もう慣れっこだった。
 朝起きるとひとりぶんのぬくもりしかないことも、机の上にすこしだけ冷たくなった朝ごはんが用意されてることも、ポストの中が空っぽになっていることも。遠くの大学に通うために俺より早起きをする先輩は、やさしさからか同じ時間に起こしてはくれない。それどころか、俺がたまに物音で目を覚ますと飛んできてごめんごめんって謝りながら頭を撫でて寝かしつけようとしてくる。朝弱いのを知ってて気をつかってくれてるのはわかるけど、そこまでしてもらわなくたって。
 最近課題やらバイトやらで忙しいらしく、帰りも遅いし会話も減ったしひどいときなんか連絡もなく無断外泊をして朝方に帰ってきてたりする。俺がそれについて何も言わないからって、先輩は特に理由を説明しないし言い訳をすることもなかった。いっしょに住んでいながら関係が希薄すぎて、同棲をはじめる前よりずっとふたりの距離がはなれてしまったような気がする。
 かといって冷めたとかマンネリだとかそういうのではないようで、話しかけたらちゃんと返ってくるし回数は少なくなったけど夜時間がある日は狩屋えっちしたいって言ってくるし、好きだも愛してるも前までと変わらない甘い声で囁いてくれる。ただ単に生真面目な先輩は今勉強やバイトに夢中なだけで、外で浮気やらなんやら悪いことをしてるわけではないらしかった、でもまあそれはそれで純粋にたちが悪い。

 怒るにも怒れない俺は結局ひとりさびしく起きてごはん食べて、大学ある日はちゃんと行って、バイトある日は自転車に乗って仕事場に向かって。疲れきってただいまーって玄関に倒れ込んでもおかえりーって声はしなくて、一日のうち先輩とこの部屋にいる時間なんてほとんどないに等しかった。
 家賃も生活費も先輩のほうが多く負担してくれてるし、元々責任感の強いあの人のことだから俺を養わなきゃとかそういうのもあるんだろうけど、なんにせよ狩屋マサキ本人をないがしろにしすぎだ。好かれてるのもわかる、愛されてるのもわかる。でもやっぱりふたりの時間がほしいと思ってしまうのはいけないことなんだろうか。わがままでおこがましいことなんだろうか。

「うま……」

 綺麗に巻かれた卵焼きは俺の好きな甘いやつ。ぬるくなった味噌汁をすすりながらテレビをつけてチャンネルをいろいろ変えてみたけれど、朝の番組はどれもたいして面白くない。

 俺といっしょに住まないかって、ガラにもなくちょっと照れながらそうきかれて、心臓がはねあがるくらい嬉しかったのを覚えている。決して広くない、むしろふたりで暮らすには狭いくらいの一室に各々私物を持ち込んで、だんだん完成していった俺と先輩の居場所。最初のころ二枚ひいていた布団はいつしか一枚になって、寄り添って手と手を繋いでどっちかが眠くなるまでたくさんたくさん話をした。大概俺が先だったけどたまに先輩のほうがはやく寝ちゃったとき、その綺麗な寝顔をまじまじ観察したり、こっそりくちびるにくちびるを当ててみたり、まだ少しだけ湿った髪に指を絡めてみたり。あふれる感情はどうしようもない好きを叫ぶばかりで、先輩好き好き大好きってもう限度がないからいつもがんばって目を閉じて眠ろうとしていた。

 悪い夢の途中で飛び起きると先輩は俺が落ち着くまで頭や背中をやさしく撫でてくれて、それがあったかくて気持ちよくて安心するからもっともっとって。口に出さなくたって先輩はわかってたみたいで、いつもぎゅうって抱き締めては大丈夫俺がいるよって魔法みたいな言葉をくれた。いつの間にかずいぶん広くなった先輩の背中に腕を回して、このまま朝がこなくてもいいのになあなんて毎日のようにそう思ってた。

「あ」

 見慣れた顔に思わず声を上げる。史上最年少で最優秀賞、と画面の右上に書かれていた。外国で行われた名高いコンクールで堂々たる成績をおさめた神童拓人が、四角い液晶ディスプレイの中で嬉しそうに笑ってる。ピアノで留学したのは聞いてたけど、まさかこんなにすごいことになってるとは。霧野先輩はもう知ってるのかな、そう思ってケータイを開いてメールを立ち上げかけて、いややっぱそれはちがうだろと踏みとどまった。なんで久しぶりのメールがあの人のことなんだ。

 日本のインタビュアーにむかって受賞の喜びを話す神童キャプテンは、ちっとも中学の頃の雰囲気を残しちゃいない。しっかりと自立した一人前の男といった感じで、大学もバイトもない完全オフの日の俺とはまるで天と地のようだ。元々すごい人だとはわかっていたけれど、こうも差をみせつけられると劣等感というかなんというか、生きてる世界がちがうんだよなーと思ってしまう。数年前まで同じフィールドで同じ勝利を目指して共に走った人なのに。

