パラダイス・ロスト


 この度はご入学おめでとうございます。若様が楽しい学園生活をお送りになられることを──、

 少し、硬すぎるだろうか。だからと言ってフランクにお祝いを申し上げても失礼にあたるだろう。
 考えて、溜息をついた。若様に向ける別れの挨拶を考えて数分、ああしたらこうしたらと考えが転がってまとまらない。あのお方に「頑張ってください」などと告げるのも身分不相応すぎるし、私が言ってしまったら気分を害されるかもしれない。
 ナイトレイブンカレッジに今秋入学される若様とリリア様になんとお伝えすればいいのか。ずっと悩んでいる。この数日、ずっとだ。セベクもシルバーも優柔不断なこの性分を理解してくれてはいるが、物事の判断がはっきりしている彼らからしてみれば鬱陶しいことこの上ないだろう。茨の谷には私とシルバー、セベクもしか残らない。そのぶんの寂しさも、不安もある。
 だからと言うわけではないけれど、ご入学おめでとうございます、のあとが浮かばない。
 大していい案も出せぬまま鍛錬用の剣を手持ち無沙汰にいじっていたら、黄緑色の光の粒がふわふわと舞った。知らず、ピリッとした緊張感が走って背筋が伸びる。

「そんなに畏まるな」

 瞬きの間に私の前に現れた若様は、跪こうとする私を薄ら笑いで制した。彼に畏まるなとおっしゃられても土台無理な話なのだが、ご命令とあらばその態度も改めねばなるまい。幾度となく交わしたこんなやり取りも、若様がご入学なさればホリデーまでお預けだろう。
 来年にはシルバーが、その次の年にはセベクが。彼らにナイトレイブンカレッジの入学資格が与えられるかどうかは神のみぞ知る部分ではあるが、男という性別の時点で入学の必須条件は満たしている。羨ましい。若様のおそばにいられるなんてずるい。ちょっとだけ、そう思ってしまう。
 女である私は男子校には入れない。若様を追いかけて入学、なんてことも勿論不可能だ。生まれ持った性別のことは議論のしようがないとわかっているものの、疎外感は感じていた。

「なにかご予定がございましたか? それとも、城の外へ? ならばすぐに準備を──」
「いい。お前に会いに来ただけだ」
「俺に?」

 む、と唇を曲げた若様は私の髪を一房掬った。
 彼を不機嫌にさせるようなことはしていないはずだ。しかし私を見つめる両目は不機嫌そのもの。深い緑の瞳は見る者を引き込むような、暗い深淵のような空恐ろしさがあった。

「僕の前では女性らしくしていいと言ったはずだ」
「……それは失礼いたしました」
「なんだ? 不服そうだな?」
「いいえ、そんなことは」

 ないとは言いきれない。
 若様は私が“俺”として──男として振る舞うことをよしとしない。おそらくそれは若様のお優しさだが、自己保身のために男らしくしていますといくら申し上げても納得してくださらない。
 女性の社会進出が目覚しい時代とは言っても、誉れ高き次期妖精王の護衛につくにあたって男たちからの僻みや妬みはそれなりにあった。けれど、女だからと舐められては困るのだ。若様のおそばに置かせていただくことを許された身で、このお方の顔に泥を塗るわけにもいくまい。妙なやっかみを買うくらいならと男として振る舞い始めたのはもう何年も前のことだ。本当は、男であるシルバーやセベクと肩を並べていたかっただけなのかもしれないけれど、今さらどうしようもない。
 若様が私に対して「お前はそのままでいい」とおっしゃるようになったのは果たしていつ頃だったかは思い出せない。お優しい彼がありのままの姿で過ごしていない私を気にかけてくださっていることはわかっている。

「気に食わないな」

 若様のお手が頬に触れた。寒い時期ではないのに冷たい手だ。

「お前は僕のなんだ?」
「じ、自分は若様の護衛です」
「護衛……? そうか、護衛か」

 本当にそれだけか、と彼は面白そうに囁いた。
 びりびりと痺れさせるような低い声は甘ったるいはちみつを思わせる。悪戯が好きなのか、それとも単に反応が見たいだけなのか、どちらなのかは不明だが、若様はよく私をからかいたがる。ひく、と喉が情けなく引きつったのがわかった。

「わ、わかさま」

 お待ちください、と言う声も聞かずに。首に当たるのは若様の呼気だった。なにを口にすべきか考えあぐねていた私の襟元を乱した彼は、晒された首筋にお顔を寄せて冷酷にも聞こえる声色で続けた。

「僕が留守にしているあいだに他の男に尻尾を振ってみろ」
「若様、お戯れが……っ」
「僕はお前を閉じ込めてしまうぞ」
「いっ……!?」

 人型の妖精特有の鋭い牙が皮膚を破り、ひりひりとした痛みが走る。痛い、と叫びそうになる口は片手で押さえられ、少しばかりの血液が出ているであろう首も熱い舌で舐められた。
 あつい。あつい……!!
 噛み傷から魔力を直接流し込まれたのか、体内が若様の魔力で侵されていく。私の魔力など若様を前にすれば赤子同然の質と量だ。勝てるわけがない、乱されないわけがない。擽ったい、あつい、くるしい。もう耐えられない。身体が悲鳴をあげている。

「本当はもっと与えてやりたかったが……」
「若様……!」
「これ以上はお前が耐えられないだろう?」
「わ、わか、さま!」
「おやおや、どうやら僕たちは随分と合うらしい。立っていられないか?」

 異なる魔力と魔力が交わった時、双方に拒絶反応が起こらなければ相性がいいと見なされている。それは夜の交わりにも言えることだ。魔力同士の相性がいいつがいほど、強い子孫を残せる。
 不敬ながらくたりと寄りかかる私を抱きとめてくださっている若様は濡れている首筋を撫で、心底愉快そうな笑い声を漏らした。

「お前はいずれ僕の子を生む娘だ」

 私と若様は魔力の相性がいい。否、よすぎた。
 それは壊れていた歯車同士がカチリと音を立てて噛み合うように、抜け落ちていたパズルのピースがはまるように、補い合い、強め合う。初めて若様にお目にかかった時、私はその場で震えた。若様の魔力を肌で感じた瞬間に、雷に打たれたような衝撃が全身に走ったのだ。
 あれは、幼かった私にはあまりにも刺激が強すぎた。このまま死ぬかもしれないと思ったほどに。
「わかっているな?」唇の端についたままの私の血液は、若様の青白い肌には似合っていなかった。いいえ、と言えるはずもないのに、彼はわざと私に聞く。

「はい、若様」

 王はより強い子を望まなければならない。国のために、血筋のために。
 妖精という生き物は気に入ったものへの執着心があまりにも強い。リリア様も、私も、そしてこのひとも。若様はもう逃げさせはしてくれないだろう。私がどんなに男らしくしたって、私がどんなにふさわしくない身分であったって、すべてを飲み干して搦めとるだろう。

「僕の寵愛を受けておきながら、知らないふりをするとは肝が据わっている」

 赤い血が口紅のようにひかっていた。
 生まれながらの王たる彼に見初められた時点で、私はどこにも逃げられなかったのだ。刺々しい茨のように絡みつく愛からは、ドラゴンの咆哮のように燃える激情からは、きっと死んだって解放されない。
 そんな私のことを、マレウスに愛されるために生まれてきた娘だと――リリア様はおっしゃった。憐憫と慈愛に満ちた、実に妖精らしい声で。

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