識されんのも違うような気がして……まあ今思えば、ビビっとっただけなんや。記憶の中のお前が大切すぎて、成長したお前になんか会わんかったらよかったって思った。アホやろ。結局、そのうちに顔見るだけで我慢できんなって、楽しそうに働いとるお前の声が聞きたなって、客として店に入ったわ。お前のことになると、俺はアホになる」
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