なあたのむよ


「多分、だけど……自分の世界に、それに似た病気はあったよ。でも……」
「それは本当か人間!!ふ、不治の病ではあるまいな!! ナマエは毒味役をしている!! 変な毒を食べてしまったのではないか!?」

 わたしよりも、セベクのほうが必死だった。監督生に縋りついている彼はやけに取り乱していて、それを見ているわたしは当事者のくせになにも感じなかった。あれはあれで情に篤い男だ。日頃は「人間ごときが!!」と言ってくるような奴でも、古くからの友を見捨てることはできなかったらしい。

「治るには治るよ」
「どうしたら治る!?」
「それは……」
「病名はなんだ!!」

 口ごもる監督生にセベクががなる。耳をつんざく声だ。鼓膜を破きそうな声量に顔をしかめたのか、それとも言いたくないからか眉を寄せたのか、監督生は変な顔をして震える声で囁いた。それは、息絶える寸前の動物の鳴き声のように小さい。

「ナマエ先輩のそれは……おそらく、」

 花吐き病。

「ハナハキビョウ?」

 初めて習う単語を口にする子どもみたいに反芻したセベクはわたしを見下ろし、背中をさすった。変なの、と笑いたくなった。若様とリリア様以外にはいつも手厳しい彼が今日に限って優しい。セベクがこんなに優しいと調子が狂ってしまうなと思いながら、青白い顔でわたしを心配げに見つめている監督生に微笑んだ。誰にも、心配なんてしてほしくない。

「だけど、実在はしてなかった」

 実在していない病を知っているなんて、とんだ矛盾だ。嘲笑のような、諦めのような、不明確な笑いがこぼれる。それにしても、花吐き病とは症状そのまんまの病名だ。もう少し捻りのある名前のほうがよかったんじゃないだろうか。
 意味がわからん!! と叫ぶセベクを後目に咳込むと、わたしの口からは淡い色の花弁がはらはらと落ちた。

「片想いを拗らせると花を吐く……治すにはその片想いを成就させるしかないと聞いています」
「な……っ」

 こぼれて落ちたのは、ただの花弁ではなかったらしい。何年もかけて育てられ、編まれた想いに染まる花だった。
 ああなるほどなぁと納得する一方で、なんと恥ずかしい病だろうかと思った。恋が病に至らしめるなんて若様の毒味役として生きてきたわたしには些か不釣り合いな病だ。

「ナマエ先輩、好きな人は──」
「いない」
「ナマエ!! 嘘をつくな!! 人間!! これは片想いを拗らせなければ罹患しない病なのだろう!?」

 セベクは相変わらず大声で監督生を責め立てる。彼の声量にももう慣れてしまったらしい監督生は地面に散らばる花を見て痛ましそうに唇を噛んだ。

「先輩、本当に好きな人いないんですか?」
「いない」

 忌々しい花弁を燃やしたら鼻につくような甘ったるい匂いが一瞬だけ香り、あたり一帯に焦げ臭い匂いが充満した。

「いないよ。絶対に」



 小さな頃から、シルバーのことが好きだった。いつから、とか明確な区切りはない。
 若様の毒味役として城に入った人間のわたしには妖精族の仕来りや慣習なんてわからなかったし、親に捨てられた身でなにかを望もうとも思えなかった。若様のお命のために毒味をすること。それがわたしの存在意義で存在証明。
 どんなに毒を無効化できるユニーク魔法を使えても、この世には星の数ほどの毒が存在している。今まで体内に入れてきた毒は幸い解毒できたが、明日か、明後日か、何年か後に食べる毒で死ぬかもしれない。わたしの魔法が効かない毒を食む時、わたしは死ぬ。幼ながらにそんなことくらいわかっていた。恐れはなかった。茨の谷でもないどこかの国の掃き溜めみたいな貧民街で育って、肉食獣に捕食される草食動物みたいに呆気なく死んでいく。それがわたしの決まりきった人生だったから、栄養失調で死にかけている両親によってどこかの商人に売り払われたところで死期がちょっと伸びただけだった。
 生まれ故郷でいつか見た列車のレールはどこまでも長かった。地平線の先まで伸びていけそうなそれに、少しだけ憧れている。
 茨の谷で買われたあの日に継ぎ足された、新しいはずなのに錆びついているわたしのレールはきっとどこかで壊れてしまうだろう。折れて、走っていた列車は脱線して、そのまま戻らない。そういう予感はあったから、花吐き病だなんて巫山戯た病に罹っても悲観的にはならなかった。
 どうせいつかは毒を食らって死ぬのだから。

