I’d rather die than live without you.


 長く長く、永遠にも感じられるほどにずっと生きていると、執着やその他の感情の起伏もなくなってくる。ゆっくりと脈を刻み、命の音を奏でるこの心臓は滅多なことでは驚かなくなり、沸きあがるような喜びや心が震えるような感動も覚えなくなった。

「ナマエ! ナマエ!! ああ、ここにおったか!!」
「なに」
「なにってなんじゃ! 記念すべき瞬間じゃぞ!!」

 けれども、この妖精の男に限ってはどんな瑣末事に対しても喜怒哀楽を見せ、流行ものが好きなミーハーな性格をしている。人間の赤ん坊を連れてきた時は一体どうなるかと思いもしたが、今は立派に父親役をこなしているらしい。もう飽きた、知らん。とでも言って育児放棄でもしたらどうしようかと不安視していたものの、一人の父親のように悩みながらも赤ん坊の世話をしている様子は微笑ましくも思う。

「シルバーが立ったぞ!!」

 シルバーと名付けたその子を、彼は大切に育てている。戦場では恐れられていた妖精の戦士も、今ではすっかり子煩悩だ。
 彼の言う通り、つかまり立ちでこちらを見ている子どもは不思議そうに「あうあう」と不明瞭な言葉を喋っている。わたしを見つけた途端に両目を輝かせ、こちらに手を伸ばす姿が危なっかしくて見ていられなくなり、脇に手を差し込んで抱き上げるときゃっきゃと楽しげに笑った。
 手のひらに伝わるのはやわらかい命の鼓動だった。ゆっくりと動くわたしの心臓より、遥かに早く動くそれはこの子どもが寿命の短い人間であることを突きつける。ついこのあいだ、寝返りを打てるようになったばかりだというに。
 この子の命は短い。人の子で、あるから。
 星が宇宙の彼方で死に絶える時、その輝きが地上にいるわたしたちからも見えなくなるには何十年、何百年とかかると言う。星が死に、そして光を届けなくなるまで。わたしやリリアは、人間にとっては酷く長いであろうその年月を瞬きの間に迎えてしまう。
 歯も生えていない小さな口、鋭い瞳孔のないまあるい瞳。妖精の血が少しも入っていないその証は、ほんのわずかな寂しさと切なさをもたらす。

「お前の父親は騒がしいね」
「うー?」
「ああいうのを親バカと言うんだよ」
「これ、シルバーに変な言葉を教えるでない!」

 目を瞑るとあたたかい日差しの匂いがする。シルバーからは石鹸と乳の匂いがする。百年先もこの匂いと温度をどうか覚えていますようにと、願ったわたしも大概シルバーに甘かったのだ。

「シルバー」

 記憶の糸を手繰り寄せていたわたしの前に腰かける青年はお気に入りらしいチーズリゾットにスプーンを沈め、静かに咀嚼している。リリアからはそのリゾットしか食べないと聞いていたが、真だったらしい。育ち盛りだというのに、偏りがある食生活はいただけない。

「他のものは食べないの」
「悩む時間が勿体ないです」
「シルバーらしいね。でも、たまには野菜も食べなさい」
「……はい」

 反抗期もなく、いい子に育ったシルバーは大人しく頷いた。少し前まではあんなに小さかった身体も、わたしでは抱き上げられないほどに大きく、そして逞しく育っている。
 リリアに用事があってナイトレイブンカレッジを訪れたわたしを快く歓迎してくださった学園長のディア・クロウリーはわたしたちの関係を勘違いしているらしく、「シルバーくんの保護者様なら食事でもご一緒してはいかがですか」と告げるやいなやわたしを大食堂まで連れていった。
 別にそれは構わない。リリアだけではなくシルバーやマレウス、そしてセベクに会える機会はなかなかにない。けれど、リリアとの関係を勘違いされてしまうのは大変よろしくない気がするのだ。

「ナマエ様はお召し上がりにならないのですか?」
「出先で食べてきたからいい。セベクは栄養のあるものを食べてる?」
「はい! リリア様から教えていただきました!」
「……それは大丈夫なの?」
「ナットウとヨーグルトは親父殿の冗談だぞ」
「そんなのわかっている!! やかましいぞ、シルバー!!」

