経理の松岡くん
昨日も誠と島崎くんをからかって遊んで楽しかったなと充実感に浸りつつ、今日は何て言ってからかってやろうかとほくそ笑みながら課へと向かう、その道すがら。
あれは確か、経理の松岡くん。結構タイプだから名前だけは知っている。一人で通路に立っているなんてなかなか無いチャンスを活かさない手は無い。
「立ち止まってどうしたの? 具合でも悪い?」
顔を覗き込むと本当に顔色が悪かった。何事だこれは。
「顔色が悪いよ。とりあえずどこかに座って休んだ方がいい」
「……大丈夫です」
「大丈夫そうじゃないよ。まだ就業時間まで余裕はあるから。おいで」
手を引くと意外にすんなりとついて来てくれて安心する。適当な会議室に入って、座るように促した。
「何か飲み物でも買ってこようか?」
「いえ。平川主任にそこまでしていただく訳には」
「え、俺のこと知ってんの?」
「もちろん、です」
恥ずかし気にそういう松岡くん。何これ可愛い。もともと見た目はタイプだったけど、中身も好きかも。
「で、どうしたの? 風邪とか?」
「いえ。最近、寝不足で」
「寝不足? じゃあこんな早い時間に出社しなくても。ゆっくりしてればいいのに……あ、もしかして仕事溜まってるとか?」
「仕事は、平気です」
「じゃあ何で?」
「…………」
また恥ずかしそうにもじもじしてる。しかも俺のことチラチラ見てくるし。小動物みたい。ツボった。すげー可愛い。
「言ってみな?」
「……で、電車で……」
「電車?」
「いつもの電車で、……痴漢されるようになって……それで時間変えたんですけど、やっぱりたまに、されて。電車乗るの嫌だなって考えてたら、眠れなくて」
フツフツと怒りが沸く。あれ、立派に嫉妬なんかしちゃってんじゃん。とか、どこか冷静に思った。
「松岡くんの家ってどこ?」
「え?」
同じ会社の社員とはいえ、ほとんど関わりもない言ってしまえば初対面に近い俺に、素直に住所を言ってしまう松岡くん。純粋で可愛い。でも逆に心配になる。
「じゃあ明日から俺が迎えに行ってあげるよ。俺、バイク通勤だし。それなら平気でしょ」
「え! いやそんなご迷惑をお掛けするわけにはいかないですよ!」
「いいのいいの。俺が好きで言ってんだから、甘えてよ。じゃあこれ、連絡先。今日中に一回鳴らしといてね」
断らせないように早口で言い切って、強引に名刺を持たせて逃げた。後ろから呼び止める声がするけど無視。
あー、明日の朝が楽しみだな。いや、その前に松岡くんに似合いそうなメットを買いに行かなくちゃ。何かもう誠と島崎くんをからかうなんて比じゃないくらい心が浮き足立っている。
このあと鳴るであろう携帯を手に持って、早く早くと念じた。
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