ただしいあなた


“放課後、図書室前の空き教室で待ってます。”

 教室の机の中に誰が書いたかもわからない手紙が入っていた。放課後、空き教室。しかも俺を待つってことは果たし状だろう。何日か前にぶん殴った先輩か、喧嘩をふっかけてきた隣のクラスの野郎か? もしかしたら他の奴かもしれない。思い当たる奴は山ほどいる。

「面白ぇ」

 売られた喧嘩は買うってのが礼儀ってもんだ。やってやろうじゃねえか。
 手の中で握りしめた紙がグシャグシャになって、丸っこくて綺麗な字が歪む。意外と女々しい奴なのかもしれない。俺に喧嘩を売るにしては女っぽい字だ。花柄のその手紙をポケットに突っ込んで、俺は放課後を待った。



 思う存分に暴れられるのは久々だ。
 もしかしたらタイマンじゃねえかもしれねえから、準備運動は念入りにした。入った瞬間にボコられるなんて冗談じゃない。一気に殴りかかられても動けるように警戒すんのは大事なことだ。
 誰もいない校舎を歩き、空き教室の扉に手をかける。扉に耳を当ててみたが中は静かだった。相手は俺を待ち伏せしているようだ。複数人いるわけでもねえのか、話し声も聞こえない。面白くなりそうだ。男同士のタイマンに言葉なんて必要ない。拳で語り合えばいい。

「オラァ! かかってこいよ!!」

 ガタガタの扉を勢いよく開け、飛び込む。「何事も最初が肝心だ」と言っていた先輩の教え通りに声を張り上げれば、きゃ、と高い声が聞こえた。きゃ? 男の声? いや女の子の声だろ、今のは。頭がゴチャゴチャに混乱した。

「あの、来てくれてありがとう」

 カーテンの奥から出てきたのは、俺もよく知っている女の子だった。ダチが「死ぬほどマブい」と言っていた子だ。確かにかわいい。いやそうじゃない。
 小さな手がもじもじと動いていた。カーテンから離れたくないのか、布を掴んだまま俺を見ている。まさかこの子が俺に果たし状を書いたのか。女に手を上げるなんてダセェことはしたくねえが、俺を動揺させて他の奴に襲わせる作戦なのかもしれない。

「スペードくん、わたしのこと知ってる?」
「……いや」
「あっ、し、知らないよね、ごめんね。わたし、スペードくんに助けてもらったことがあって」

 それで、あのね。えーっと、えーっと。
 唸った彼女は真っ赤な顔で口をもごもご動かしている。手がようやくカーテンから離れて、潤んだ両目が俺を見上げた。ああすげえかわいい。なんかいい匂いもする。女の子ってこんなに小さいのか。

「もう察してると思うんだけどね。わたし、スペードくんのことが……」

 きゅっと両手を握りしめた彼女はもう今すぐにでも泣くんじゃないかと思った。いつ攻撃を食らうかもわからない。警戒しなきゃなんねえのに、ひとつひとつの行動から目を離せなくなった。

「好きです! わたしとお付き合いしてください!!」

 ワッと出された大きな声が耳を右から左に貫いた。
 雑に入れていた果たし状がポケットから落ちる。丸められたそれは床を転がり、俺の足元で動かなくなった。
 は? と声を漏らす俺を不安そうに見ている。あの子が瞬きしたら大きな目から涙が落ちそうで、小さな手は震えていた。

「お付き合いしてくれませんか……?」

 あ、泣いちゃうなこの子。そう思った。
 焦りで何も考えられなくなった。同時に、泣かせちゃヤバいだろと思った。このときの俺は何を言われたのか理解できていなかった。高嶺の花に告白されたとか、そんなことは微塵もわかっていなかった。

「……おう」

 ろくに考えもせずに「とりあえず泣かせちゃまずい」という気持ちだけで適当に頷いてしまった。もしも時間を戻せるなら、俺は俺をぶん殴るだろう。
 おう、じゃねえんだよ馬鹿野郎。



 そうして、ミドルスクールの二年生の頃に初めての彼女ができた。結論から言おう。俺は普通に惚れた。仕方がない。表情とか性格とか、めちゃくちゃかわいいから仕方がなかったんだ。無理だ。好きになるに決まってる。そもそも女の子に慣れていない俺には刺激が強すぎる。
 付き合っていることを表立って誰かに言いふらしたりはしなかった。俺は喧嘩ばかりしている不良で、彼女は先公からも気に入られている優等生だ。俺を恨んでる奴らに何かされたら無事じゃ済まない。
「デュースくん」彼女が俺をそう呼ぶようになってからしばらくして、俺たちは初めてキスした。恥ずかしくて死んじまうかと思った。でも死ななかった。真っ赤な顔を手で押えている彼女はやっぱりかわいかった。

