▼ 冷たい雨、温かい雨
「雷君。」
俺は最愛の人をそう呼ぶ事になった。妹がそう呼んでいた事もあってしっくりきたというのもあるが、やはり一番の理由は呼び捨てはまだ恥ずかしいからだ。
…そりゃ欲を言えばいつかは呼び捨てで呼んでみたいと思う。だけど今の俺にはこの呼び方で精一杯なのである。
「あの、武宮さん」
でもふとした拍子に今まで通りに苗字で呼んでしまうことがあるのだ。ずっと長いこと「武宮さん」と脳内でも呼んでいたからだろう。
しかしそういうときは決まって武宮さんこと雷君は反応しない。
「あ、あの?」
「………」
そう。
無反応なのだ。
「その、えっと…ら、雷君?」
しかし未だに照れ臭く思える名前で呼べば、雷君は反応してくれる。「どうした、順平」と低く優しい声で俺に応えてくれるのだ。恥ずかしいけれど、俺はこのやりとりが好きだ。
だって普通のカップルみたいだろ?それが堪らなく嬉しく思える。
片思いしていた当時よりも、俺は更に雷君の事が好きになった。ストーカーして離れた所から見ているだけでは分からなかった部分も含めて大好きなんだ。意外と朝に弱い所とか、たまに意地悪になる所とか、手を握るのが好きな所とか。雷君の全てが好き。
…だけど。
幸せが増えるにつれて、不安な部分も増えてくる。
「順平?」
「………」
「どうした?」
俺の様子がおかしい事にすぐさま気付く雷君。そういう雷君が好き。大好き。でも、だからこそ醜い心を持っている俺は馬鹿みたいに不安になる。
そしてこの優しさに甘えるんだ。
具合が悪いのか。それとも俺の言動が気に触ったのか。そんな風に優しい言葉を掛けてくれる雷君の手を握った。
「順平、」
「…俺、馬鹿だから余計な事も色々考えるんです」
「どんな事だ?」
「………、」
「言ってくれ。不安や不満があるならば対処する」
「その、…俺の妹と雷君の関係が気になって…っ」
「…関係?」
俺はこの前見てしまったんだ。
夜中トイレに行きたくて目が覚めて下に下りれば、楽しそうに仲良く話す妹と雷君の姿を。
俺は嫉妬した。…もちろん妹にだ。付き合う前からも妹には嫉妬ばかりしていたが、雷君と付き合いだしてから妹に嫉妬をしたのは今回が初めてだ。
つくづく俺は性根の腐った馬鹿兄貴だと思ったよ。心の何処かではまだ二人を信じられない俺が居るのだから。
「二人はどんな関係…ですか?」
「どういう意味だ?」
こうなりゃ勢いで聞くしかない。
性格の悪いクソ野郎だと思われてしまっても仕方が無いと思う。だってそう思われてしまうようなことを俺は聞いているのだから。
「妹と、…つ、きあってるんですか?」
「…は?」
嫌われる覚悟で訊いた質問には、盛大な溜息が返って来ただけだった。
「……はぁ」
「…っ、」
「順平…、」
「ご、ごめんなさ、お、俺…っ、」
「馬鹿」
「……ぅ…?」
掛けられた言葉と同時に頭をクシャクシャっといつもより少し乱暴に撫でられた。…何で?怒ってないの?
「本当。馬鹿だな」
「…らい、君?」
「馬鹿だけど、そういう所も可愛い」
「……?」
「嫉妬してくれたのか?」
「え、…あ、いや、その…」
「してくれたんだな」
「……っ、は、…い」
あんな事を訊いた俺に怒ってないのかな…?恐る恐る雷君の顔を覗き込めば、嬉しそうに微笑んでいる。
「怒って、ないんですか?」
「ん?ああ、怒ってねぇわけじゃない」
「……怒ってる?」
「まだ信用して貰えていないという点にはな」
「……、」
「だがそれは俺も悪いだろ」
「そ、んなっ、…雷君は何も悪くないです」
「不安にさせた俺も悪い」
「……雷君」
「でも疑う順平も悪い」
「は、はい」
お相子だろ?と聞かれ、いや百パーセント俺が悪いと思う。だけどそう言ってくれる雷君の言葉を否定できるわけもなく俺はただ頷いた。
「何度も言う。俺が好きなのは順平だけだ」
「……は、い」
「不安にさせて悪かった」
「俺こそ、疑ってすみません」
「……仲直り、だな」
「……仲直り、ですね」
顔を見合わせて同じようにそう言えば、雷君はチュッとキスをしてくれた。どうやら仲直りのキスのようだ。意外とロマンチックな面を持った雷君も俺は大好きだ。
*****
順平が寝ている夜
「え?私と雷君の仲を疑われた?!」
「ああ」
「何それ。面白い!」
「面白くねぇだろ…」
「こうやって話す私と雷君の姿見て、お兄ちゃんは不安になってたんだ」
「ああ」
「そしてそんな健気で可愛いお兄ちゃんに、雷君は欲情したわけか」
「…襲ってはない」
「当たり前よ。手出したら一ヶ月は家に入れてあげないから」
「………」
「しかし、不安になる要素なんて何処にもないのにね」
「順平からしてみれば不安だったんだろ」
「まぁ、姿だけ見たらね。でも会話の内容まで聞けばお兄ちゃんはきっと赤面してたかも」
「そうだな」
「私と雷君の会話なんてお兄ちゃんについてしかないのに」
「…可愛いよな」
「うん。お兄ちゃんは可愛いよね」
END
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