▼ 東雲の札
かたん、と音がした。その音に千鷹は目を開けた。
「……寝ていたのか」
ソファーの上でいつの間にか寝ていたらしい。
タオルケットが掛けられていた。きっと時雨だろうと思った。
起き上がって驚く。向かいのソファーにいたのは時雨ではなく千里だった。
「来てたのか」
「呼び出したのはあんただろ」
「……ああ、そうだった」
呼び出したことすら忘れていた。
普段、千鷹は本宅、千里は別宅だ。もちろん千里は寮暮らしだ。
長い休みになれば千里は別宅に帰る。
「この辺に……」
机の引き出しを開け、取り出したものを千里に投げ渡した。
「何、これ」
それは和紙で出来た札のようなものだった。
「お前がいつか“日立”を持った時、それに日立の名前を書いて渡してやれ」
「渡さなければ、まだその日立はお前の“日立”ではない。いくら東雲に言い寄る日立に拒否権がなくてもな」
「これかなきゃ証明にならない?」
「ああ。お前も早ければそろそろ日立からのアプローチがある。それ、なくすなよ」
*****
その札はいつも千里のスーツの胸ポケットに入っていた。
自分の名前は仁が背中に墨を入れた時に書いた。仁が将来“日立”になる時、仁の直筆が入り、成立する。
もうすぐだ。
千里は思う。
仁が結婚した時、1度仁を諦めた。けれど、仁は今自分の横を歩こうとしている。
「仁……」
登ってこい、仁。
ここに。俺のところまで。
ぎゅっと胸ポケットにある札を握った。
*****
遡ること数十年前。
「お前の名前、書け。それでお前は俺の“日立”だ」
千鷹は時雨に札を渡した。
千鷹のその札は、やはり和紙でできた立派なものだ。
千鷹は先代から子供の時にこれを貰った。
東雲と日立の間で結ぶ“日立”の契約書のようなものだ。
それを東雲の先代が自分の子供に札を作り渡す。子供は、自分の“日立”が決まれば互いに名を書き日立に渡す。
千里に渡した札は千鷹の手作りだ。
もちろん、千草や千早のもだ。
千里の札は対になっている。もちろん朱里と。
それに気付くのはいつだろうと千鷹は薄く笑った。
※最初に出てくる千里は10歳位です。
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