運命のスペア


 女らしくて愛らしい名前が嫌いだった。親父様やマレウス様は「よく似合ってる」と褒めてくださるが、わたしにこの名を名付けたのは他でもない親父様だ。どうしてこんな名前をお与えになったのですか、と無礼ながら責めたこともある。当時の親父様は笑っていらっしゃったものの、少なからず傷つかれただろう。
 どんなに足掻いても性別の壁は壊せない。どんなに努力しても“彼ら”と同じ場所には立てない。そんなことはもう、十七になった今ではちゃんとわかっている。絶望しても、悲しんでも、わたしの名前はかわいらしくて女の子らしいそれで、わたしの身体には子を孕むための機能がある。
 茨の谷で一緒に育ったシルバーとセベクと違って、わたしは女だった。二人と性別の差があまり出ていなかった小さな頃は対等な関係を築けていたけれど、親父様はいつの日からかシルバーたちに同じ言葉をおっしゃるようになった。

「この子は女の子なんじゃぞ」

 わたしが二人と遊んで怪我をする度に、ちょっとだけ危ない場所についていこうとする度に、剣を用いる稽古をする度に、親父様は彼らを諭すのだ。あの子は女の子だから、と。
 いつしか、二人はわたしを遊びに誘ってくれなくなった。寂しい、つまらない、わたしも遊びたい。いくら頼んでも、彼らは困ったように顔を見合わせて「また今度」と便利な言葉を告げるだけ。
 仲間外れにされて、そうして気がついた。あの親父様とマレウス様が、たかだか人間の小娘を意味もなく育ててくださるわけがない。道端に捨てられていて可哀想だったから、という甘ったるい理由で人の子を育ててくださるほど慈善的な方々だったなら、今頃城内は人の子で溢れかえっているはずだ。ほつれ始めていた場所からするすると紐解かれていく記憶は、わたしにだけはやけに優しくしてくださる親父様のお言葉を蘇らせる。
 ──おなごの身体はひどく脆い。
 ──お主たちも、女人には優しくせねばならぬぞ。
 わたしは、茨の王となるお方のそばに仕える守護者たちの後継となる子を産むためにここにいる。初潮を迎えた夜に、生贄となった愚かな娘は気がついたのだ。
 股のあいだから流れる鮮血、孕むための準備を進め始めた身体、爪先から凍えていくような寒気。

「わたしは……どちらかの子を産まなければならないのですか?」

 いつも通りに迎えた朝。目の前には驚くほどおいしくない親父様特製の朝ごはん。
 寝ぼすけなシルバーはまだふかふかのベッドで眠っている。わたしの問に親父様は驚いた様子も見せず、挑発的に笑われた。違う、と否定してほしかった。彼の気まぐれで拾って、育てただけだとおっしゃってほしかった。

「お主は聡いのう。まさか、気づくとは」

 王には忠実な僕が必要であろう? と笑うお姿は小さな悪魔のようだった。顔を真っ青にしているであろうわたしを見つめるマゼンダの瞳は悪戯好きな猫のように輝き、小ぶりな口はどこか皮肉っぽく歪んでいる。

「わ、わたしには無理です、彼らの子どもなんて……それに、シルバーもセベクも嫌がるに決まっています」
「ふ、はは、嫌がる? 彼奴らがお主を拒むと?」
「親父様、」
「ようく見ておくといい。シルバーがどんな声でお主の名を呼び、セベクがどんな顔でお主に笑いかけるのか」

 自身の目の下の薄い皮膚に人差し指を当てた親父様は、明確な答えは出してくださらなかった。

「二人は、このことを知っていますか?」
「揃いも揃って鈍い子たちだからのう、まだ知らぬだろう」
「なら……」
「言っておくが……運命からは逃れられんぞ?」

 親父様はテーブルに肘をついて指を組み、その上に顎を乗せられた。決して優しくはないお方だと、物心がつく前からわかっていたのに。心のどこかで彼ならば助けてくださるのではないかと期待していた。

「いやです……わたしは、わたしは……彼らと対等でありたいです。性別なんて関係なく、友達でいたいです」

 唯一の女であるわたしは置いてけぼりにされてばかりだった。マレウス様も親父様も、シルバーもセベクも大好きだからこのまま一緒にいたい。それだけなのにどうして、この関係を捻じ曲げて変えてしまわなければならないのだろう。
 少しも表情を変えない親父様を見ていると、わたしがわがままを言って彼を困らせているような錯覚に陥る。彼にとっては、まさにわがままなのだろうけど。
 白いプレートに鎮座している、例のごとくレシピ本を見らずに作られたサンドイッチからは凄まじい匂いがする。思わず顔をしかめるわたしを後目に、指を解いた彼は銀製のフォークを宙に浮かせて遊び始めた。

「お主は聡い子じゃ。本当はもう、わかっておるだろう。ここからは逃げられぬことも、二人から思慕を向けられておることも、いずれは赤子を産まねばならぬことも」
「……にげ、られないのですか」
「逃げられると思っておるのか?」

 いいえ、と答えるまでもない。得意げに鼻を鳴らした親父様はシルバーの寝室のほうを一瞬だけ見やり、口角を上げた。

「逃げようと思わぬほうがいい。彼奴らは、妖精らしい執着心に染まっておるからなあ」

 老獪な妖精に育てられたシルバーと、妖精の血を引くセベク。時が経つにつれて変わっていった彼らの視線は、肉に食い込み皮膚を引き裂く茨のようにわたしの身体を雁字搦めにする呪いだった。気づかないふりをし続けた罰は、今になって返ってきてしまったらしい。
 わたしはいつか、どちらかの手によって夜に沈むシーツの海に溺れるだろう。その日までのタイムリミットは、もう目前まで迫っているのかもしれない。

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