「激辛ラーメンひとつ。大盛りで!」


 ナイトレイブンカレッジの男の子に恋をした。今も、現在進行形で恋をしている。

 私たち家族が暮らす賢者の島には魔法士養成学校が二つもあって、しかもそのどちらも名の知れた名門校だった。有名な魔法大学や大企業なんかはこの二校のどちらかの卒業生でなければ門前払いを受ける、という噂もあるくらいで、そういう都市伝説じみた話は何百回と耳にしてきた。天才と持て囃される男性魔法士は、大抵がロイヤルソードアカデミーかナイトレイブンカレッジの卒業生らしい。
 進学するにも就職するにも大きなアドバンテージを得られるというのは、賢者の島の女の子たちにとっても、そして大人たちにとっても、ひどく魅力的に映る。いわゆる、玉の輿狙いだ。有望そうな男の子を見つけて、今のうちに捕まえておこう――ってやつ。結婚まで持ち込んでしまえばこんな島から抜け出して、都会暮らしも夢じゃない。そういう打算込みで私の友達はSNSをやっているし、彼らと出会えるチャンスを虎視眈々と狙っている。
 この島にはお洒落なカフェなんてないし、通販で頼んだものが届くのにもかなり時間がかかる。ライブやイベントにだってなかなか行けない。ド田舎中のド田舎。それがここ。飲食系のチェーン店が新しく作られることもないくらい過疎化が進んでいるこの島にも小さな小さな学校くらいはあって、島の女の子たちはみんなロイヤルソードアカデミーの男の子たちに夢中だった。優しいし、かっこいいし、頭がいいから。
 ナイトレイブンカレッジのほうは、なんというか、ロイヤルソードアカデミーの人気に比べれば少し劣る。理由は簡単だ。血の気が多くて怖い人が多いから。でも、ちょっと悪そうな男が好きな子には堪らないと思う。かっこいい人多いし。

「誰と付き合おうが反対しないけど、ナイトレイブンカレッジの子はやめておきなさい。姉さんみたいに苦労しちゃうわ」

 お母さんの年の離れたお姉さん、つまり私の伯母はナイトレイブンカレッジに通っていた恋人に手酷く捨てられたらしい。優しく明るい姉が大泣きしながら帰ってきたときはそれはそれは驚いたそうだ。当時から姉妹の仲もよかったらしいので、幼い母が受けた衝撃は想像もできない。私に置き換えたら、まだまだかわいい盛りの弟が女の子に騙されるようなものだ。そりゃあ許せなくなって当然だろう。
 あれから十年以上の時が流れていても、悪い子ばかりがナイトレイブンカレッジにいるわけではないとわかっていても、どうしても信用しきれない。だからあなたも男には気をつけなさいね、と母は言うけれど、家のお手伝いで忙しい私には恋をする余裕も時間もなかった。

「ラーメンひとつ! いつものでよろしく!」
「はーい!」

 斜向かいのパン屋のおじさんは麺硬めでにんにく背脂多め。お冷用のコップを拭きながら返事をすると、よろしくね! と愛嬌のある笑顔が返ってきた。その隣の人も、またその隣の人も、みんな知っている人だ。
 みんなで助け合いながら看板を守ってきた店はたくさんあれど、うちのラーメンほど美味しいラーメンを出せるお店は他にないと自負している。臭くて暑いし夏場は地獄。しかもラーメン屋なんてかわいくない。と一時期は思っていたものの、今はもう慣れしまった。高校の友達に「じゃあ、あんたんとこで食べよ」と言われるのも勿論慣れてしまっている。友達的には、値引きしてもらえるのが嬉しいらしい。

「あ、いらっしゃいませ! お好きな席にどうぞ」

 お父さんにオーダーを伝えて厨房から出ると、ナイトレイブンカレッジの制服に身を包んだ男の子が出入口に立っていた。地元民と観光客で賑わうことが多いうちの店にナイトレイブンカレッジの生徒が来るなんて珍しい。一人で来たらしいその男の子はキョロキョロして、テーブル席ではなくカウンター席に座った。多分、初めて来たんだろう。赤っぽいオレンジの髪と、緑色の目が綺麗な子だ。
 何を食べるかすぐに決めたらしい彼はメニュー表から顔を上げて私を見た。

「激辛ラーメンひとつ。大盛りで」

 誰かが盗み聞きしているわけでもないのに、男の子はなぜか小声で言った。地元のおじさんばかりだから、今どき風の若い男の子には居心地が悪いのかもしれない。だってこの子、薔薇の王国とか輝石の国とかの都会でカフェ巡りしてそうだもん。さびれた田舎のラーメン屋じゃなくて。

「麺の硬さとにんにく、背脂の量はどうしますか?」
「えーっと、麺は硬めで……にんにくと背脂はなし」

「それと、激辛ラーメンは食後にゼリーも無料でおつけできますよ。いかがですか?」メモを取りながら聞く。しばらく返事がなかったのでちらりと見やれば、彼は気まずげに笑って首を振った。

