I do not seek,I find.


首をはねろ(オフ・ウィズ・ユアヘッド)

 かしゃん、と小さな金属音が聞こえる。泣きたそうな顔をしているリドルくんは「ごめんね」と小さく謝って、わたしの首を囲う首枷に触れた。


  ◇


 物心がつく前から、わたしのユニーク魔法は恐ろしいものだった。ひとつ年上の幼馴染であるトレイくんは「怖がることはない。お前もいつか、ちゃんと使いこなせるさ」と頭を撫でてくれたけれど、エレメンタリースクールの子たちは違った。わたしをとても怖がって、恐れて、おはよう、と言うだけでも離れてしまう。
 ──言葉で人を操れる魔法なんて、と。
 言葉さえ発せば他人を好きにできる。笑って、と言えば笑わせられる。歩いて、と言えば歩かせられる。死んで、と言えば殺すことができる。恐ろしいことだ。あってはならないことだ。わたしはわたしが怖かった。
 だって、自分と同じように生きている人をたった数文字の言葉だけで簡単に殺せる。腕を組むみたいに、目を閉じるみたいに、首を傾げるみたいに、簡単に。
 なにも知らない幼いわたしには強力すぎる恐ろしい力だ。
 お父さんとお母さんは強い力を使えてしまうわたしを恐れながらも、どうにか制御できないものかと悩みに悩んで魔力を抑えられるペンダントを八歳の誕生日にくれた。それでも、もう遅かった。わたしは、わたしの魔法がトラウマになっていた。言葉を発せば誰かが悲鳴をあげて邪悪なゴブリンを見たかのような表情をする。声を一言でも出せばみんなが一目散に逃げ出して怯えた表情をする。この世の終わりみたいな、そんな恐怖と悲愴で染まる同級生たちを何度も見てきたわたしはいつの間にか人前で喋れなくなっていた。
 当然、喋らなくなると周りから人はいなくなる。すると、期待して喜んで、また離れられてしまうより最初から一人でいるほうが楽だと気づいてしまう。トレイくんとチェーニャくんは気にせずそばにいてくれたけれど、エレメンタリースクールの高学年になる頃には彼らとも話そうとは思えなくなった。
 薄情でも臆病でもいい、怖いものは怖い。怖くてたまらないから遠ざけて、安心したくなる。
 わたしが作り上げた殻の中は冷たくて、寒くて、それでも居心地がよかった。誰にも踏み込めない不可侵の領域を作ってしまえば傷つくことはないと理解して、実行して生きていく──ある種の、防衛機制だったんだろう。
 だけど、リドル・ローズハートとの出会いはちょっとした蝶の瞬きのような、無音の世界に花開いた花のような、かすかで鮮やかな転機だった。彼もひとりぼっちだったのだ。いつも寂しそうで、なにかに怯えていて――少しだけ、似ていると思った。そして彼も、同じようなことを思ったのかもしれない。リドルくんは、わたしがなにも言わないおかしな子どもでも無闇に話しかけようとはしなかったから。
 出会って数ヶ月経ってようやく交わした会話は、緊張に声を強ばらせているリドルくんのへんてこりんな質問から始まった。トレイくんからお互いを紹介されたわたしたちはとっくに名前を知っていたのに、彼はこう言ったのだ。

「ねえ、名前を教えてくれるかい?」

 そんな質問がおかしくて、思わず「うん」と頷いたら、返答があるとは思っていなかったらしい彼は大きな目をもっと大きく見開いてわたしを見つめた。それから、それから──、

「……ありがとう」

 へにゃっと眉を下げて気恥しそうに、そして嬉しそうに笑った。その瞬間に、世界がぱちんと弾けた気がした。透明な甘い液体の中でしゅわしゅわと泡が弾けるソーダみたいに、わたしの中でなにかが変わった。
 きっと、それが恋が落ちてきた瞬間だった。
 あの表情を思い出すだけで、くすぐったくなるから。
 恐ろしいユニーク魔法のことばかり考えてしまう夜は嫌いだったのに、その日の夜は彼のことしか頭になくて、胸がドキドキして眠れなかった。大っ嫌いだったはずの言葉さえも好きになれる気がして、最強になれた気がした。
 わたしたちは、あの時にようやく友達になれたんだろう。
 なんでも知っているリドルくんは、わたしが話さない代わりにわたしの知らない物語をたくさん教えてくれた。輝石の国のおとぎ話も、珊瑚の海の美術品も、夕焼けの草原の歴史も、全部聞かせてくれた。「すごいね」と言うと少しはにかんで、「知っていて当然さ」とあたかも照れていないかのように振る舞って赤い耳を隠してしまう。
 仲良くなっていた、とは思う。チェーニャくんが驚くくらいには、リドルくんとわたしはゆっくり仲良くなっていたんだと思う。けれど。