「わたしね、魔法士養成学校に行こうと思って」

 始まりは酷いもんだったが、関係自体は順調だったはずだ。それでも、ああやっぱ俺らは違ぇんだなと心のどっかで思ってた。こいつにはもっと優しくて頭がよくて器用な奴が似合うだろう。俺じゃ明らかに釣り合ってない。そのくらいわかってた。それでも別れる勇気はなくて、ずるずる付き合って。

「スペードに脅されてるのか?」

 卒業前のことだ。ある日、バレた。付き合っていることがバレた俺たちは職員室に呼び出されて、彼女の肩に手を乗せる先公は心配げな顔をしていた。俺は信頼なんてされてねえ不良だ。そんな奴と付き合ってるんだったら、心配されて当然だろう。
 両目を見開いた彼女を横目に、そろそろ終わらせるべきなんだと思った。こいつにはもっといい奴がいる。母さんを泣かせてばかりの俺より。
 職員室から出たら別れを告げよう──拳を握りしめながら考えた。

「わたしはデュースくんが好きです。帰っていいですか?」

 怒っている彼女を見たのは初めてだった。その剣幕に驚いたらしい先公は「あ、ああ」と頷いて、俺の腕を掴んだ彼女のために道を開けた。小さな手は震えていて、前を向いている彼女の表情は見えない。俺はといえば、情けないくらいに顔を赤くさせていただろう。

「有り得ない!! 最低!!」
「お、落ち着け」
「わたしはこんなに好きなのに!!」
「うっ」
「わかる!? この気持ち!! ほんと最低!!」

 学校から出るまで無言だった彼女は、校門から出たその瞬間に怒りを爆発させた。おっとりしている彼女が出すには珍しい大声は、夕焼けに染まる街にこれでもかと響いている。同級生たちからジロジロと見られるのも気にせずに俺と手を繋いで歩く彼女は、当たり前のようにいつものデート場所に向かった。
 何度も入ったことがあるかわいい部屋に連れ込まれてようやく、彼女が泣いていることに気づいた。両手で顔を覆っているその姿にオロオロするしかない俺は背中を叩いてみたり指を握ったりしてみたが、勢いよく顔を上げた彼女と額同士を思いきりぶつけて二人して床に沈んだ。

「ごめん……」
「……いい一撃だった」
「ごめんってば」

 涙はもう引っ込んでいるらしい。ベッドに腰掛けた彼女に腕を引っ張られ、誘導されるまま俺もベッドに座った。

「デュースくんは別れたい?」

 何を言われたのかわからなかった。

「デュースくん、ナイトレイブンカレッジから入学許可証届いたんだよね? デュースくんのお母さんから聞いたよ。色々調べたけど、賢者の島って意味わかんないくらいに遠いね。びっくりしちゃった」

 思わず見つめた大きな目からは止まっていたはずの涙がまた出ていた。泣きながら笑った彼女は俺の手を一瞬だけ握りしめて、すぐに離した。多分、ここで俺は頷くべきだ。別れようって。早く言わないと──、

「別れたくない」

 勝手に口から滑り出た俺の言葉に、彼女のほうが驚いていた。別れるべきだと思ってたくせに、俺はやっぱり馬鹿だ。思ったことがなんでも出ちまう。

「ほんと?」
「……おう」

 おう、じゃねえんだよ馬鹿野郎。気の利いた言葉くらい言えよ。もっと他にあるだろ。好きとか愛してるとか、もっと。

「浮気、しないでね」
「……お前こそ」
「しないよ。女子校だもん」
「俺だって男子校だ」

 じゃあ安心だね。彼女が笑った。せがまれてどうにかこうにかキスをしたら「へたくそ」と笑われたのでいつかはギャフンと言わせたい。いや、一生無理かもしれないが。


  ◇


「えっデュース、彼女いるの?」
「ああ」
「かわいい?」
「かっ……!?」
「どうなんだよデュースくぅん」
「エース! からかうな!」
「いいじゃん、写真見せてよ。持ってるっしょ」
「……少しだけだからな」
「うわガチのマジでかわいいじゃん」
「死ねよリア充」
「デュースのくせに」
「は? こんなの裏切りじゃね? 有り得ねえ」
「『ハーツラビュル寮生は恋人を作るべからず』ってハートの女王の法律にあったくね?」
「なんなんだお前たちは!! そんなルールないだろ!」

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