32-3
「いやぁー! れおくーん! いやぁだあああ!!」
妹のギャン泣き。可哀想だしどうにかしてあげたいのは山々なんだけど。
「大丈夫。バスに乗っちゃえば保育所の方が楽しくなっちゃうから」
と母さんが言うので、大人しく保育所のバスが来るところまで連れて行くことにした。
昨日は碧央の誕生日で、めちゃくちゃ楽しそうにハッピーバースデーの歌を歌って、ずっと嬉しそうにニコニコしてたのに。今日から保育所に預けられると知って、泣き出した。
俺と遊びたいと言ってくれるのは嬉しいけれど、母さんの仕事手伝わなきゃだし、母さんには逆らえないし……情けない兄ちゃんでごめん、碧央。
「わあ! 今日はお兄ちゃんが連れてきてくれたんだねー! 碧央ちゃん、よかったねー!」
バスから降りてきた保育所の先生が碧央にそう声をかけた。すると、グズグズ泣いていた碧央がぱあっと笑顔になった。いいでしょー、と得意満面の碧央。うちの子とんでもなく可愛い。
「じゃあ、お願いします」
「はーい! よかったらお迎えも来てあげてくださいね、お兄さん」
「あ、了解っす」
バイバーイと手を振る碧央はもう泣いていたのが嘘のようだった。さすが母さん。
「おかえりー、どうだった?」
「ほんとにケロっとした顔でバス乗って行ったよ。俺、迎えも行くから」
「助かるわー、ありがとね。じゃあすぐ朝ごはん食べて、ミーティングあるから8時までには来なさいね」
「はーい」
久しぶりに店に出る。俺が大学に入ってから新しいスタッフさんが二人増えて、今日初めて顔を合わせる。良い人だと嬉しい。まあ、母さんが選んでるんだから問題はないはず。
親が自営業をしていると、何かと仕事を手伝わさせられる。久しぶりに実家に帰って来た息子だって関係ない。使えるものは使う。たくましい母親。
俺に宛てがわれる仕事は店内の清掃とシャンプー。その二つ。なんせ小学生の頃から仕込まれて、中学生の頃には店に出てたからシャンプーにはそれなりに自信がある。それに、うちの美容院は女性のお客様が多くて、何というか、女性の長い髪を洗うのはいつだって新鮮で楽しい。お客様の話を適当に聞いて、相槌を打って、話を合わせながらの作業は、すごく楽しいって訳じゃないけれどそれなりに楽しい。
でも、楽しくない時もある。
店に出る時はいつも思うんだ。あの人が来なければいいな、って。でも何でだか、結構会ってしまうから嫌になる。嫌になるだなんて、失礼な話だけれど。
「こんにちはー。あっ、怜央くんがいる! じゃあ今日はトリートメントもお願いしようかな」
ああ、今日も。俺ってどうして、こういう運が無いんだろう。手伝うのは、今日と明日の二日間だけなのに。
「どうも。こんにちは」
長い髪を耳に掛けながらにっこりと微笑むこの人は誰がどう見たって綺麗で、でも不快に心がざわつくのは、俺の醜い嫉妬のせいか、それとも自分勝手な正義感か、倫理観か。
「お久しぶりっすね、竹下さん」
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