ただ一つ出来ること


「……大丈夫ですか?」


 ズタボロになった俺にかかる雨が止んで、その代わりに優しい声が降ってきた。


「今、絆創膏しか持ち合わせてなくて……あ、でも僕の家すぐそこなんで、よかったらうちで手当てさせて下さい」


 優しい人間、温かい人間というのは、こいつみたいな奴のことを言うんだろう。
 頭は金髪で、制服だってまともに着ちゃいねぇし、顔は殴られてボロボロだし、拳は血塗れ。どう見たって喧嘩したあとの不良の俺に、わざわざ声をかけてくれて、自分が濡れてしまうのに、びしょ濡れの俺に傘を差してくれた。


「どうして喧嘩なんかするんですか?」

「どうしてって言われても……売られるから?」

「それだけですか?」

「別に理由なんかねぇよ。こんなナリしてっから気に食わねぇんじゃねぇの? で、喧嘩売られるから買う。ただそれだけ」


 俺の話を聞いて、困った表情になったそいつは、それ以上何も言わなかった。あー呆れられたかな、って少し落ちた。

 それからは関係のない話をした。こいつが同じ高校の後輩だってこと。一度だけ学校で話したことがあるということ。その時に俺が思っていたより怖くないと思ったこと。
 声が好きだと思った。どうでもいいような話を、ちゃんと聞こうとしている自分に驚いた。俺を退屈させないように一生懸命喋るこいつが、可愛いと思った。


「もう喧嘩なんてしないで下さい。傷付くあなたを見たくないんです」


 よく話すようになってしばらく。そいつが俺にそう言った。その干渉は、俺にとって心地良くて嬉しいものだった。


「分かった。もうしねえ」


 素直に聞き入れた。それでこいつが喜ぶなら。俺が傷付かないように願ってくれるなら。俺は俺を大事にしよう。そしてそれ以上に、こいつを大事にしたい。
 そんな風に思った。
 ……そう、思えたのに。


「大丈夫ですから……そんな顔、しないで下さい」


 笑顔を作ろうとしたその顔に笑みは浮かばない。ただ、引き攣って痛々しさを強調するだけだ。
 俺と関わったせいで目をつけられて、俺を呼び出せと言われたのに拒否したせいで殴られた。こいつは俺を呼ばずに殴られ続けた。
 もしもこの場に俺がたまたま来なければ、こいつはどうなっていたんだろう。このまま殴られ続けて、それでも俺を庇うんだろうか。
 ザワザワ、と総毛立つような感覚がした。それが怒りだと気付いたのは、何人かを殴ったことを自覚してからだった。その怒りに任せてその場にいた奴らを全員動かなくなるまで殴り続けた。

 俺の名前を呼ぶ声がする。けれどもうそれには応えられない。振り返れない。
 俺は傷付けるだけだから。もう俺には関わらない方がいい。顔が熱くなって、視界がぼやけた。自分が泣いていると気付いても、涙を拭う気にはなれなかった。

 これが俺だ。ちっぽけで、何も守れない。俺が出来ることなんて、お前のそばから消えることだけ。





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