love is never wrong


 婚約者が知らないうちに他の女と結婚しそうになっていたなんて。そんなの知らなかったし、将来一緒になるわたしにも一言も言ってくれないなんて酷い話だと思う。

「ナマエさん……そのお、お菓子、た、たた食べません?」
「いらない」
「ウッ……さ、サーセン……」

 ナイトレイブンカレッジの開校日、久々に会う婚約者のために手土産を持って訪れた学園で耳を疑うような話を聞いたわたしは、メインストリートの片隅にあるベンチでイデアの言い訳を聞いてあげていた。ゴーストのお姫様に見初められ、あの世に連れていかれそうになった──そんな話、聞いていない。

「あの男の子がなにも言わなかったら、このまま知らないままだったわ」
「サーセン……」

「ええ!? イデア先輩の婚約者!? このあいだゴーストと結婚しそうだったのに!?」と、驚きながらも色々と暴露してくれた赤髪の男の子には感謝している。名前はエースくんというらしいけれど、その話を聞いたわたしの表情が見るのも恐ろしいほどに凍りついていたのか、彼はそそくさとわたしたちから離れてしまった。
 なんてことを、呟いて青白い顔を更に青白くさせながら下手くそな笑みをわたしに向けたイデアに、腹が立たないわけがない。
 自分の好きなこと以外はなにも言わないし饒舌にはならないイデアらしいといえばイデアらしい行動だとも思うものの、わたしは彼の婚約者で、それ以前に恋人でもある。そんなに簡単に壊せる関係でもなく、家同士の取り決めで婚約者という立場にいるわたしは、彼にとっても取るに足らない存在というわけではないだろう。それでも彼はなにも言ってくれなかった。

「誠意がないのよ、あなた」
「ヒエッ……すみませんでした……」
「そもそも、わたしがどうして怒っているかわかってるの?」
「そ、それは……拙者がなにも言わなかったから……」
「なにを?」
「ゴーストと結婚させられそうだったこととか……で、でも! ぼ、ぼぼ僕だって嫌だったんだよ! キスなんてしたらあの世行きで、そりゃ怖いしみんなは頼りにならないし──」
「イデア、あなた。ちっともわかってないわ!」
「ヒョエッ」

 わたしがベンチから立ち上がると、イデアはちまちまと手遊びしていた手を胸の前で跳ね上がらせ、肩を揺らした。彼はちっともわかっていない。わたしがどうして怒っていて、その怒り以上にどうして悲しんでいるのか、頭はいいはずなのにわかっていない。鈍くて、恋愛に不慣れなところは年相応の男の子らしくて好ましく思うけれど、女心も多少は理解してほしいと思う。
 わたしだって、彼が本意ではない結婚のために連れ去られて怖い思いをしたであろうことはわかっている。生まれてからずっとそばにいたのだから、臆病なイデアがどれだけの恐怖を覚えたのかはその時の様子を見ていなくても簡単に想像できたし、死のキスを回避するために必死に逃げようとする彼の姿もありありと頭に浮かんだ。だけど、思うのだ。
 ゴーストのお姫様とキスをしていたら、彼はこの世にはいなかった。それが、それだけが、一番恐ろしくて、怒りを感じているのに、イデアは泣き出しそうな顔でわたしを宥めるだけだ。きっと彼は、わたしが例のお姫様に嫉妬して妬いていると勘違いしているのだろう。
 違うのに。
 嫉妬も勿論したけれど、死にかけたというのにわたしになにも言ってくれなかった事実だけが悲しい。それを、彼はわかってない。

「わたし、そんなにあなたのこと愛していないように見える?」
「ファッ!? あ、あい……あいですと……?」
「どうして言ってくれなかったの。死ぬかもしれないだなんて、一大事じゃない!」
「おっ、落ち着いてくだされ、ナマエさん……ヒィ……視線が、視線が集まってる!!」
「あなたはこんな時も他人の目を気にしてばかり!」

 もう嫌になる。せっかく久々に会えたのに仲良くできないのは、思ったよりも苦しかった。イデアのために青色のワンピースを着て、髪を巻いて、いつもより気合を入れてお化粧をして、イデアが懐かしがるだろうと思って地元のお菓子だって買ってきた。だけど全部、台無しになっている。
 年上だからもっとちゃんと余裕を持たないと、年上だから年下の彼の手をしっかりと引いてあげないと。
 出会ってからずっと抱えていた決心も今は揺らいでいた。感情のままに怒鳴って泣くなんて面倒くさい女の象徴そのものだろう。このまま嫌われてしまうかもしれないと思いながらも、泣き顔は見られたくなくて、慌てて立ち上がったイデアの胸を押すと存外に力が強い彼はわたしの手を掴んで歩き始めた。

