Never explain.


「僕は本気で悩んでいるんですよ、イデアさん」
「せ、拙者に言われましても……」
「あなたは彼と親しいでしょう。どうにかしてください」
「し、しっ、しかしですな……世の中には男同士の恋もあるにはあ──」
「僕は恋なんてしていません!!」

 アズール・アーシェングロットの心からの叫びはイデアの部屋によく響いた。その叫び声に、ひぇっ、と悲鳴を上げたイデアはわざわざ相談にやってきた後輩の剣幕に気圧され、白目を剥きそうになったが、ぶっ倒れるよりも先に部屋の扉が壊れんばかりの勢いで開かれた。


  ◇


 天下のナイトレイブンカレッジから迎えの馬車が来た時はおじいちゃんもおばあちゃんも驚いて、「新手の詐欺じゃないのかい?」と心配していたことを覚えている。魔法が使える子どもが産まれてくるのも珍しい片田舎、一流の魔法を学べるなら、という理由でやってきた馬車に乗り込んだ。
 悲しいことに胸が小さいわたしは男装をしなくても女だとバレず、入る寮もトントン拍子で決定した。わたしが四年間を過ごす寮、基、イグニハイド寮は人付き合いが下手くそで現実を忘れてしまうほどにのめり込める趣味を持つ人が多い。ソシャゲやネトゲ、その他諸々のゲームを好む寮長はその筆頭で、わたしがゲームをまったく知らない田舎っ子だと知るとすぐに「これだからパンピは……」とよくわからない言葉を使った。

「イデア先輩、次の地点行けます?」
「フヒヒ、これは無理でござるなぁ」
「死んじゃいますって!」

 あっ、と叫んだ時にはもう画面が赤く染まっていて、おどろおどろしい「You are dead」の文字が並んでいた。まさかの対戦初っ端からゲームオーバーである。
 イデア先輩が助けを求めてきても絶対に助けてあげない。そう心に決めてコンティニューボタンを押す。次は絶対に負けない。
 なんやかんやで親しくなったイデア先輩はまあまあいい人だったので、たまにこうしてゲームをしたり勉強を教えてもらったりしている。理系脳なイデア先輩は理系の、特に数式や原理法則を用いる科目に強い。理系科目は苦手なわたしが質問をする度に「その程度もわからないなんてミドルスクールからやり直してみては? いや、いっそプリスクール」と煽ってくるけれど、あえて言葉を返さずにいると小心者な彼はわりとすぐに謝るから面白い人だとも思う。

「そういえば、ナマエ氏はアズール氏と同じクラスなんだそうで?」
「一応……」
「ほお〜?」

 質問の意図が見えなくて当たり障りなく答えると、イデア先輩はあんまり興味はなさそうに適当に相槌を打った。
 同じクラスのアーシェングロットくんはクラスで一位の成績をいつもとっている。毎日の授業についていくのもやっとなわたしみたいなクラスメイトのことなんて、優秀な彼にしてみれば道端の石ころも同然だろう。

「住む世界が違いますよ、アーシェングロットくんは頭いいですし」
「ナマエ氏、僕らは陰キャだから。陽キャと同じ世界にいられるとでも?」
「……そうですね」

 イグニハイド生は総じて陰キャである。
 わたしも、先輩も、ルームメイトたちも。
 変えるつもりもないが、今さら性格を変えることなんてできない。加えて、女の身でこの学園に入学したわたしは性別がバレてしまうのを防ぐために親しい友人も作れない。先生やイデア先輩には性別を知られてしまっているけれど、それ以外の人たちに知られるのはさすがに勘弁というか……リスクが高すぎる。

「アーシェングロットくんとは仲良くなれる気がしませんよ」

 イデア先輩の部屋でそう笑ったのがおそらく一週間前の木曜だった気がする。おそらくというか多分というか、ゲームをしながら話していたから記憶は定かではない。

「聞いてます? ナマエさん」
「き、聞いてる……聞いてます……」

 彼の口元のほくろを見上げながら、そんなことを思い出していたわたしは爽やかで明るい笑顔に気圧されながらも無理やり笑みを浮かべた。ロボットみたいにぎこちない、下手くそな笑顔だろう。

