dear dear

19

 わずかに強張った夫の身体をぎゅっと抱きしめ、逃げないで、と訴える。
 冷静になった今なら、夫の苦悩が分かる。
 彼は、クレスツェンツが友の娘を連れ帰ったことに少なからず不満を持ちながらも、その娘を城から追い出そうとはしない。それは彼が自分自身に科した罰だからだ。
 五年前、きっと夫は早くに気づいていたのだろう。ジルダン領邦へクレスツェンツを派遣すれば、現地で対策組織を立ち上げることが叶い、罹患者の隔離や治療を行う体制がいち早く整うことに。
 しかし彼はクレスツェンツの夫としてそれを躊躇ってしまった。そのことは、疫病の収束を遅らせた一因といえるかも知れない。
 そしてこの国を守り続けるために、ひとりの少女の心と血(いのち)を利用すると決めたことの意味も、彼なら分かっている。
 だからユニカを城に置く。彼のふたつのあやまちを、彼自身が忘れないために、そして彼女の憎悪を甘んじて受け、いつか罪を贖うために。
 それを、夫の口から聞きたかった。そしてそれは悲しいと、クレスツェンツも伝えたかった。
「少しだけ、休む時間を下さい。その間に陛下とお話ししたいことを考えてまとめておきますから。陛下の思うところも、なんでも聞かせて。わたくしを思って黙っていたこともぜんぶ。わたくしもそうします」
 クレスツェンツが、慌てて速く走りすぎている間も、冷静に、孤独に、国と民を見つめ続けてきた人がすぐ傍にいたことを思い出せて、よかったと思う。
 その人とクレスツェンツは、互いの手助けを必要としている。それぞれにそれぞれの道を走ることはもう出来ない。
 無くした標(しるべ)の片鱗は、今日も彼女の胸にかかっていた。
 だけどこれはもう頼りにならないもの。ほんの少し勇気をくれるだけのお守り。
 そっと胸にしまっておくのが相応しい。
 今大切なものは、目の前にある。

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