天槍アネクドート
待春の夜(1)
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 それは年が改まった直後のある夜のことである。

 波乱に満ちた年末のひと月をどうにか乗り越え、年始の騒がしさ忙しなさに少々疲れてきた頃。
 久しぶりに落ち着いた午後を過ごすことが出来たその日、結局ユグフェルトは執務室にいた。
 これといって熱中する趣味もなく、人生のほとんどを王族としての責務を果たすために捧げてきた彼にとって、仕事の息抜きに別の仕事をするのが一番心安らぐ方法だったのだ。
 年末に監査院を通ってユグフェルトの許にやってきた公共事業の帳簿をゆっくりとめくりつつ、王が細かく確認する必要のないそれらの数字や事業の内容を追っている時間には至福と名をつけてよいだろう。
 とはいえ、秋からこちら、もう若くはない王の身体に蓄積した疲労は大したものだ。文字を追うのさえ邪魔してくるそれに屈し、彼は侍従長にお茶を持ってくるよう命じた。
 ユグフェルトは何もしていない≠ニいう状況に不慣れだった。いつでもやるべきこと≠ヘ彼の前に山積し、それを取り崩していく体力も十分にあり、手を休める必要なく働き続けてきたからだろう。
 ところがこの十年、自分の色々な能力は下降の一途をたどっている。
 特に八年前――医官のヘルツォーク女子爵の見立てによれば――ユグフェルトは脳に病を得て、治す術はないときっぱり言われた。妃が持ち帰った『天槍の娘』の血によってユグフェルトの寿命はうんと延びたが、あれ以降、治った病とは関係なく身体が衰えていくのははっきりと自覚している。
 ユグフェルトの治世にはまだまだ解決できない問題があり、衰えをもどかしく思うこともあった。しかし、あとを引き継げる若い妻と息子がいて、そのことは国の行く末を憂う時に何より力強く王の気持ちを支えてくれた。
 その支柱が立て続けに消えてなくなってしまったのだから、こうしてぼんやりと机の上を眺める時間が度々あるのも仕方がない。責務と使命感を持ってたゆまず歩いてきた当人でさえそう思う。
 しばらくしてお茶を運んできたツェーザル侍従長は、彼の一族であり王太子の世話を任せている侍官のカミルを伴っていた。
「いかがした」
 王太子からの要件は、いちいち取り次ぎを必要とせず受け付けることにしてある。ゆえにカミルはよくこの部屋へやって来た。

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