いち、にい、さん。いち、にい、さん。

滑らかなピアノと様々な香水とアルコールの香りの中で、とても自然に踊る男のひとと女のひとを頭の中で三拍子を数えながら見ていた。ふわり、と女のひとが微笑みかけると、男のひとも見たことがないほど柔らかく笑う。軽く繋がれた手に違和感は全然なくて、わたしは彼らが知らない男のひとと女のひとのような気がした。
さっきまで神童キャプテンをじっと見つめていた茜さんも、退屈そうにフォアグラを咀嚼していた水鳥さんも二人を見ていた。オレンジの瑞々しい香りがするグラスにべったり付いたグロスを指で撫でる。何だかそれがこどもっぽく見えて仕方なかった。

神童キャプテンと鬼道監督が出席するパーティーに行くのを誘ってくれたのは音無先生だった。知り合いなら誰が来ても構わないし行ってみたくない?茜さんがカメラを構えてきらきらと目を輝かせたのを見て、水鳥さんと顔を見合わせた。そうしてドレスを着て少しメイクをして足にぴたりとはまる靴を履いたら、何だかお姫さまになったような気分になった。
だけど、憧れのあのひとのお姫さまは音無先生だった。緩やかに流れる川のように足元を止めることなく二人はステップを踏む。たとえばわたしが踊れたら、あんな風になれるのかな。知らない男のひとと女のひとを見ながらそう思った。



「わっ、天馬力抜きすぎだよ」
「そんなこと言ってもおれこうしないと動けないよ」

河川敷の芝生の上でふらふらしながら天馬に訴えると、困った顔をされた。太陽の下のダンスは何だかあかるすぎる。いち、にい、さん、ってこうだよね?とまるでロボットのように体を離した天馬がぎこちなく手足を動かすので笑ってしまう。サッカーの練習の手伝いをした後、こうして天馬に何度付き合ってもらっても一向にあんな風に踊れなかった。

「うーん、天馬ドリブルは上手いのにどうしてだろう?」
「おれには向いてないんだと思うな。何ていうかドリブルするときも力が入ってないって言われるもん」
「そっか、ちょっとわかるかも」

天馬のそよ風ステップは自分の周りの風を味方に付けて相手を抜く。抜かれた相手はみんな一瞬消えたように感じると話すので、たぶん体の芯をきっちりさせてボールを蹴るタイプのプレイヤーじゃないんだろう。踊れる女のひととならともかく、踊れないわたしのリードを頼むには柔かすぎるのかもしれない。首を傾げて考えていると、天馬は、あ、おれには難しくても他のみんななら出来るかもしれない、と身近な名前を挙げ始めた。

「信助は?」
「初心者にはちょっと身長差が難易度高い気がするな」
「狩屋は?運動神経いいし」
「うーん、狩屋くんはヒップホップなら踊れそうだけど」
「あ、じゃあ剣城!」
「……踊ってくれると思う?」
「……。輝は?」
「見本があればできそうだけどそれがないとなると難しいかなぁ」

一通り出した一年生にあまり向いている相手はいなそうだった。だからといって神童キャプテンに頼むのも茜さんに悪いなぁ、と考えていると、天馬がポン、と手を叩いた。

「葵は音無先生みたいに踊りたいんだから音無先生に頼めばいいんじゃない?まだ学校にいるだろうからおれ呼んでくるよ!」
「あ、天馬!」

言い終わる前に学校に走って行ってしまった。パーティーで見た音無先生みたいに踊りたいから付き合ってとお願いしたのを覚えていたみたいだ。本当は鬼道監督と踊りたいから、というのは天馬には内緒にしていた。
それはわたしだけの秘密だった。きっと天馬はばかにしたりしないだろうけど、ゴッドエデンで助けてもらったときの息が詰まるほどの真剣さも、ときどきわたしの短い髪を見て懐かしそうに目を細める(ように見える)視線も、鬼道監督が誰かの影を重ねていることを知っていたから言いたくなかった。口に出してしまったら、何だかさみしい気持ちになりそうだから。



あおいー、と呼びかける声に振り向くと天馬と鬼道監督が立っていた。悪いな、春奈が忙しそうだったんで代役だ、と少しだけ鬼道監督が表情を崩した。まさか本人を連れてきてしまうとは思わなかったけど、天馬は何も悪くない。ジャケットを脱いだ鬼道監督が、そっとわたしの手を取った。

「ダンスに憧れるというのは女の子らしいな」

海外映画に出てくるような素敵な女のひとなら、憧れているのはあなたによ、なんてこういうときに言えてしまうんだろうけど、そんなことは言えなかった。その代わり、この間すごくかっこよくて踊りたいって思ったんです、と返事をした。触れた手のひらは男の子じゃなくて男のひとのそれで、すごくどきどきした。ぶるぶる体が震えているのが自分でもいやなほどわかった。

「そんなに緊張することはない。これでも昔教えたことだってある」

その言葉に注射のときみたいなチクリとした痛みを感じたのは一瞬で、サングラス越しのきれいな形の瞳から目が離せなくなった。微かに甘くて粉っぽい香りも、動くと時計のカチャリと鳴る音がすることも、近付いてはじめて知った。
勇気という勇気を振り絞って、踊れるようになってパーティーに行く機会があったらわたしと踊ってくれますか、と尋ねると、あぁ、と鬼道監督は笑った。聞かなくても何か理由をつけて最初に踊ってもらうことは決めていたけど、すごくすごく嬉しかった。


あかるすぎる太陽の下、みどりいろの芝生の上で、少しだけお姫さまになれた気がした。いち、にい、さん。いち、にい、さん。わたしは憧れのあのひととステップを踏む。




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