 セベクのほうがやかましい。そう思いつつ、このうるささが懐かしくて口喧嘩を始めた二人を眺めていると、二人に挟まれて食事を摂るマレウスがため息をついた。マレウスのその様子にサッと顔を青くして大人しくなった少年二人が面白くて思わず笑えば、シルバーのオーロラの瞳が気まずそうに光る。

「ナマエは随分とシルバーとセベクを甘やかす」
「子どもたちはかわいいものさ」
「それが親心というものか?」
「さあ? わたしは親ではないからわからない」

 確かに、わたしはリリアと一緒にシルバーを育てた。おぞましい手料理を妖精族よりもずっと弱い人の子であるシルバーに与えようとしていたリリアに血の気が引いて、そのあとはなし崩しで育児の手伝いをすることになったのだ。だけど、わたしはリリアの妻ではないしシルバーの母親でもない。
 わたしの言葉に一番驚いていたのはわたしを「母さん」と呼んでくれているシルバーだったが、同じ家で十年以上過ごしていればそのように呼んでしまっても仕方がないと思う。いずれは矯正させるつもりだけれど。

「シルバーが母のように思ってくれているのは嬉しいけれど、わたしはリリアのつがいではないよ」
「ご夫婦ではないのですか!?」

 セベクが立ち上がり、テーブルの上の皿が揺れた。
 料理がごぼれてしまったら片付けが面倒だ。ちっとも関係のないことを心配するわたしを見下ろすセベクは、パチパチと瞬きを繰り返している。シルバーも目を見開き、チーズリゾットを掬ったスプーンを持ったままわたしの顔を凝視していた。
 驚いている二人も、わたしたちが夫婦だと勘違いしていたらしい。こうして勘違いされることにも慣れてしまっている自分がおかしくて薄ら笑いが漏れる。
 確かに、リリアと恋人同士になった過去はあれど、お互いに若すぎてすぐに別々の道を選んだ。数百年以上前のそんな事情を知っているのはわたしとリリアだけで、甘かったような苦かったようなその色恋沙汰を子どもである二人が知る由もない。そもそも、いくつも年下の赤ん坊と言って差し支えのない彼らに恋の話を聞かれても恥ずかしくて死にたくなるだけだろう。

「契約はおろか、夫婦になった覚えもないよ。……ちょっと待って。どうしてマレウスまで驚いてるの?」
「お前たちはつがいではないのか……?」
「違うけど」

 魔物メドゥーサに睨まれたかのように動きを止めていたマレウスは左隣のシルバーを見、そして右隣のセベクを見た。え、本当に? そう言わんばかりのマレウスの反応には護衛の二人も首を傾げるばかりで、答えあぐねて困っているようにも見えた。
 少なくとも、短い付き合いではないマレウスならばわたしたちがただの友人同士だと知っていると思っていたが、現実はそう甘くはなかったらしい。シルバーとセベクのやかましさにやられてため息をついていた先ほどとは違い、重苦しいため息を吐き出したマレウスは呆れ半分といった風に切り出した。

「ナマエ。お前はリリアと話し合ったほうがいい」
「俺もそう思います」
「ぼ、僕もです……」
「リリアとなら今日話すよ」
「違う。僕が言っているのはリリアとの関係についてだ」

 なんで? と、口に出して言う前に。
 薄い膜のような羽が光を受けて紫っぽく羽ばたいた。リリアのコウモリだ。

「ああ、わしもちょうど話したいと思っておった」
「リリ──」

 ア、までは言えなかった。彼の魔法は少し強引で、使いようによっては他者にまで影響する。わたしも移動魔法が得意だからか、昔から彼はわたしをどこかへ連れていくことが多くて、見知らぬ土地へと連れ去られた回数は一度や二度ではなかった。
 けれど、気まぐれなリリアの今回の目的地はグチャグチャに散らかっている──十中八九、彼の部屋だろう──服やあらゆるものが出しっぱなしになっている部屋だった。

「リリア?」
「お主は妬かせるのが上手いのう」
「リリ、」
「お主が食堂でなんと言われていたか知っておるか? シルバーの彼女、セベクの彼女……なんとまあ、腹立たしいことよな。わしももう年じゃから青臭い嫉妬などせぬと高を括っておったが……」
「リリア……!!」
「さすがに、無理があったのう」