「そろそろ仲直りしたらどうだ? リドルは怒ってないと思うぞ?」

 けれど、トレイくんはホリデーで地元に帰ってくる度にそんなことを言う。わたしたちをまとめるお兄ちゃん役らしい一言で、彼は心を重くする。はたから見たら、わたしたちは何年も喧嘩をしている気まずげな幼馴染のように見えるらしい。
 リドルくんとわたしの関係に亀裂が入ったのは、とてもとても些細なことがきっかけだった。ナイトレイブンカレッジへの入学が決まったリドルくんになんと言えばいいのかわからなくて、会ったら「寂しい」と言ってしまいそうで、彼を避けてしまった。そんなわたしに対して怒った彼に、わたしは酷いことをしたのだ。
 今でも、よく覚えている。
 来ないで、と言った瞬間に彼の身体はぴたりと止まり、かわいらしい顔立ちが驚きと困惑に染まっていった。──言葉ひとつで人を意のままに操れる、禁術である黒魔術に近い魔法は、リドルくんにまで発動されたのだ。
 魔力を抑えるペンダントはわたしの魔力に耐えきれなくなって壊れていた。動けないリドルくんの顔なんて見れるわけがない。もしも、恐怖と軽蔑と嫌悪とが入り交じる目でわたしを見ていたら。もしも、他の子たちみたいな目でわたしを見ていたら。
 ついにやってしまった。
 もう終わりだ。
 あの日、わたしは絶望した。心の赴くままに逃げて、ごめんなさいと謝ることもできずに一年とちょっとの月日が流れてしまっている。このまま、一生顔を合わせられないかもしれない。
 こうなってしまったのも、全部、言葉のせいだ。言葉なんて大嫌いだ。
 普通の女の子みたいに好きな人と話したいだけなのに、普通の当たり前のこともできない。好きと告げたら、この魔法で無意識のうちに操ってしまうかもしれない。操って、外見ばかりが整った耽美な嘘を告げられるかもしれない。仮初の、虚しい「好き」をもらっても無意味だとわかっているからこそ苦しくて悲しかった。

「にゃあ」

 足元で鳴き声をあげた薬草店の看板猫の顎を撫でると、ぐるぐると喉を鳴らす。雪が積もるくらい寒いのに、外にいたら毛むくじゃらの身体が冷えてしまうだろう。

「暖かいところにお入り」

 わたしが言えない言葉を発した赤髪の少年は猫の頭を撫でた。名門校の制服に身を包んでいる彼の鼻先は真っ赤になっている。
 トレイくんが帰ってきているのだからリドルくんも帰ってきていて当然だ。でも、去年みたいに彼はわたしとは一度も会わずに学園に戻ると思っていた。その場に凍りつくわたしを気まずそうに見つめた彼は、酷くゆっくりと口を開いた。

「……久しぶりだね」

 うん、とも言えない。わたしの返事は元から期待はしていなかったのか、変わらない調子で会話を続けるリドルくんはわたしが抱えている紙袋を奪って歩き始めた。

「帰るんだろう? こんなに寒いのに外にいたら冷えてしまうよ」

 わたしを振り返った彼の隣に慌てて並んで紙袋を奪い返そうとしても、彼は頑なに離さなかった。風に煽られて、茶色い紙袋は音を立てている。

「これは人質だ。キミはすぐに逃げようとするから」

 リドルくんが得意げに笑った。久々に見る笑顔は、一年前よりもわずかに大人びている気がする。ちょっとだけ、背は伸びたし声も低くなっている。
 文字通り、大切な荷物を人質にされてしまったわたしは大人しくするしかなさそうで、彼の半歩うしろで相槌を打ちながら話を聞いた。会うこと自体久々なのに、彼はその空白期間を感じさせない軽やかさで話を進めていく。

