ちいさなイルカのぬいぐるみをかかえてあまりにもうれしそうにわらうから、だきしめてしまいたい衝動をこらえるのに必死だった。ほんとにあのでかいほうのじゃなくてよかったの。訊いたら、いいんですこれで、とにこにこ返される。

「あーやわらかいっ」
「どれ、ちょっとさわらせて」
「はーいどうぞ……、ってせんぱいそれ、俺の腕なんですけど」
「やわらかいなあ」
「もー、いみわかんない」

 もらった紙のてさげ袋にぬいぐるみをだいじにだいじにしまいこむ狩屋と並んで、向かうのは水族館の出口だった。おみやげやさんで思ったより時間をくってしまって(狩屋が園のみんなへのお菓子を悩みに悩んでいた)、もうとっくに日は暮れている。門限だいじょうぶかとたずねると今日はおそくなるかもって言ってありますって返されて、ああ狩屋も夜までいっしょにいてくれるつもりだったのかとひとりで勝手にうれしくなった。

「それにしても、イルカショーすごかったですねえ」
「あんな飛べるもんなんだなぁ、イルカって」
「ね、水中から四匹でいっせいに大ジャンプ……、あーたのしかった……」

 余韻にひたる狩屋をよそに、館内を出て外の空気をすいこんだ俺の心臓はばくんばくん、きたる本日のメインイベントのためにいまから暴れはじめる。落ち着け、一旦落ち着け。狩屋は逃げない、だいじょうぶだ。逃げようにも観覧車のゴンドラのなかなのだ。
 脳内シュミレーションなら幾度となくくりかえしてきた。告白する夢まで見た。残念ながら狩屋がどう答えたかわかるまえに目がさめたけど。言うとしたら、お決まりだけどてっぺんだろうか。狩屋はどんな反応をする? よろこぶ? おどろく? それとも引かれる? 俺はそんなふうにせんぱいを見てないですって言われる? ばかやろう俺だって、最初はこんなつもりじゃなかったんだ。なのになんで。……って、そんなのいまさらわかりきってる。

「小人と大人しかないですね」

 券売機の表示を見て狩屋が言うけど、おまえちっちゃいから小人でいいかもな、なんていつもみたいに冗談を返せなかった。真下から見上げる観覧車はほんとうにおっきくて、ふたりでこれに乗って、俺は告白をするんだと考えたらもう息がつまりそうになる。
 千円と四百円、機械につっこむ最中もだまったまんまの俺の顔を見つめて、狩屋もなにを思ったのか口を閉ざしてしまった。乗り口にいる係員に券を二枚渡して、案内されるがままゴンドラに乗り込んだら、がちゃんと外から鍵をかけられてあっというまにふたりっきり。係員のおにいさんとおねえさんのいってらっしゃいの声がやけに遠くにきこえて、特別広くもないゴンドラのなか、薄暗くて正面に座っている狩屋の顔がよく見えない。

「おぉほんとだ、あんまりゆれないんだ」

 窓に手をついて外をながめるすがたを、夢のつづきでも見てるような気分で目にやきつけた。狩屋に、告白、しなくちゃ。

「わぁ、すご……きれい……」

 ぎゅっとにぎりしめた手のひらが汗ばむ。高度が上がると狩屋が歓声をあげて、ほらせんぱい見て見て、指をさしながらはしゃいで言う。あお、あか、きいろ、むらさき、みどり。観覧車の骨組みにとりつけられた電灯がさまざまな色にうつりかわっていく、そのひかりのなかで。

「……狩屋」

 なまえを呼んだら振り向く。なんですかぁ、ってちょっとまのびしたことば。

「となり、座ってもいい?」

 自分でもびっくりするくらい真剣な声になって、狩屋もとつぜんのことに目を見開いた。

「……い、いいですけど……」

 おみやげやさんの紙袋をひざに乗っけて席をあけて、どうぞとちいさな声で言われる。立ち上がったら、かたよった重みを調節しようとゴンドラがすこし揺れた。狩屋は横の窓なんかを見てる。
 ……てっぺんが近い。となりに腰を下ろしたら、肩がふれあうほどそばに狩屋がいた。心臓は相変わらずどっくんどっくん、さっきよりうるさくてちっともあたまが働かない。こくんと唾を飲み込んで、脚の上にちょこんと置かれていたちいさな手のひらに自分の手のひらをそうっと重ねた。せっかくの夜景を見ていたいだろうに、狩屋はしっかりと俺のほうを向く。

