狩人と獲物


 俺が所属している営業部営業一課の灰谷課長は、社内の九割九分九厘の人間から恐れられている。もちろん、俺もその中の一人だ。
 その理由はきっと、見た目にある。鋭い三白眼と、少し厳ついツーブロックのヘアースタイル。背は高くないけれど、スーツの上から見ても引き締まっていると分かる肉体は、格闘技などをやっていそうな雰囲気で。正直言って、裏社会の人間のようなオーラを醸し出している。
 その癖、仕事に関しては超が付くほど有能で、課長が言うことには全幅の信頼を置けるほどの説得力と実績がある。他人に厳しく、それ以上に自分に厳しい。
 営業二課長や、営業部長とは親しくされているというか、随分とくだけた付き合いをされているようだけれど、その方たちも、部下、上司含め、課長の眉間に皺が寄っていない表情なんてものを見た人間はいないだろう。

 そんな課長の穏やかな寝顔が、目の前にあった。


「……な、んで……?」


 朝、目が覚めて、ふと気付いた。
 俺の部屋じゃない、と。
 上半身を起こして部屋を見回そうとして、また気付く。……服を着ていない。下着まで着けていない生まれたままの状態の姿で、知らない部屋のベッドで寝ていた。

 そこから導き出される答えは一つ。

 バッとベッドにいるのであろう誰かを探して、目に入ったのが、課長の寝顔だったのだ。

 よーし、思い出そう。昨日何があった? 確か昨日は課の送別会で、酒を飲んだんだった。記憶を失うほど飲んだ記憶も無いが、ベロベロに酔った俺を課長が介抱してくれたのだろうか?
 ということは、ここは課長の部屋?
 そう思って見ると、そんな気がしなくもない。埃一つ無さそうな整理整頓された部屋は、厳しい課長に相応しいように思える。そんな中でグチャグチャになったシーツが、異様に浮いていて……さぞかし激しかったんだなあなんて思考にゾッとする。


「……榎並、……先に起きていたのか。痛いところはねぇか?」


 後ろから俺の腰に回る腕は紛れもなく課長のもので、俺を労わるような声は課長のものか怪しいくらいに柔らかい。
 そして『痛いところは』という言葉の真意を足りない頭で考えて初めて、ズクっと鈍い痛みを発する下腹部と腰。


「……なんか、腹の調子が……」

「全部掻き出したつもりでいたが残っていたのかもしれねぇな。すまない。他にはないか?」


 課長が俺の肩や首筋にキスをしている。チュッと音を鳴らしてするもんだから、その度に俺の心臓がキュッと縮こまってしまう。
 どんな反応をされるのかが恐いが、ここはちゃんと正直に言うべきだろうと、俺は覚悟を決めて口を開いた。


「あの……俺、昨日の記憶が全く……ないんです、けど」

「……あ?」


 思いっきり耳元で出された地を這うような低音ボイスに身体が震える。サーっと血の気が引いたのが自分でも分かるようだった。


「あれだけ俺に好き好き言って、課長もっとしてと何度もおねだりしたことを覚えてねぇだと?」

「俺そっ……!」


 ……んなこと言ったのまじで? 


「……まあいい」

「え、いいってどういう……?」

「お前が俺を好きじゃなかろうと、昨日のことが酒に酔ったせいで錯乱していたからだったとしても俺の知ったことじゃねぇっつうことだ。寝たのは事実だし、相性が良いことも変わりない」


 うん、だよな。このズンと重い腰が全てを物語っている。でも尻の穴はすごく痛いというわけではないから、きっと課長が上手くやってくれたんだろう。やっぱり課長はそういうことでさえも有能なんだなとか、そんなことを思った。


「お前が忘れているのなら、もう一度言う。ただしお前に拒否権はねぇぞ。俺はお前が好きだ。一度手に入れたからには手放す気なんざさらさらねぇ。諦めて俺のものになるんだな。心配しなくてもすぐに身も心も俺にハマらせてやる」


 自信に満ちた言葉と、色気を孕んだ三白眼に、少し乱れた髪がどうしようもなく格好良いと心を射抜かれて、俺の首は無意識にコクンと縦に揺れたのだった。





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