「いや……ゼリーはいいかなぁ」

 男の子――ケイトくんとの出会いはそれだった。甘いもの苦手なのかなあ、と思うだけ。別になんとも思ってない。私は店員で、ケイトくんはお客さん。それだけの関係に名前をつける必要性を感じなかったし、変えようとも思っていなかった。
 初めてケイトくんがうちに来てくれたとき、彼はスマートフォンを取り出して運ばれてきたラーメンの写真を何枚か撮った。ちょっとやだなあ、と思ってしまった。麺が伸びちゃうし、冷めちゃう。お店側の都合だと言われてしまえばそれでおしまいだけれど、美味しいものはやっぱり美味しいうちに食べてほしい。写真を撮ってばかりでなかなか食べようとしない観光客と同じだと思って、私は少し幻滅してしまったのだ。でもケイトくんはスマホをささっとポケットにしまって、すぐに食べ始めた。せっかくの制服が汚れるからと渡そうと思っていた紙エプロンを渡すのも忘れちゃうような勢いで、ぱくぱくと。
 その姿に呆気なく、本当に簡単に、私は嬉しくなった。気になり始めたのは間違いなくその瞬間だったと思う。一生懸命作ったものを美味しそうに食べてもらえたらそりゃあ嬉しくなる。
 途中からジャケットまで脱ぎ始めたケイトくんに慌ててエプロンを渡したら「ありがとう」って言ってくれて――私は有り得ないくらいの速さで恋に落ちた。この瞬間だけは、湯切りする音と食器がぶつかり合う音も若干遠のいた。人はどんなに脂臭くてにんにく臭い空間でも恋できるものらしい。我ながら色気もへったくれもない。
 お客さんといえばおじさんばっかだし、周りもおじいちゃんおばあちゃんばっかだ。だから仕方なかった。かっこよくて、優しそうな彼に恋しちゃっても。
 その日からケイトくんはたまに来てくれるようになって、その度にケイトくんの前で粗相をしないようにと必死だった。「何ヶ月も通ってんのにお互い名前知らなかったね〜」とけらけら笑う彼から名前とマジカメのアカウントを教えてもらったときは現実か夢かわからなかったし、マジカメの投稿すべてにいいねしたかったけど気持ち悪がられたくなくて我慢した。今思えば、私の好意はバレバレで、ケイトくんにもとっくに知られていたと思う。
 気づいてて、気づかないふりをしてくれてるんだろうなあと馬鹿な私も察していた。そんな状況で告白できるほど図太くはないし、失恋する勇気もない。私は告白しちゃいけない。絶対振られる。気まずくなる。お店にも来てくれなくなるかもしれない。そうなったら終わりだ。もうお店に立てない。
 会えるだけで幸せ。だからこれでいい。
 のに、私はケイトくんに告白してしまった。それはもうぽろりと「好きだなあ」って言ってしまったので、自分が何を口走ったのか気づくのにも時間がかかった。「え?」と言ったのはケイトくんじゃなくて私だった。私の首が錆びついたロボットのようにギギギと動いて、困惑気味の表情を浮かべるケイトくんを捉えた。
 ケイトくんから受け取った千マドルに皺が寄っている。三角巾を今すぐ取って顔を隠したい。ケイトくん以外のお客さんには聞かれていなくても、彼に聞かれてしまった時点でおしまいだ。
「あー……」やっぱり? ケイトくんが小さく笑った。
 終わった。死にたい。消えたい。ケイトくんは明らかに困ってて、視線を泳がせている。この反応でいい返事をもらえるわけがない。もう泣く寸前だった。一回瞬きをしたら涙が落ちると思って、必死に目を開けた。

「じゃあ付き合う?」
「え……」
「よろしくね」

 予想外の返事をもらった私は言葉を出せなくて、また連絡するねと手を振ったケイトくんに呆然としながらも手を振り返した。今さらになって手の甲に落ちた涙が肌に染み入って、熱くなっていた肌を冷やした。いやいや急展開すぎて何がなんだかわからない。私は夢でも見ているのかもしれない。それか、非常にやばめの妄想してるとか、好きすぎて都合のいい夢を見てるとか――