 わたしよりも小さかったはずの身体は成人男性の体格ほどにまで大きくなり、リリアの口から飛び出した「嫉妬」という単語に驚いていたわたしの身体は呆気なくベッドに沈んだ。

「ナマエ。約束したはずだぞ。いずれは共にあろうと」
「し、知らな……」
「知らぬとは言わせん。まず、なぜわしの心が離れたと思った? 妖精の執着心の強さは身をもって知っておろうに」
「っ、りり、あ」
「お主の胎を拓いたのも、この薄い腹に紋章を刻んだのもわしであっただろう」

 リリアの肩から、彼が身体を成長させたことでちょうどいいサイズになった上着が落ちた。かねてより彼が武器にしていた幼さと愛らしさをかなぐり捨てたその様は退廃的な色気をしのばせ、懐かしい気配の中には怒りを感じさせた。

「今でも愛しておるのはわしだけか」
「愛してる……?」
「夜離れを経たからと言って、わしはお主を忘れたことなど一度もない」
「そんなこと、言われたことない」
「……言わぬとも、ナマエには伝わっていると思っておった」

 立てたままの膝にリリアの右手が乗せられ、左手はベッドに散らばる髪を掬っては落としていく。
 恋人同士だった頃でさえも、愛していると言われた回数は片手で事足りる程度だったと記憶している。当時の茨の谷には歳が近い若者がわたしとリリアしかおらず、だからこそ、彼は暇潰しでわたしを恋人にしたとばかり思っていた。変化のない毎日を嫌う、真新しいことを好む彼だからこそ刺激を求めてわたしと肌を重ねたと思っていたのに、違ったらしい。
 抵抗もしないわたしを見下ろしているリリアは形の整った薄い唇を弓なりに曲げ、妖しい光を反射させる双眸を眇めた。

「わしが学園を出たら覚悟しておれ」
「……」
「子作りにでも励むとしよう」
「な……っ」
「ナマエはシルバーとセベクを随分とかわいがっておるからな。子が欲しいのだろう?」
「別にそういうわけじゃじゃない!」
「なれば、無闇に妬かせるな」
「……なんで、今さら」
「わしはお主がそばにおれば満足じゃったが……それでは足りんと気づいた。髪の一本から爪先に至るまで、お主の身体はわしのものだ」

 そうだろう? と笑ったリリアの手はわたしの腹の上に置かれ、大きな手のひらから眩い光がこぼれた。遥か昔に彼によって刻まれ、そして消されたはずの淫紋が再び浮き上がっている。全身の、冷えた血液が久方ぶりに感じる情動に呼応するかのごとく湧き上がり、歓喜していた。
 煮え滾るような執着を肚に抱える妖精らしく、つがい以外の者と交わることを決して許さぬ淫靡の証は血の繋がりよりも強いとされている。
 身体を許し、一時でも愛し合った時点でわたしはリリア・ヴァンルージュの所有物だった。別れ、今に至るまで。一時的に解放されていただけなのだと今しがた理解したわたしの耳に、リリアの声が響く。

「愛している」
「……。……リリア、わたしは、」
「お主も憎からず思ってくれておるのだろう?」
「そんな、わけ」
「まことか?」

 リリアはくすくすと笑う。わたしの心などお見通しだと、その慧眼で語りかけてくる。
 心臓が止まって、このまま死ぬと思った。長く長く、永遠にも感じられるほどにずっと生きていると、執着やその他の感情の起伏もなくなってくる──そんなのは惑いでしかなかったのだ。緩やかな鼓動を刻んでいた胸に突然燃え盛ったのは悦びか、思慕か、それとももっとドロドロとした感情なのかもわからない。
 ナマエ、と呼ぶ声は睦言のように。
 愛している、と囁く声は悪魔の甘言のように。
 心を余すことなく暴く聡い瞳から逃げきれた試しなんてないわたしには、リリアを欺くことなどできっこない。

「あいして、る」
「ああ、わしもだぞ」

 リリアの頬に触れると、応えるように口付けが落ちてきた。ああ、本当にこのまま、心臓が破裂して死んでしまうかもしれない。

 茨に囲まれるあの国で巡り会った時。退屈だったはずのこの永遠も、あなたと出会えた瞬間に悪くはないと、確かにそう思えたのだ。

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