伯爵の憂鬱(25)
「エリュゼにはスミレがいいと思うわ」
エリュゼは差し出された器を受け取り、赤いリボンで束ねられたスミレの花の絵を手のひらの上でまじまじと見つめた。
そういえば、テナ家の家紋はスミレの花だ。ディルクも自分の紋章にスミレの花を使っているが、その由来はテナ家で育てられたことにあると聞いた。
だったら、今日の場合この花を貰うのはエリュゼで正解だろう。クリスティアンがそのつもりでスミレの香りも選んだのかは分からないけれど。
「ところで、テナ侯爵とはどこまでお話が進んだの? 式の時期くらいは決めて? 教会に相談するのは早いほうがいいのよ。それでなくても急な話なのだからほかにもお知らせしなくてはいけない人がいろいろと――」
さっそく薔薇の香りを手に擦りつけながらそう言う母の声を、エリュゼは大きな溜め息でもって遮った。
「まだお受けするとも言っていません」
「なんですって?」
目を吊り上げたゼスキアを無視し、エリュゼも器の中から香膏を指先にとって手首に擦りつける。
ふと窓を見れば先ほどまでの雨も上がっており、午後のか弱い陽射しが雲の隙間からアマリアの街並みに降り注いでいた。客人達の帰り道はいくらか歩きやすくなっているだろう。
返事を渋る娘をなじっている母の小言を聞きつつ、エリュゼは手許から漂ってくる爽やかで甘い香りを吸い込んだ。
なんだか悔しいが、いい香りだ。心の中にあの若者の笑みと一緒に入り込んでくるような。
本物のスミレが咲き終わるまでには、結論を出そう。
紫の花の絵を両手でくるみ、エリュゼはそう決めたのだった。
(20200216)
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