「ごっ、ごめん……」
「嫌い」
「きらっ……無理死ぬ……有り得ないんですけど無理無理無理死ぬ……」
「イデア!!」

 離して、と叫んでもイデアはわたしの手を離してくれない。いつもとは様子が違いすぎる彼に引きずられ、さすがに泣いていられなくなって片方の手で引き剥がそうとしても、掴まれている手に力が入るだけだった。
 痛い。掴まれている場所は痣になってしまうかもしれない。
 なにを言ってもイデアは止まることなく歩き続け、ついには彼が寮長を務めているイグニハイド寮の自室に連れ込まれた。本やゲームが乱雑に置かれ、シーツも乱れたままの綺麗とも言えない部屋は約一年ぶりに見たが、今の険悪な雰囲気で足を踏み入れたいとは思わない。
 しかし、わたしが持ち得る全力の力で抵抗したものの、単純な力勝負では勝てるはずもないイデアに容易く連れ込まれ、抱きしめられた。強く抱きしめられた拍子に、背中が仰け反って踵が少し浮く。

「イデ、」
「嫌いになんてならないで」
「……」
「ぼ、僕が悪かったから……」
「……わたしが怒ってる理由、わかってくれたの?」
「死にそうになったのに、言わなかったから……?」

 正解に近い返事にまた涙がこぼれ、それに気がついたらしいイデアの腕に力が入る。ごめん、ごめんね、と謝るその声は幼い頃に喧嘩して、わたしに謝るイデアの声にそっくりだった。

「……心配もさせてくれないなんて、酷いと思うでしょう」
「わ、わざとじゃなくてですな……」
「わざとだったら別れてるわ」
「……ダ、ダメでござる! わざとじゃないし、せ、拙者も反省してるし!!」
「……」
「ナマエさんは根暗でオタクでコミュ障な僕とは別れたい……?」
「そんなこと誰も言ってないわ」
「どうせ陽キャにはなれないし……僕なんて突然喋り出すだけのド陰キャですし」
「……」
「ナマエさんには嫌いって言われますし?」

 彼がわたしの言葉をかなり気にしているということはよくわかった。いじけている声が自虐をやめる気配はなく、延々と自分自身を貶し続けている。彼の悪いところは、こうしてなんでもかんでもマイナスに捉えてしまうところだ。今回はわたしが引き金を引いてしまったからフォローもしづらいが、大人げもなく「嫌い」と口走ってしまったわたしにも非がある。

「嫌いじゃない。ごめんなさい、傷つけて」
「う、嘘だ……愛想も尽かしていつかは見知らぬ男と僕から離れて当てつけのように僕に結婚式の招待状を送り付けるんだ……」
「あなたの想像力にはいつも驚くわ」
「ぼ、僕のことなんて……ナマエさんは……」
「好きよ。イデア」
「ヒッ」

 イデアは奥手だから、ハグどころかキスも滅多にさせてくれない。引き結ばれて強ばった唇はあまり柔らかくなかったけれど、ずっと重ねていれば力を抜いてくれることは今までの付き合いで十分にわかっている。

「あなたが死んでいたかもしれないと思うと恐ろしくて、たまらなかった」
「は、はひ……」
「愛してるわ。ゴーストのお姫様には嫉妬もしたけれど、一番はちゃんと言ってもらえなかったことが悲しかった」
「さっ、さーせん……」
「ねえ。嫌いって言ったこと、許してくれる?」

 こくこく! と頭が取れそうな勢いで頷いているイデアは、頷きさえすればキスも抱擁もやめてわたしが離れると思っているのだろう。

「キスして」
「は、破廉恥ですぞ……!!」
「いつかはキス以上のこともするわ」
「そっ、それはそうかもだけど……無理無理……僕がキスとか解釈違いすぎるといいますか……?」
「いつも、わたしからだもの。たまにはイデアからして」

 手を繋ぎ、キスをして、ハグをするのはいつもわたしからだ。一度でもいいから、奥手でシャイな恋人からしてほしいと思うのは当然のことだろう。
 顔を真っ赤にして視線を彷徨わせているイデアはたっぷり二十秒は考え込み、やがて意を決したようにわたしの肩を掴んで勢いよくわたしにキスをした。嬉しい。それは勿論嬉しいが、如何せん勢いをつけすぎて二人してベッドになだれ込んでしまった。
 視界にはイデアの顔と天井が映って、青くて長い髪がわたしの頬や肩に落ちている。三白眼は驚いていて、けれどもわたしの上からどく気配はない。
 婚約者になって十年、交際を始めて三年。わたしたちの関係の歩みは、むしろ遅すぎるくらいだった。キスもなにもしてくれないイデアには他の年頃の男の子たちが持っているような欲を持っていないとばかり思っていたけれど、彼の両目にはちゃんと熱があって、欲が渦巻いていた。

「……いいよ、イデア」

 すると、きゅっと唇を噛んだイデアが身を屈めて子どもっぽいキスをしてくれた。ドキドキする。心臓が壊れそうになっている。
 だけど嬉しくて、彼の首に腕を回した。が、しかし。

「兄さん! ナマエさん来てるって──だ、大丈夫?」

 勢いよく扉が開かれ、オルトくんの元気な声が室内に響き渡ったその瞬間には、イデアは逆毛を立てて驚く猫のように飛び上がって床に落ちてしまった。思わず笑うと、彼は泣きべそをかいて「つ、次こそは泣かせてやる……」とちっとも怖くない目つきでわたしを睨んだのだった。
 楽しみにしてるね、と笑ったら顔を真っ赤にさせるような煽り耐性ゼロのうぶのくせに、口だけは立派なのだ。

INDEX
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -