dear dear

22

 とはいえ足許の雪の中に手を突っ込んだあとだったので、指もドレスの裾もすっかり濡れてしまった。
「誉められているように聞こえないが」
「別に誉めたわけではないので。あれ、どうしたんですか、手」
 アヒムの隣に追いつくなり、彼はしとどに濡れたクレスツェンツの手に気がついた。そして道具箱の中にあった布巾を差し出してくる。
 やっぱり雪玉をぶつけてやろうかと考えた直後にこれだ。飾り気のなさすぎる正直な言葉と、当たり前に寄越す気遣い。
 腹が立つのか嬉しいのか、焦ってしまうのか甘えたくなるのか、アヒムといるとクレスツェンツの心はいつも忙しい。
「オーラフ様もナタリエ先生も色々な思惑がおありなので、それはクレスツェンツ様にしか言えない言葉だったと思いますよ。だから余計なこと≠セなんて思わなくても大丈夫。むしろそれがオーラフ様やナタリエ先生……僕たちの本音です。きちんと伝えられて、よかったと考えればいいんです」
「そうかな……」
 アヒムはそれ以上言葉を重ねることなく、静かに頷いた。あのときの王の顔を見ていないからそんなに楽観的に考えられるのだ、とは思わなかった。
 彼の無言の首肯はただクレスツェンツを冷静にさせる。いつだってそうであるように。
 まごついていた気持ちが鎮まると、雪水の上を歩く脚が軽くなる。
 夕刻の寒さと暗闇が忍び寄っているのに、そろって歩くふたり分の足音を聞いていれば空気の冷たさも暮れてゆく空のもの寂しさも気にならない。
 今ではこの心地よさも、クレスツェンツが施療院に通い続ける理由のひとつであろう。
 この先も、ずっとこうやって隣を歩けるだろうか。考えてみるが、クレスツェンツはその答えを知っていた。
 多分、無理だ。
 昼と夜の混じった空を見上げ、王の顔を思い出した。実感はまるでない。けれど、いずれ自分の隣にいるのはあの男なのだ。
 高潔な国の父、類い稀な外交と経済の手腕でもって国境を守る最高位の騎士。彼とともに国民を守ることがクレスツェンツの義務となっていくだろう。
 アヒムもやがては故郷へ帰る。大学院を卒業したらすぐにの予定だそうだが、あるいはもっと早まるかも知れないとも言っていた。

- 37 -

PREV LIST NEXT

[しおりをはさむ]


[HOME ]