「ナマエ。やはり若様とリリア様に、」
「……いい」
「だが!!」
「治療法がないなら仕方ないもの」
「好きな男がいるんじゃないのか!!」
「いない」

 シルバーと両想いになるなんて土台無理な話だ。
 花を燃やしても燃やしても口からこぼれてしまう。馬鹿みたいだった。哀れだった。雪のように白い花弁が、薄紫に色づく花弁が、シルバーへの想いだと。愚かだ。彼を想って形作られるものがこんなに綺麗なわけがないのに、体内から吐き出される花は不気味なくらいにうつくしい。

「誰にも言わないで」

 拳を握りしめているセベクはわたしを睨みつける。
 この男に病を知られてしまったのが運の尽きだった。最初に花を吐いたのは確か半年くらい前で、セベクを含むディアソムニア寮寮生にだけはバレないようにと自分で処理していた。聡いリリア様にも上手く隠せていた自信はある。セベクの目の前で、吐いてしまうまでは。
 なんだそれは!! と叫んだセベクに保健室まで連れていかれそうになり、ちょうど通りかかった監督生によって病名と症状が詳らかにされたのが三日前の放課後のことだった。

「伝染るから、来ないで」

 けほ、と咳き込んだらまた花があふれる。花吐き病はこの花に触れた者にも伝染するらしい。すかさず魔法で燃やすと、花はたちまち塵になった。

「遺書でも残しておくかな」
「ナマエ!! 冗談でもそんなことを言うな!!」
「じゃあ約束してよ。誰にも言わないって」

「そしたらわたしも言わないよ」そう言うと、セベクは眉間に皺を寄せたまま重々しく頷いた。嘘みたいに綺麗な花がまた落ちた。赤い炎に呑まれて色褪せた灰になった花々の残骸は風に乗って消えていく。

「シルバーには言ったらどうだ」
「……」
「あいつも、他の治療法を探してくれるだろう」
「絶対に言わないで。病名も、治療法も、全部、言わないで」
「だが、シルバーは」
「言わないで!!」

 シルバーはなにも知らなくていい。わたしのことを忘れたっていい。
 想いを伝えてなにになると言うのだろう。ここは温かくて居心地がいい。若様もリリア様もセベクも、みんな好きだ。毒味役として連れられてきたわたしにも優しくしてくれて、なにも持っていないわたしのそばにいてくれた。これ以上を望んだら、きっとバチが当たる。そしてなによりも、シルバーに拒まれたら耐えられない。彼の困ったような笑顔まで失ってしまったらどうすればいいかわからない。

「なっ、泣かなくてもいいだろう!!」
「いわないで」

 ぽろぽろと涙が落ちる。シルバーのことが好き。誰よりも好き。だけど、彼はそうじゃない。わたしのことなんて友達くらいにしか思っていないだろう。

「な、泣きやめ! 頼む!!」
「いわないでっ……!!」
「わかった!! わかった、シルバーには言わん!! だから──」
「俺がなんだ」
 
 セベクの肩が揺れた。わたしの肩も思いきり揺れた。思わずセベクの背中に隠れてしがみつくと顔を真っ赤にした彼に「くっつくな!!」と怒鳴られたが、それどころではない。

「セベク……お前はなにをしている。なぜナマエが泣いている」
「僕はなにもしていない。いきなり泣き出しただけだ!!」
「滅多なことじゃ泣かないだろう。ナマエになにをした」
「なにもしていない!! ナマエ!! 貴様はいい加減に離れろ!!」
「そうだ。ナマエ、こっちに来い」

 セベクから離れられるわけがなかった。
 シルバーの怒っている声が近づいていくる。怖くはないけれど、彼だけには会いたくなかった。泣いている顔なんて見られたくない。しかし、セベクはわたしの腕を掴んで引き剥がそうとしている。このままシルバーに引き渡すつもりだろう。

「なぜ離れない!? くっ!! 貴様、本気で抵抗するな!!」
「いやっ!! シルバーはいや!!」
「なぜだ!! 離せ!! 制服が破けたらどうしてくれる!!」

 セベクに抱きついたまま「いや!!」と叫ぼうとしたら激しく咳き込み、花がまた落ちた。こんなタイミングで、最悪だ。シルバーに見られた。見られて、しまった。燃やさなきゃ、言い訳をしなきゃ──逃げなきゃ。
 頭はまともに働いていないのに、身体はすぐに動いた。逃げないとなにもかも問い質される。逃げないと、離れないと、今は言い逃れできる自信がない。

「どういうことだ、セベク」

 走り出す前にシルバーに二の腕を掴まれた。セベクを見つめる瞳はまるで睨みつけているように鋭く、真剣だ。その手を剥がそうとしたものの、指すら動かせない。わたしが藻掻けば藻掻くだけ骨が嫌な音を立てて軋む。

