dear dear

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「すまなかった、お前の名を見逃していたそうだ」
 秘書官はそう言い訳していたが、本当のところは、疫病の巣窟と化したビーレ領邦からやって来たエリーアスの病の感染を疑い、様子を見たのだろう。
 クレスツェンツは自分以上に怒りを抑え込んでいたエリーアスの肩を宥め、青白い顔をしている彼を椅子に座らせる。
「しかし本当に大丈夫か? お前がそんな疲れた顔をしているなんて」
「平気です。そんなことより、ビーレ太守とペシラの施療院長からの定期連絡です。――病が川を渡りました」
 エリーアスはテーブルの上にいくつも書類の束を積み上げながら唸った。凍りつくクレスツェンツを上目遣いで確かめ、まだ鞄の中から書簡を取り出す。
「都へ上る途中で見ました。病は北上しています。この辺には人が集まり過ぎてる。罹患者が出れば、田舎のジルダンやビーレの比じゃない騒ぎになりますよ」
 ビーレ領邦の北辺を流れ、ジルダン領邦を貫いて東海に注ぐ大河がある。巨大な水路として南部の経済を支え、そして穀物を育てる肥沃な土をもたらすフロシュメー川。
 これまで疫病の罹患者が確認されていたのは、その河川の以南においてだった。病が川を渡ったとなれば、都と疫病の間を隔てるのはもはや二つの領邦のみである。
「なぜ医官が派遣されないんです? ビーレやジルダンに来るのは俺たちの同胞ばっかりです! 医官や大学院の医学博士なら、もっといろんなことを知ってるし病の原因や治療法も見つけられるんじゃないんですか!? 病がここまで来てからじゃ遅いでしょう!」
「……医官は王家のものではなく役人だ。彼らを配置外の場所へ派遣するには法に基づき陛下が命を下さねばならない。博士たちも、彼らはあくまで研究者だからな……協力を求めることしか出来ないのだ、すまない」
「王妃さまに謝られたって仕方ありませんよ。あいつら……アヒムの手紙はちゃんと届いてるはずなのに……!」
 エリーアスは最後の紙の束を叩きつけるように置いて、そのまま拳を握り震わせる。
 このふた月で彼は何度もビーレ領邦と都を往復していた。一カ所に留まって数日の休息をとれたことなどほとんどないくらいだろう。そうまでするのは、エリーアスが伝師だからだ。
 伝師は教会の伝令役。関門の封鎖時にも自由な通行を許されるという特権を持っている。そして関門が封鎖されている現在、各街道を誰よりも早く駆けめぐることが出来るのは、ほかならぬ伝師たちだ。

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