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その瞬間、ぱたぱたと音を立て温い水が頤(おとがい)から滑り落ちた。
「ん? え!? うわっ、なんだこれは!」
「知りませんよ! 突然どうしたんです?」
「こ、これは、なしだ! なんでもない! 泣いてないぞ!」
「いや、泣いておられますけど……」
慌ててハンカチを取り出し顔を覆うが、ときすでに遅し。
情けなさと羞恥心に耐えられなくなったクレスツェンツは、手許の作業も放り出して調合室を飛び出した。
アヒムは――追って来なかった。
クレスツェンツと任された仕事、どちらを優先するかといえば、彼なら後者に決まっている。クレスツェンツが手伝うと言いつつ放り出した分もきっちりこなしてから出てくるのだろう。
(何をやっているんだ、わたしは……)
アヒムが出てきてくれることをちょっとだけ期待しながら廊下で待っていたクレスツェンツだが、じきに項垂れてその場を立ち去ることになった。
彼女はとぼとぼ歩きながら、扉が開いていた薬品庫、患者たちの食事を作る厨房、リネン室、窓を開け放し夏風を受け入れる大小の病室などを見てまわった。
人がたくさんいる。僧侶たちに、彼らの仕事を手伝いに来てくれるアマリアの市民。患者たち、薬を売る出入り商人や、自分の患者を連れて僧医に相談に来る街の医者だとか。
皆が明るい顔をしているとは限らない。具合が悪い者もいれば、難しく考えている者もいて、様々な顔が様々な表情で生きている。
力強さを増していく陽射しのもとでそれらは尊い奇跡のように輝いて見えた。
ここにいたいなと思う。
美しい奇跡の中に。彼らとともに笑ったり、悩んだり出来る場所にいたい。
しかし、クレスツェンツの生まれ持った身分と運命はそれを許さない。
連れてきた侍女にも見つからずうろうろすることに成功したので、クレスツェンツはひとりだった。
施療院の中庭には僧侶たちが世話をしている花壇がある。陽射しに負けないほど鮮やかに色づく花々の合間、煉瓦を積んで造った花壇の縁に座り、クレスツェンツは自分の膝頭に額を埋めて丸くなった。
こうしていると彼女の姿は花に埋もれて見えなくなるはずだ。ここなら涙が引っ込むまで隠れていられるだろう。
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