「……霧野先輩……」

 そうだ、霧野先輩だって。いがみあったり対立したりいろいろあったけどDF同士力を合わせてゴールを守って、ピンチのとき連係プレーがうまくいって思わず抱きつきあったりもした。ずっといっしょにサッカーしてたいって思ってても時間はどんどん過ぎて、先輩はあっさり引退して卒業しちゃって、三年生になった俺はDFの要とか言われて。それは元は霧野蘭丸って先輩の称号なんだって新入部員たちが知ることもないまま。

 行儀悪くテレビの前に立ちながら朝ごはんを終えて、することもないからまた布団にもぐりこんだ。狭いはずの部屋も、先輩がいない時間が増えてからは広く感じるようになった。忙しいくせに先輩は要領よく炊事掃除洗濯をこなして、俺にできることはあんまりない。何か手伝いたいと持ちかけても先輩は笑って大丈夫だから気にすんなと言うばかりで、俺は結局のところ一から九くらいまで全部先輩にやってもらっている。最初のころは何もやらなくてすむし楽だなーなんて思っていたけど、勉強やバイトに加え家事もやらせるなんて申し訳なくなってきて、ちょっとずつこそこそ手伝ったり先輩がやりやすいように下準備をしてみたり、でも小さいことばかりだから気づかれているのかも微妙なところだった。唯一の救いは忙しくても先輩が楽しそうだということだけ。同棲をはじめてから、そりゃ少しは喧嘩もしたけど基本的には円満で、特にいさかいもなく仲良くやってきた。単純に考えるとただ感情に変化が起こるほど長い時間いっしょにいないからかもしれないけれど。

 さっきまで寝ていたというのに、布団に入ると眠くなってきた。先輩今日も遅くなるのかな、そういや最近バイトのシフトがどうとか教えてくれないな、先週の日曜久々にデートしようって約束してたのに結局ナシになったし、俺はこうしてひとり布団のなかにいることが多くなって。

 ……俺がここにいる意味っていったいなんなんだろう?

「せんぱあい」

 さみしいよ、先輩俺さみしいんだよ。自分のことをがんばって、俺のためにがんばって、ふたりのためにもがんばって、先輩がいっぱいいっぱいがんばってるのわかってるけど、だからわがまま言っちゃいけないってわかってるけど。こんな思いをするくらいなら、夜こっそり家を抜け出して誰もいない公園で他愛もない話に花を咲かせた高校時代のほうがよっぽどよかった。先輩好きって言ったらはにかむみたいに笑ってありがとう、俺も狩屋が好きって、肩を抱き寄せて頭を乗っけて、ああおんなじ高校行っとけばもっと長く近くにいれたのになあって。

「蘭丸、先輩……」

 最後にデートしたのはいつだっけ? 好きだって言い合ったのは? この布団で肌を重ねたのは? ただいまって声がしておかえりって返したのは?

 へんなの。まわりから見ればしあわせなはずなのに、ちっともしあわせなんかなくて、あるのは伝えられない好きとこっそり抱え込んださみしさだけ。いっそ俺も留学して遠くに行っちゃえばよかった。そしたら先輩は俺をもっと必要としてくれた? それとも忘れてしまう? 先輩はかっこいいから、大学入学と共に長かった髪を切ったせいで容姿までもかっこいいから、今から誰か他の女の子と恋愛することだってできるはずだし、人並みのしあわせを見つけるくらい簡単なことだろう。俺も俺で言い寄ってくる子はそれなりにいたし、今のバイト先でもあの子狩屋くんのこと好きらしいよーみたいな噂は何度か聞いたから、付き合おうと思えばすぐにでも付き合えるんじゃないかなと。

 でもちがうんだよなあ。
 俺は可愛い女の子をしあわせにしてあげたいわけじゃない。女の子なんかより可愛くてそれなのにとびっきりかっこいいあの先輩にしあわせにしてもらいたい。そんで俺も先輩をしあわせにしたい。どうせ子どもだってできないし結婚も日本じゃ無理だし、俗に言うしあわせな家庭ってやつはがんばったって築けないけど、到底しあわせなんかにはなれないけど、それでもいいから先輩といたい。生産性のない愛でも、ばかばかしくても、先輩が笑って、俺も笑って、そうしたらそれだけでたぶんしあわせって言い切れるから。
 結局いつだって依存してて、一ミリも離れたがらない俺の心は全部あの日から先輩のもの。叶うなら先輩のすべても俺のものにしたい。がきくさい独占欲はキリキリと胸を痛め付けて、ひとりきりの部屋のなかに不安を充満させた。今日はもう帰ってこないんじゃないかと、そう思うのが怖くて目をぎゅっと瞑って頭から毛布をかぶって、先輩の一番がまだ俺でありますようにと願うくらいしかできない。




20120223 miyaco

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