「あの時のことなら気にしなくていい。魔法を使うつもりなんてなかったんだろう?」

 全部、わかっているよ。
 そんな声が聞こえた気がした。

「言葉を嫌うキミがボクに言葉を尽くしてくれる度に、本当の友達になれた気がして嬉しかった。もう一度、友達にはなれないかな」

 立ち止まった彼はわたしを見つめ、照れくさそうに言った。警戒心の強い仔猫みたいなリドルくんが心を許してくれているのは嬉しい。でも、今まで通りに話せる自信なんてなかった。友達以上にはなれないって言われているみたいで、心が苦しい。
 唐突に泣き出したわたしに、冷たい風に目を細めていた彼はびっくりしていた。

「どこか痛むのかい? えっ、えっと……そうだ、お母様のところに行こう。きっとどうにかしてくださるから──」

 涙をこぼす目を擦り、魔法を使って、とお願いしたらリドルくんは紙袋を落っことしそうな勢いで肩を揺らした。よかった。今のわたしはユニーク魔法を制御できているらしい。それでも、昔より魔法に詳しくなったとしても、どうしてもリドルくんの魔法を使ってほしかった。誰からも怒られる魔法を使わない、普通の女の子にしてほしかった。

「理由は……聞かないほうがいいのかな」

 泣きそうな顔をしていた。戸惑って、困惑して、どうすべきか考えている。数秒間の沈黙のあいだ、わたしたちの真横を通り抜けたマジカルホイールの風圧で落ち葉が宙を舞った。アスファルトの隅に残る雪は泥混じりで、お世辞にも綺麗とは言えない。
 しばらくして顔を上げた彼は、凍えそうな風に攫われそうな儚い声を漏らした。

首をはねろ(オフ・ウィズ・ユアヘッド)

 かしゃん、と小さな金属音が聞こえる。首に触れる温度は氷のように冷たい。泣きたそうな顔をしているリドルくんは「ごめんね」と小さく謝って、わたしの首を囲う首枷に触れた。

「あのね」

 ようやく言える。言いたかったことも、言えなかったことも、ちゃんと伝えられる。そう思ったら、涙と一緒に想いが滲んだ。

「すき」
「え……?」
「すきだよ、リドルくん」

 彼に恋をした時から、大嫌いな言葉でこの気持ちをどうしても伝えたかった。他の女の子たちみたいに自分自身の声で、言葉で。
 真面目な彼のことだから、申し訳なさそうな顔をして誠実に振ってくれるだろう。バカにもせず、茶化しもせずに真摯に応えてくれるに違いない。
 振られる覚悟ならできていた。
 だけど、リドルくんは上ずる声で囁いた。うん、知ってるよ、と。

「ボクも、キミが好きだよ。ずっと……好きだったんだ」

 また、マジカルホイールがわたしたちを追い抜いた。
 今、リドルくんはなんと言った? 意味を理解できていないわたしから首枷を外した彼は、かじかむわたしの手を握りしめた。

「もう一度、聞かせてくれるかい?」
「……でも」
「ボクはキミの魔法抜きで、キミが好きだよ。それとも、ボクのユニーク魔法は信用ならない?」
「……ううん」

 触れている指先からじわじわと広がる温もりに勇気づけられ、彼を見つめ返すと深紅の薔薇のようなガーネットの瞳が清廉な光を孕んだ。ボクを信じて、と訴えかけるような切実な瞳はやっぱり綺麗だった。

「好きだよ、リドルくん」

 声が震えている。みっともないくらい、怯えて、怖がっている。

「……うん、ボクも。ボクも、好きだ」しかしリドルくんはそんなわたしを包み込むように幸せそうに笑った。信じられない。夢かもしれない。夢なら覚めなくていい。動けずにいるわたしの手を引いて、「今日は寒いから」と手を繋いだまま歩き出した彼はそっぽを向きながら、ぽつりと呟いた。

「少しだけ、遠回りして帰ろうか」

 真っ赤な髪の隙間から覗く、いちごみたいに真っ赤な耳がどうしようもなく愛しくて、わたしは頷くことしかできなかったのだった。

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