「突っ立ってないで姉ちゃんも手伝ってよ!!」



 結論を言うと、私は本当にケイトくんの彼女になったらしかった。デートという名の散歩もたまにしたし、手を繋いだりもした。そうは言っても、ショッピングモールもお洒落なカフェもないこの島でできることは限られている。恋人同士隣に並んで釣りをしているのは大抵、生まれも育ちも賢者の島、な生粋の島っ子だ。そういう楽しみ方は都会生まれのケイトくんとはできない。なので、諸々のことを経験するのも早かった。
 幸せだった。
 ロイヤルソードアカデミー派なお母さんも交際のことは認めてくれていて、おませな弟はケイトくんが来る度に「来たよ! カレシ!! 姉ちゃん!!」と大声で呼んでくれる。多分、弟のほうは「カレシ」という単語を使ってみたいだけだろう。
 すごく幸せだった。
 ケイトくんと出会って二年、付き合って一年とちょっと。ずっとずっと幸せだったけれど、大人に近づく度に現実が見え始めて苦しくなった。ケイトくんは頭がよくてかっこいい。社交的で明るくて、誰にでも優しい。ナイトレイブンカレッジを卒業するからには、就職も引く手あまただろう。私よりもずっとかわいくて綺麗な女の子にもモテモテで――。
 そうなってくると、あれ? と気づくのだ。私、何か持ってるっけ、と。
 私は高校を卒業しても島に残る。ケイトくんはこんな島なんか出てって、私には想像もできないようなところで働くに違いない。質のいいスーツを着こなして同僚たちと笑い合う彼の姿が目に浮かぶ。そうなったとき、私は彼に釣り合うような女性になれているだろうか?
 そんな自信、あるはずもない。大学に行かせてほしいと両親にお願いする勇気もないのに、進学できるほどの頭もないのに、自信なんて。

「ケイトくん」
「ん〜?」

 ぱちり、と髪の色と同じ睫毛が揺れた。繋いでくれている手は私よりも大きくて、あたたかい。やっぱり私には勿体ないなあ。この人を見る度にそう思う自分も、劣等感も嫌いだ。

「別れたい」

 ぐるん、と勢いよく振り返ったケイトくんの髪からいつものシャンプーの匂いがした。焦りと困惑が混じる表情が珍しい。

「え……オレ、何かした?」
「違うよ。私、馬鹿なの。知ってると思うけど。勉強なんてまともにしたこともないし、今まで必要だと思ったこともない。すっっっっごい馬鹿なの。数列とかベクトルとか、はあ何それって感じだし」
「う、うん?」

 ついに立ち止まったケイトくんは心配そうに私を見つめていて、困ったように私の涙を拭った。

「嫌いになっちゃった?」
「ううん、好き」

「あ、よかった……よくはないけど」ケイトくんの肩から力が抜けて、持ってくれていた紙袋の底が地面にちょっとだけついた。お母さんに頼まれて二人で買ってきた卵は真っ白で傷一つない。

「大学、行きたいの。ちゃんと勉強して、何かひとつ頑張りきったっていう自信が欲しい。時間もかかるからそれまでにケイトくんはこの島から出ていくと思うけど、」
「それで別れたいって言ったの?」
「……うん。また好きになってもらえるように頑張るから、ケイトくんは」

 自由に恋愛してね、と言おうとした私の口をケイトくんの手のひらが押さえた。

「オレね、姉ちゃんたちにいい加減彼女に会わせろって言われてんだよ? もう言い訳するのも無理っていうか? そろそろ学園に突撃されそうっていうか?」
「そうなんだ……?」
「いやいや、そうなんだ、じゃないから! 言いたいこと色々あるけど……そうじゃなくて……えっと、オレも家族に会わせたいなあって思ってたワケね」
「そう」
「なんだじゃないから。オレもそのくらい大事に思って……あ゛〜。何言ってんだろ。ほんっと恥ずかしいんだけど!! ね〜ニヤニヤしないでくんない!?」

 ごめんね、わざとじゃないよ。口元を隠しながら謝る前に、ぎゅうって音がしそうなくらい強く抱きしめられた。

「フツーはさ、「待ってて」って言うとこじゃない?なんで言ってくれないかなあ……」
「……言ってもいいの?」
「いいに決まってるじゃん。けーくん、こう見えて一途だよ? オレにも待たせてよね〜」

 知ってるよ。言う代わりに目じりに溜まっていた涙がこぼれた。少しずつ私のことを好きになってくれたことも、時々、疲れたときにそれとなく甘えてくれていたことも、ちゃんと知ってた。

「好きでいてくれる……?」
「え〜そこまで言わせちゃう?」

 いつもの調子で言っているけど、本当は照れてるのわかってるんだから。顔見ないでよね、と言ったケイトくんの声が私の耳を掠めて、寒い時期なのに身体の芯から指先に向けてじわりと熱が広がった。コートを着込んでいるせいで背中が暑い。でもケイトくんと離れるのはなんだか寂しくて、私の家に戻るまで手は繋いだままだった。



 泣き腫らして両目を真っ赤にさせている私を見ても訳知り顔のお母さんは何も聞かなかった。お調子者の弟ですら何も言わなくて、お父さんはずっと口を開かなかった。家族に見守られているような雰囲気がとてつもなくいやだ。ナイトレイブンカレッジの子はやめときな、と言っていたお母さんはすっかりケイトくん推しになっていて、弟もケイトくんのことが大好きになっている。

「ご注文はお決まりですか?」

 私の声はまだちょっと涙声だ。初めて出会った日と同じカウンター席に腰掛けたケイトくんは三角巾をかぶった私を見て、かわいい八重歯を見せながら笑った。

「激辛ラーメンひとつ。大盛りで!」

 麺は硬めで、にんにく背脂はなし。聞くまでもないことを伝票に書き込むと、ペンの黒いインクが少し滲んだ。

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