琴線よりお下がりよ
『危険ですので、黄色い線よりお下がり下さい。』
ホームアナウンスが響く。不快だと言えば不快だし、どうでもいいと言えばどうでもいい。
何で俺はここにいるんだろう。そもそも、ここはどこなんだろう。とりあえず電車に乗って、終点になったら適当に乗り換えて来た。これから乗る電車は、どこに向かうんだろう。
『ドアの横のボタンを押して下さい。ドアが開きます。』
自動では開かないらしい電車のドア。そんなもの見たことも聞いたこともない。『開』と書いてあるボタンを押して電車に乗った。乗客は俺を含めても10人にも満たないだろう。2両編成のワンマン電車。
気付けば、随分と田舎に来てしまっていた。窓の外に見えるのは、山と田畑ばかり。稀にいる人の側には、必ずと言っていい程の確率で軽トラックが停まっている。
なんて静かで、なんて穏やかな景色だろう。
快次は、今頃どうしてるのかな。あいつのことだから、友達の看病だってしっかりと看てやれているに違いない。
あいつは優しい奴だから、友達が困っているから自分が助けに行く。ただそれだけの単純な考えで行ったんだろうと思う。
今日は俺と会う約束があったけど、それはまた埋め合わせすればいいと思っていただろう。
でも、今日の分は埋め合わせられない。だって今日は1年に1回しかないあいつの誕生日だ。どうしても今日を一緒に過ごしたかった俺の気持ちなんて、きっとあいつには分からないんだ。
だって、あいつは優しい奴だから。自分のことはすぐに忘れてしまう奴だから。
『○○、○○です』
駅名を知らせるアナウンス。特にこれといった理由はなかったが、俺は電車を降りることにした。
ふと、腕時計を見てみると午後1時を少し回っていた。5時間も電車に乗っていたのかと、正直驚いた。
のどかな風景。俺が住む街とここでは、時間の流れが違うようにすら思える。
なぜか妙な開放感が訪れた。思いっきり背伸びをして、大きく深呼吸をする。『空気がうまい』という謎の感覚を、今初めて実感した。
携帯電話の着信音がする。今はこの開放感に浸っていたかったが、電話に出ることにした。
『今どこ?』
快次だった。
「○○駅ってとこ」
『……どこ?』
「俺も分かんない」
『今日ごめん。誕生日だったってさっき言われてから気付いてさ』
「うん。忘れてると思ってた」
『どこにいるんだっけ?』
「○○駅」
『今から行く』
「5時間もかかったよ?」
『行くよ。待ってて』
「うん。待ってる」
この景色の中を快次と歩いたら、楽しいだろうと思った。この中で笑う快次の顔を、早く見たい。そう思った。
ここでなら、会えないからって電車に乗って飛び出した俺の意固地さだって解けていく気がするから。
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