「ですから、次の定期考査、僕が教えて差し上げますよ」
「は?」
「僕は困っている人を見捨てられない性分ですので」

 どんなに馬鹿でも、アーシェングロットくんの胡散臭い笑みには心臓あたりがゾワっとした。どうやら彼は、なにか狙いがあってわたしに話しかけたらしかった。
 そうでなければ彼がわたしに声をかけるはずもない。そうは言っても、断ってもあとが怖いのも事実。

「よ、よよ、よろしくお願いします……」

 アーシェングロットくんがどんなことを企んでいるのかもわからないままに、わたしは大人しく頷いたのだった。
 アーシェングロットくんはなにを考えているのかわからないことが多いから凡人中の凡人であるわたしには彼を理解できない。そもそも目立ちもしないわたしに声をかけた理由も知らないし、なんらかの利益があってそんな行動に出たのかと直接本人に聞けるはずもない。
 けれども、定期考査まで、という約束はアーシェングロットくんの中ではとっくに無効になっていたらしい。彼は試験期間が終わっても勉強を教えてくれたし、たまには食堂でも一緒にご飯を食べてくれた。
 必然的に彼の幼馴染のリーチくんたちとも話すようになったが、どことなく怖いフロイドくんとジェイドくんにあまり関わりたくないわたしは相変わらずイデア先輩に引っ付いて学園生活を送っていた。

「ナマエ氏はアズール氏のことが苦手とか?」
「そういうわけじゃないですけど……」
「ま、まぁ、オタクは人間関係に悩むものですからな……」

 仕方ない、とぼそぼそ喋るイデア先輩と並んで購買部で買ったパンを食べていると、ニコニコと笑っているオルトくんが見えた。彼はアーシェングロットくんの手を引き、間違いなくこちらに向かって歩いている。
「な、ななぜこのタイミングで?」と呟いたイデア先輩にはまったくの同意だ。オルトくんはイデア先輩を心配するあまり突拍子もない行動に出ることが多々あるけれど、今回に至ってはどうしてアーシェングロットくんを連れてきたのか、ひとけのない場所でひっそり食事をする予定だったわたしにはわからない。
 どことなくアーシェングロットくんの表情が硬い。なにか嫌なことがあったのだろうか。大抵は落ち着いていて冷静な彼がリーチくんたちと喧嘩をするとは思えないし、なにかに失敗するとも思えない。

「兄さん、ナマエさん!」
「い、いかがなされた? 僕たちは生憎食事中で──」
「アズールさんがナマエさんと話したいって!」
「わた……ぼ、ぼく?」

 危うく「わたし」と言いかけ、慌てて「ぼく」と言い直しても、アーシェングロットくんは気にとめた様子もなく、居心地が悪そうな表情を浮かべたまま無言を貫いている。なにかしてしまったっけ。
 なんやかんやをやらかす以前に、わたしとアーシェングロットくんには仲違いやすれ違いが生まれるほどの接点もなかったはずだ。精々、勉強を教えてもらったり授業の合間に話したり、その程度の間柄なのだ。

「食堂で話してたんだよ! ナマエさんともっと……」
「オルトさん、もう十分です。お気遣いありがとうございます。彼とはちゃんと話しますので」
「本当に?」
「ええ、勿論です」

 ああ、本当に、なにをやらかしてしまったんだろう、過去のわたし。
 ニッコリと表向きの笑顔で言い切り、わたしの手を掴んで結構強引に立ち上がらせた彼は芝生の上を突き進む。イデア先輩に視線で助けを求めたものの、彼は白々しく目を逸らしてパンをもしゃもしゃ食べている。拙者、なにも知らない。そう顔に書いてあった。
 裏切り者。
 しばらくゲームに付き合ってあげないんだから。
 イデア先輩への文句を心の中で吐き出し、歩き続けるアーシェングロットくんの背中を追いかけたが、彼はやっぱり言葉を発さず、いきなり立ち止まったかと思えば苛立たしげにわたしを見下ろした。難問が解けなくてイライラしている時とおんなじ表情をしている。

