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武宮さんと妹が未だプラトニックな付き合いをしているのだと内心めちゃくちゃ喜んだのが昨日の話。そして今日の俺は学校から家に帰ってきて、玄関を開けて固まっている。
理由はそう。
目の前に武宮雷さんが居るからだ。
「あ、お兄ちゃん帰って来た」
「……え、…ちょ、」
な、何なんだ、この状況は。何で武宮さんが家に居るんだ?どっきりか?…はっ!もしかしたら俺に会いに来たのかも、そんな淡い期待を抱いた瞬間、妹の一言でその思いは儚くとも散った。
「お兄ちゃんには雷君を紹介したかったから、呼んだんだよー」
「…あ、そ、そうですよねぇ」
俺に会いに来るわけないですよね。というか武宮さんは俺の事など覚えていないでしょうしね。…はぁ。切ない。
妹の彼氏が武宮さんではなければ、本当に心の底から協力や応援出来たというのに。兄である俺に妹が彼氏を紹介してくれることは喜ぶべきことだろうが、これはもういっそ拷問に近いぞ。俺の前でイチャイチャなんかされたらもう死ぬ。
それに好きで憧れの存在がこんなに近くに居るなんて、…もうやばい。
「えっと、…妹の兄の順平です」
「………」
「よろしくです」
さり気なく手を出したが、本当は心臓は今にも破裂しそうなくらいバクバクいっている。俺死んでしまう、って思うくらい。そして俺が差し出した手を武宮さんはジッと見つめた後、握り返してくれた。
「……よろしく」
「……っ、」
ああ、もう俺死んでもいい!武宮さんに「よろしく」って言われた。俺、武宮さんと握手した。どうしよう。学校から帰って来たばかりだけれど、俺手は絶対洗わない。もう一生洗わない!
「……」
急激に体温が上昇するのを感じながら、名残惜しいが俺からするりと手を離した。あっけなく離れてしまう手に、俺と武宮さんの距離感に似ているなとか自虐的なことを少しだけ思ってしまった。
そんな事を思っていると、妹から声を掛けれられた。
「お兄ちゃん買って来てくれた?」
「…へ?」
何を?
「もしかして携帯見てない?」
「…携帯?見てないけど?」
「飲み物買ってきてってメールしたんだけどな」
「あ、嘘、ごめん。」
何て使えない俺。
妹の彼氏に欲情したりする上、ジュース一つ買ってくることの出来ない俺って何て最低で役立たずな存在だろうか。俺は学校指定の鞄の中から財布だけ取り出し手に取った。
「悪い、今から買ってくるから」
「…え?わざわざお兄ちゃんが行かなくていいよ」
「……でも」
「私が行ってくるから」
「……え?」
そんなお前が行くならば武宮さんはどうなる?
お、俺と二人きり?ば、馬鹿野郎!握手してよろしくと言われただけでも心臓壊れるかと思ったのに、二人きりなんてハードルが高過ぎる。一体何を話せばいいんだよ!
「いやいやいや!俺が行ってくるから!」
「駄目、私が行く!」
「……っ、」
「お兄ちゃんは雷君とお留守番ね」
ウィンク一つ飛ばす妹の後姿を見ながら、俺は何も言えないまま妹の背中を見送った。
「……あ」
まじかよ。ど、どどどどどうするの、これ。
こんなときどうすればいいか分からないの。違う、違う、パニックになり過ぎて俺の大好きな零ちゃんの名台詞が思い浮かんできてしまったじゃないか。
お、落ち着け、俺。
「っと、座りましょうか」
「……」
すると武宮さんはコクンと一つ頷いた後、俺の後ろをついてきてくれた。俺はそんな武宮さんをソファに座らせた後、どうすれべきか迷っていた。
このままナチュラルに自室に入るべきなのか、それとも一緒に居るべきなのかと。で、でもあれだよな。客人を一人にして自分は部屋に戻るなんて無礼過ぎる。初対面に近い武宮さんに「気が利かない奴」なんて認識されたくない。
そう思った俺は、武宮さんから少し距離を置いてソファに腰を下ろした。
「…………」
「………」
続く沈黙。
俺の唾を飲み込む音が妙に響く。…は、恥ずかしい。何か会話を。会話を見つけなければ…っ。
だが何を言えばいいやら。パニックになった挙句最初に出た言葉がこれだ。
「た、武宮さんは、何で妹に手を出さないんですか?」
「………」
死ね、俺!
何て会話のチョイスしてるんだ俺は。馬鹿か、もう死にたい。いっそ誰か殺してくれ。だが一度会話を持ち出した以上撤回する勇気もなく、俺は上ずった声で更に話を進めた。
「き、昨日妹から、相談されちゃって」
「………」
「何でかなぁ、とか思っちゃって…」
「………」
「…あはははは、」
…ははは、死にたい。
もう最悪だ。「気の利かない奴」どころか「うざい糞野郎」と認識されてしまったに違いない。もう落ちるところがないくらいだろうな。
「……」
それなら、そうだな。
どうせ嫌われてしまっているなら、とことん嫌われてやろうかな。そんな事を思ってしまった。
「もしかして、キスの経験がないからとか?」
「………」
「…あはは、それなら俺が練習台になってあげましょうか、……なんて」
乾いた笑みを浮かべながら冗談混じりに言えば、今まで反応さえしなかった武宮さんが俺の方を見てきた。その視線はとても冷たく感じた。
「じょ、冗談でもキモイこと言ってごめんなさい…っ」
もうやだ。何でこんなことになったんだろう。
本当は武宮さんに嫌われたくないのに、最悪だ。…やばい、泣きそう。
鼻を啜りながら俯いていれば、武宮さんが俺に話し掛けてくれた。
「……練習」
「…え?」
「練習、させてくれないか?」
俺は、固まった。
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