「痛い! やだ、離して!!」
「力勝負で俺に勝てると思うな」
「痛いッ」
「シルバー! 女性に乱暴するな!!」
「……セベク。お前はなにを知っている」
「っ、それは……」
「俺になにを隠そうとした。お前たちが隠そうとしていることがマレウス様と親父殿にも関わることならば言う義務がある。お二人に迷惑をおかけするな」
「……」
「セベク」
「……。……ナマエは病気に罹っている」

 嘘でしょう、セベク。彼が敬愛してやまない若様たちとただの友人かつ幼馴染であるわたしを天秤にかけたらそりゃあお二人のほうに傾くに決まっている。でも、こんなのあんまりだ。裏切るなんて酷い。
 シルバーは続きを促し、わたしには冷たい目だけを向けた。

「いわないで、セベク」
「……すまん」
「セベク!!」

 うるさいと思ったのか煩わしいと思ったのか、シルバーはわたしの口を手で抑えた。手のひらを革手袋越しに噛んでも彼は微動だにしない。

「花吐き病だ」
「ハナハキ……?」
「片想いを拗らせると罹患する。大量に花を吐いてしまう」
「……そんな病気があるのか」
「人間──監督生の世界に名前だけはあるそうだ。最悪の場合、完治しなければ死ぬ」
「死ぬだと? 治療法は」

 言わないで。言わないでよ。

「両想いになれば、助かるらしい。白銀の百合を吐いたら完治だ」

 言わないでって言ったのに。
 腕を掴む力が少しだけ弱まった。シルバーはわたしを見ている。その唇で「好きな男がいるのか」と聞かれたら苦しくて苦しくて堪らないだろう。わたしなんて眼中にないであろう声色で、聞かれたら。
 もう嫌だ。もう苦しい。

「大嫌い!!」

 嘘ばっかり。花を吐いてしまうくらい好きなくせに、こんな言葉しか出てこない。目を見張ったシルバーの手の力が更に弱まったのを見て振り払うと、随分と簡単に離れた。
 掴まれていた腕も、冷たい感情が流れ込んでくる胸も痛い。

「待て!!」

 追いかけてくるシルバーの声を無視して必死に逃げる。放っておいてほしい。構わないでほしい。

「ナマエ!!」

 来ないでほしいのに、彼は来る。また腕を掴まれ、肩に手が伸びる。

「シルバーには関係ない」
「関係あるに決まってるだろう」
「ない」
「ある」
「ない」
「ある」
「……馬鹿みたい」

 わたしが花吐き病で死んだって、代わりはいくらでもいる。この学園に特別に入学させてもらえたのも、あらゆる毒を解毒できるユニーク魔法を持っていたからだ。それだけの存在価値だ。

「……腹が立つ。お前はセベクには甘えるのに俺には大嫌いだと言う」
「痛いってば!!」
「ふざけるのも大概にしろ」
「いっ……!!」
「今さら、逃げるつもりか」
「いたいっ……シルバー!!」
「逃げたいなら逃げればいい。その分だけ追いかけるだけだ」

 ずるずると座り込んだら、花があふれた。すべて、シルバーへの気持ちだ。虚しい。悲しい。火花が散り、花が燃えていく。わたしは魔法を発動していない。シルバーが苛立たしげに燃やしてしまった。塵になり灰になり、花弁だったものは風にさらわれていく。
 泣き続けるわたしを見かねたらしい彼もしゃがみ込んだ。

「……ナマエ」

 その声がどことなく頼りない。顔を上げなくても、シルバーがどんな顔をしているのかは容易に想像できた。

「努力もせずに諦めるのはよくない。毎日好きだと言う。毎日かわいいと言う。だから、俺を好きになってほしい」

 好きだと言う?
 好きになって、ほしい?
 自惚れだろうか。まるで、わたしのことが好きだと言っているみたい。シルバーがわたしを好きだなんてありえない。わたしの片想いだ。彼にはもっと、ちゃんとした生まれの女の子が似合う。

「好きだ」

 わたしには相応しくない。わたしには遠すぎる。
 そう思うのに、わたしの口からは白銀の百合がこぼれた。シルバーの色の、うつくしい花が。

 ──白銀の百合を吐いたら完治だ。

 百合を見た彼の瞳が驚きに満ち、やがて歓喜が広がっていく。それが、馬鹿みたいに嬉しかった。ちがう、と否定できない。だってもう、百合の花は落ちている。

「ナマエの言葉が聞きたい」

 無遠慮にわたしを抱きしめた彼がそんなことを言うから、わたしは泣きっぱなしのまま「好き」と繰り返した。

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