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 兵力を動かして王都の全関門を封鎖することも、クレスツェンツの執行権をすべて奪うことも出来たのに、彼は王として、王妃の出立を黙認することでビーレ領邦へ向かわせた。
 あのとき、王が法を曲げて王妃を外へ出したと批難されている余裕はなかった。ゆえにクレスツェンツが自ら泥を被る方法を選んでも、庇いだてしなかった。
 義務を棄てた罪すら許される成果を、クレスツェンツなら持ち帰ると信じて。
 夫の策に気がついたのは、王都へ帰還しすべての報告を終えてからのことだ。クレスツェンツが「王族の義務を放棄した」と謗られることもなく、彼女が指揮を執ったことによる疫病収束の成果だけが残って、初めて解った。
 夫はクレスツェンツの本当の思いをどこかで知っていたと思う。それでもビーレ領邦へ向かわせて、王妃という駒として巧く立ち回らせ、功績を握らせたのだ。
 最後の最後にクレスツェンツを止めたのは、あの疫病の致死率の高さゆえ、夫として妻の身を案じるがゆえ。けれど彼はすぐに王≠ヨと戻った。
 片腕の王妃を失う可能性と病が自然に収束する可能性を秤にかけ、彼は、クレスツェンツの命より民の命を重いと見なした。例え危険があっても王妃を行かせれば、必ず疫病を収めてくると判断して、クレスツェンツの勝手を許したのだ。
 あのとき、いくつの辛い決断を、彼ひとりにさせてしまったのだろう。
 王妃が私情に駆られて自分の傍を離れることは、腹立たしく、また心細くもあっただろうに、それでも行かせるほうがよいと判断出来てしまう≠アの人から、いつでもクレスツェンツを自由にしてくれるこの人から、もう離れてはいけないと思った。
「陛下おひとりに辛い思いをさせないように、わたくしから陛下の手を放さないようにと決めたはずでしたのに。何もかもわたくしの手に余ることのように思えて、いつの間にか自分自身に誓ったことも忘れておりました。もし、わたくしがこのまま死んだら、クヴェンや、施療院のことや、ユニカのことはどうしたらいいのだろうと、そればっかり考えてしまって。自分が倒れそうなことを認めたくなかった。陛下も、五年前はこんなお気持ちだったのでしょう。今、膝をつくわけにはいかないと、皆を守らなくてはいけないと」
 クレスツェンツの眦(まなじり)から涙がこぼれた。その瞬間を見ていたかのように、肩を抱き寄せる夫の腕に力がこもった。
「ねえ、でも、わたくしたちは味方同士。夫婦でもありますし、ともにこの国を治める者です。具合が悪いことは陛下に打ち明けるべきでした。――ユニカのことも、陛下に一緒に考えていただきたいのです。あの子はわたくしが親友から預かった大切な娘ですし、わたくしのあとを引き継いで施療院の旗印になってもらいたい。あの子と、陛下のお気持ちも、ちゃんと受け止めたい」

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