金木犀と紙パック


 ふわっとキンモクセイの香りがした。
 大学の構内では、俺が毎日通うサークルの部室がある校舎のすぐそばの1本しかキンモクセイは無い。確認した訳ではないから確かではないけれど。たぶん、1本だけ。
 なぜ今、キンモクセイの香りがしたんだろうと、俺は思わず立ち止まった。そして、辺りを見回すと、紅茶のパッケージが描かれた紙パックの飲み口に、鼻を突っ込んでいる変な人がいた。

 というか、サークルの先輩だった。


「……小野さん、何をしているんですか?」


 一つ上回生のその先輩は、俺の姿を認めて嬉しそうに笑った。その笑顔を見ただけで、俺の心臓はドクンと強く脈打った。


「いいところで会ったな! 今、三木に会いに行こうとしてたところなんだよ」

「わざわざ? またあとで部室で会うじゃないですか」

「いやいや早くしないと鮮度が落ちるからさー。ほら。嗅いでみ!」


 そう言われて、差し出されたのはさっきの紙パックで。自分の顔が引き攣るのを止められなかった。少し顔を近付けて中を覗いて見ると、中にはキンモクセイの花が入っていた。……少し残ったミルクティーに浸り気味だが。


「……どうしたんですか、これ」

「前にさ、キンモクセイ早く咲かないかなって、三木言ってたじゃん。だから」

「咲いてたから、集めて持って来てくれたんですか?」

「うん。優しい先輩だろー? 俺って」

「そういうの自分で言うところ嫌いです」


 彼は一応……というか、歴とした先輩である。年も学年も一つ上。なのに、なぜか、敬えない。とりあえず敬語で話してはいるという感じだ。面と向かって『嫌いです』なんて、よくもまあ言えるものだと自分でも思う。そんなこと他の誰にも、たとえ本気でそう思ったとしても、絶対に言ったりしないのに。
 しかも俺は、小野さんのことが嫌いではないのだ。好きでもないけど。


「三木はつれない奴だなー、ほんと」


 そう言って笑う小野さんの表情に、また俺の心臓が鳴る。切ないような嬉しいような、変な顔で笑う小野さんは、おちゃらけている普段とは比べようもないくらい大人びていた。


「……このキンモクセイ臭いですよ。ミルクティーの匂いが混ざってます」

「えっ、まじで? やっぱ洗ってから入れるべきだったかー。失敗したー」

「でも、……ありがとうございます。気にかけていただいたことは、嬉しいです」

「お、おうっ。何だよー。最初からそう言えよ」


 照れたように笑いながら、俺の髪の毛をグシャグシャにする小野さんの手から、キンモクセイの良い香りがした。

 ……好きでもないなんて、嘘だ。俺はただ、その感情を認めたくないだけ。
 笑顔を見るだけで、こんな何でもないスキンシップ一つで、俺の心臓は痛いくらいに騒ぎ出す。口では嫌いだと言っておかないと、そんな俺に気付かれるんじゃないかとビビっているだけなのだ。


「三木? どうかしたか?」

「……いえ、別に。ただちょっと、馴れ馴れしい人だなと思っただけです」

「何だよ。髪触るくらいいいだろー」

「やめて下さい。不快です」


 どうしてこんな言い方しかできないのか。いつも口にしてから後悔してしまう。
 だけど、小野さんは出会ってからずっと、いつだって優しくしてくれるのだ。こんなに口の悪い嫌な後輩なのに。


「ほんっと冷てえなー。まあ、そういうのも悪くないんだけどな」

「小野さんってほんと、変な人ですね」

「三木は俺が嫌いかもしんないけど、俺は結構お前のこと好きなんだよな。だから、お前といると楽しくて、浮かれてんだよ」


 何てことを無意識に言ってくれるんだろう。『好き』だなんて、別の意味を含ませてしまう俺からは決して言うことができない。
 そんな俺とは全く違う『好き』が、嬉しくもあり、切なくもあった。


「……よく分かりました。小野さんはマゾなんですね」

「ちげーよ! ちゃんと俺の話聞いてた?」

「はい。心に刻み込みました」

「ちょ、やめろ。たぶん事実と異なることが刻み込まれてるから! それ!」

「大丈夫です」

「何の自信だよ!」


 出会って数ヶ月。たった2人のサークルで、2人だけの部室にこれからも俺は毎日通う。
 心地いいだけではないその空間で、俺はいつまで本当の気持ちをこの人に、隠し続けていられるだろう?





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