「……狩屋、おまえのことがすきだ。……俺と付き合ってほしい」

 ちゃんとてっぺんじゃなかった気がする。でもいい。なんとか噛まずに言えた。俺をうつす狩屋のひとみが、電灯できらきら、夜景よりもずっとずっときれいだと思った。

「……せんぱい」

 ゆったりとした声で、狩屋が呼んで、思わず手に力が入る。

「……もしかして、それ言うために観覧車乗ろうって言ったの?」

 くちもとがわらっている。目尻が下がって、やわらかいえがお。伸びてきたもう片方の手が俺のほっぺたをそっとなでてどきどきした。

「あっ! ねえせんぱい、いまてっぺんだ」
「えっうそ」
「ほんと、ほら横のゴンドラふたつとも下にあるよ」
「わ、あ、あっどうしよ」
「俺、観覧車のてっぺんでは、ちゅーするってきいたんですけど」
「へっ?」

 がさがさ、紙袋を動かす音がしたと思ったら、狩屋の顔が近くなって、考えてもみなかった事態にあたまがついていかない。

「せんぱい、ほらはやく。てっぺんじゃなくなっちゃうよ」
「あ、う、うん、」
 華奢な肩を引き寄せて、やったこともないけど見よう見まね、すこしだけ首をかたむけて、くちとくちをくっつける。

「ん……」

 ちゃんとできているのか不安になってゆっくり目を開けたら、かつてないほどすぐそばに狩屋が見えてびっくりした。……あ、ほんとにちゅー、してる。

「……、きりのせんぱい」
 首にまわされた手をいとしいと思う。吐息をまぜあわせて、ひたいをこつんとぶつけたら、もういちど短いキスをした。キスなんていうにはあまりに幼い、子どもがたわむれにするようなものだったけれど。

「……狩屋」

 髪をなでるとくすぐったそうに目を細める。耳もとにふれたら、狩屋が俺の手をつかまえてそっと頬擦りしてきた。「狩屋、すき」 たまらなくなってそう言えば、ふふっとなんだかかわいらしくわらって返される。

「うん、知ってました」
「……やっぱり?」
「だってせんぱい、わかりやすすぎますよ」

 いつ言ってくれるのかなって、ずっと待ってた。ほほえんで、それから腕のなかに飛び込んできた体温をつぶしてしまわないように抱きしめて、胸いっぱいにしあわせを吸い込む。

「俺も、せんぱいがすきです」
「……ありがとう」

 観覧車がまわる、まわる。二十分なんてあっというまだ。降り口が近づいてきたけれど、はなれようという気にはなれなかった。結局俺、夜景なんてぜんぜん見れてない。でももっと見てたいものを、これからずっと見ていられる権利を手に入れたのだ。がちゃり、外から鍵がはずされて、手をつないでゴンドラを降りる。紙袋をぶらさげてごきげんな狩屋と、もうすっかり暗くなった駅までの道をのんびりとたどった。


「……ねむくなった?」

 人影もまばらな電車に揺られ、となりに座った狩屋は俺の肩にこてんとあたまをのっけて、「ちょっとだけ」 とちいさくこたえた。がたんごとん、景色がながれていくのをぼんやり見ながら、つながれたまんまの手をきゅうとにぎりしめる。なんだかふわふわしていて、まさか夢なんじゃないかとすこし不安になるけれど、狩屋のあったかい手のひらがやさしく教えてくれる。夢じゃない。狩屋が、俺をすきだって。

「せんぱい」
「うん?」
「さっき、俺、ちゃんと返事しなかったですね。付き合ってほしいっていうの」
「えっ……ああ、うん」
「はずかしくって、ついごまかしちゃいました。今言ってもいいですか?」

 ちいさな手がにぎりかえしてきて、おさまっていた心臓がまたどきどきばくばく。狩屋のおかげで今日はずいぶんいそがしい。

「……こんな俺でいいなら、せんぱいのそばにいさせてください」

 しずかでやわらかい、まどろむような狩屋のことばに、あたまがじんわりとしびれていった。しあわせにするよ、なんて月並みのせりふしか返せないのに、狩屋はうれしそうに、俺もがんばってせんぱいをしあわせにしますねって言って、わらう。もうじゅうぶん、かかえきれないくらいしあわせなのに、おまえはもっともっとたくさん俺にしあわせをくれるつもりでいる。

「……すいぞくかん、また来ましょうね。やくそくです」
「うん。……やくそく」

 なんだって与えてやれるのに、ちいさなぬいぐるみひとつで満足してしまう、おまえがすきだ。髪のクセも、爪のかたちも、ねむくなると手の甲で目をこするその仕草も。すべていとしい、俺のたいせつな子。かわいい子。水槽のなかにとじこめた、あおい色した恋の魔物。もう捕まえた、一生逃がしてやんないから覚悟して。……って、かっこつけて言えるほど、まだ勇気がないのが難点だけど。でもこれからはおまえのために、かっこつけなんかじゃなくて、いつかほんとにかっこよくなってみせるから、どうかそのときもとなりでわらっていてほしい。





20120310 miyaco
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