「ナマエさん、あなた」
「は、はい……」
「僕に変な薬でも盛りましたか」
「へ……?」
「動悸がしたり、顔が熱くなる類の魔法薬を」
「な、なんですと?」

 うっかり、イデア先輩の口調が移ってしまった。
 アーシェングロットくんに魔法薬を盛ろうだなんて命知らずすぎる。もしも仮に盛ろうものなら、倍返しどころか十倍百倍になって返ってくるだろう。考えるだけでも恐ろしいのに、彼を害そうとするのはよっぽど命が惜しくない猛者だけに違いない。

「では、なにも知らない、と?」
「う、うん」
「……誓ってなにもしていない?」
「……誓ってなにもしてません」

 ずいっと顔を寄せ、けれどもハッとしてすぐに身体を仰け反らせた彼はひとつ咳払いをして腕を組んだ。

「……おかしいですね。だったらなぜ……」
「体調悪いの?」
「ええ、とんでもなく」
「だ、だったら休みなよ」
「誰のせいだと……いえ、そうさせていただきます。フロイドたちもやかましいですし」

 溜息をついて眼鏡のブリッジを押し上げた彼の顔は寝不足なのか、いつもより顔色が悪い。そんなに原因不明の異常に悩んでいるなら保健室に行くなり、専門機関に行くなり、なんらかの対処はしたほうがいいだろう。
 不意に出てきた名前に、顔がよく似た悪戯好きな双子たちの姿が頭をよぎる。彼らなら、アーシェングロットくんに悪戯をしても笑って楽しみそうだ。

「フロイドくんとジェイドくんに悪戯されたとかじゃなくて?」
「……念のために問い質してみましたが嘘はついていない様子でした」
「そっか……」

 だったら、やっぱり専門家に診てもらったほうがいいかもしれない。原因がわかっていないだけに、アーシェングロットくんの不安は大きいだろう。
 ナマエさんは、と硬い声に呼ばれて顔を上げるとぶすくれたような瞳がこちらを見ていた。

「ナマエさんは彼らの名前は呼ぶんですね」
「だ、だってラストネーム同じだし……あ! もしかして、馴れ馴れしすぎてウザがられてた……?」
「そうではありません。もういいです。お時間頂いてすみませんでした」

 え、ええ。なんでいきなり不機嫌になったんだ。
 なにもしていないのに謝るのもおかしいし、追いかけて怒っている理由を聞き出す勇気もない。中庭の林檎の木の下に取り残されたわたしは、早足で去っていくそのうしろ姿を眺めることしかできなかった。




「なにかしたっけなあ……」

 結局、アーシェングロットくんとはろくな会話もしないまま一週間が経とうとしている。シャワーヘッドからあふれるお湯を浴びながら考えてもなにひとつとして彼のことがわからない。彼は謎が多すぎるのだ。彼が手ずから引いた一線の先には踏み込めないし、踏み込ませない。
 一体、どうすればいいと言うのか。
 イデア先輩も、なにか知っている様子なのにまったく口を割ってくれない。悶々と考え込むのにも疲れて、バスタオルを巻き付けてシャワールームから出ると黒い影が動いた。

「……」

 奴である。
 全人類の敵、そしてこの世界でも最も嫌われているであろう黒光りするアレ。
 奴を見かけたらやることは決まっている。まずは逃げる。音を立てないように静かに扉を開け、引きこもりだらけで誰もいない廊下を駆け抜け、そして──、

「イデアせんぱぁぁぁぁい!! 奴が、奴が出まし、た……」

 勢いよく開けた扉の先で、いるはずもないアーシェングロットくんと目が合った。ぱっかりと開かれた口、バスタオル一枚を身にまとう貧相なわたしの身体を凝視する両目。
 オワタ。イデア先輩の言葉を借りるなら、オワタ、その一言に尽きた。

「ア、アズール氏……こ、こっこれはですな!! 事情がありまして!! ナマエ氏が女の子だということはどうかご内密に!!」
「おんなのこ……?」

 みるみるうちに頬を赤く染めていくアーシェングロットくんに、アッ! と声を漏らしたイデア先輩は自分自身の失言にようやく気がついたらしかった。

「じょ、女性が……」
「ア、アーシェングロットくん……あの、」
「女性が肌を晒すな!!」

 彼に制服の上着を投げつけられたわたしには、さっきまで焦っていたイデア先輩が忌々しそうに「クソ、リア充が……」と呟いた声も聞こえていなかった。

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